醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   66号   聖海

2015-01-20 11:34:52 | 随筆・小説

   笠島はいづこさ月のぬかり道   芭蕉

句郎 西行が歌を詠んだ所を探し求めた芭蕉の旅が「おくのほそ道」なのかな。
華女 歌枕を求めて旅をする。歌枕で句を詠む。そんな印象が「おくのほそ道」を読んでいくと感じるわね。
句郎 笠島の郡(こおり)に入ると村人に藤中条実方(とうのちゅうじょうさねかた)のお墓はどこにありますかと芭蕉は尋ねている。
華女 小倉百人一首に実方の歌があるわね。
句郎 うん。「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」という歌だったかな。
華女 そうよ。イケメンだったそうじゃない。清少納言とも恋をしたと言われているみたいよ。
句郎 ヤッカミがあったのかもしれないね。陸奥の受領に左遷されたという話がある。確かに笠島の郡に実方のお墓がある。しかし陸奥・笠島で詠んだ歌はないみたいだよ。
華女 あっ、そうなの。私も知らないわ。実方が陸奥、笠島を詠んだ歌。
句郎 西行は実方の歌に感じるものを持っていたのじゃないかと思う。例えば「桜がり雨はふりきぬおなじくは濡るとも花のかげにやどらむ」。実方が詠んだ歌ではないかと云われている。花見をしているときに雨が降ってきた。花を眺めたまま花びらをつたって落ちてくる雨に濡れたままでいると桜を詠む。西行の心に通じるものがあるように感じる。
華女 うーん。わかるような気がするわ。
句郎 そうでしょ。西行は実方のお墓に詣でている。その処で「朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすき形見にぞみる」。実方の名前は朽ちることなく今に伝わっている。がしかし、このお墓には実方を偲ぶものが何もない。ただ枯れたすすきだけが残っている。この枯れたすすきをを実方の形見として心に刻んでおこう。西行は実方の歌を認めていた。
華女 無一物で放浪した西行の心が表現されていると思うわ。
句郎 芭蕉は西行の歌に憧れている。西行の足跡を慕い、旅をした芭蕉は実方の墓を詣でなかったが句を詠んだ。その句が「笠島はいづこさ月のぬかり道」だと思う。五月雨で道がぬかるんでいた。おおよそ実方のお墓がある方角は分かった。ぬかる道をおしてまで実方の墓を詣でようという意欲が湧かなかった。五月雨に濡れた笠島の杜を見ただけで満足した。
華女 本当に芭蕉は実方のお墓の傍まで行きながら詣でることはしなかったのかしら。芭蕉が笠島を通った日は本当に雨が降っていたのかしら。
句郎 曾良旅日記によると笠島を通ったのは旧暦の五月七日、新暦の六月二十三日じゃないかと思う。その日は快晴、のち曇となっている。雨は降っていなかった。が道がぬかっていたのは間違いない。その前毎日のように雨が降っていたようだから。
華女 天気の記載が曾良旅日記にはあるの。
句郎 天気の記載もあるし、宿泊した処も記している。
華女 凄いわ。三百年前の天気が分かるなんて、凄いわ。記録というものには力があるのね。
句郎 書くという営みは凄い力があると思う。ペンは力よりも強し、と言うからね。
華女 「笠島はいづこ」と詠んではいるが、実際は実方の墓に詣でていたのかもしれないわね。
句郎 確かに実方の墓に詣でたかもしれないけれども曾良旅日記には実方の墓に詣でたという記録はないんだ。
華女 じゃ、やっぱり、道がぬかって見つけることができなかったのかもしれないわね。
句郎 長谷川櫂は実方の墓を詣でたと「おくのほそ道」に書いてしまうと文学にならない。「笠島はいづこ」、「さ月のぬかる道」と表現するから文学になっているというような解釈をしている。
華女 なるほど、分かるような気がするな。