醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1058号  白井一道

2019-04-16 14:13:06 | 随筆・小説



 徒然草序段を読む



 「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
 「ものぐるほし」の意味が分かったようで、分からない。することもなく、一日中硯に向かって、心に移り行くどうでもいいようなことを書き留めていると不思議なほど「ものぐるほし」になると兼好法師は述べている。「ものぐるほし」とは、どのような気持ちに兼好法師はなったのかな。
 モンテーニュは『随想録』荒木昭太郎訳第8章「何もしないでいることについて」の中で次のようなことを述べている。「もし精神が、それを束縛し拘束する事柄に集中させられないならば、それは想像力の支配する広い野原のなかに規制のないまま投げ出され、あちらこちらとさまようことになる」。人間の精神、人の気持ちというものは事柄に束縛され、拘束されるから集中できる。しかし人間の精神、人の気持ちというものが事柄に束縛されることなく、拘束されることなく広い野原のなかに何の規制もなく、解き放たれたならあちらこちらと彷徨いだしてしまう。モンテーニュはこのように述べている。
 何もすることのない自由な時間ほど苦しい時間はない。何もしたいと思うことのない自由な時間をどのようにしたらよいのか、人間の精神、人の気持ちはあちらこちらと彷徨いだすに違いない。それは「ちょうど病人の悪夢のようにさまざまな妄想が描き出される」とモンテーニュは『ホラティウス詩法』の言葉を引用している。「しっかりうちたてられた目標をもたない魂は、滅びてしまう。なぜならば、ひとの言うように、どこにでもいるということは、どこにでもいないということだからだ」とモンテーニュは述べている。
 人は規制されている。人間の精神は束縛され、拘束されている。だから安心して自分の居場所にいることができる。人は人の子として生まれてくる。子は親を選ぶことなくこの世に生まれてくる。子は親に束縛さけ、拘束されているからここに存在することができる。自由な存在としてこの世に生まれてくるものではない。時間、場所、父母に規制されて子は出現してくる。人間の精神もまた時間、場所、父母に規制されて生れてくる。
 だから人間の精神、魂は目標、目的に規制され、拘束され、束縛されることによって存続する。凧は糸に繋がれて初めて空を舞う。
 だが、人は年老いるといろいろな制約からとぎはなたれてくる。モンテーニュも書いている。「最近、わたしは、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かに人から離れて過ごすことにしよう。それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心に決めて、自分の家に引退した。その時私には、わたしの精神を十分暇な状態のなかに放してやり、自分自身にかかりきり、自分のなかにとどまり落ち着くこと以上に大きい恩恵を、精神にたいしてほどこしてやることはできないようにおもわれたのであった。そして、わたしの精神が、時間がたつにつれていっそう重みを増し、一層成熟したうえで、このことを、いっそうたやすく行えるようになればよいと希望していた。しかし逆に暇はつねに精神を散らす。私の精神は離れ馬のようになって、ほかの人間に対して与えていた気遣いよりも百倍も多くの気ずかいを、自分自身に与えるものであるということがわかった。そして私の精神は、それほどまでに多くの幻想的な奇獣怪物を、つぎつぎに秩序もなく目的もなく生み出してくるので、そのばからしさ、奇妙さをゆっくり思いみようとして、それらを記録にとりはじめたほどだ。時間がたつにつれて、私の精神にそれらを恥ずかく思うようにさせようと期待しながら」と。
 目標、目的に規制されない人間の精神は年老い、家のなかに引退してみても変わる事がない。生れてくるものは幻想的な奇獣怪物以外にはないという。
 モンテーニュは16世紀後半に生きたフランスの哲学者、人文学者である。16世紀後半のフランスはいつ果てることなく40年近く続いたユグノー戦争、新旧キリスト教の戦いの時代だった。モンテーニュはトレランス、寛容を説いた哲学者であった。モンテーニュが説いた無為、何もしないということは兼好法師の「つれづれなるままによしなしごとをそこはかとなく」書く「ものぐるほし」を表現したものだいえる。朝廷勢力が武家政権によって最終的に倒された後の朝廷勢力側に生まれ育った兼好法師は隠遁者であり、歌人であった。
「代々をへてをさむる家の風なればしばしぞさわぐわかのうらなみ」。和歌を読むと貴族の血がゾクゾク騒ぐ隠遁者であった。

醸楽庵だより  1058号  白井一道

2019-04-16 14:13:06 | 随筆・小説



 徒然草序段を読む



 「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
 「ものぐるほし」の意味が分かったようで、分からない。することもなく、一日中硯に向かって、心に移り行くどうでもいいようなことを書き留めていると不思議なほど「ものぐるほし」になると兼好法師は述べている。「ものぐるほし」とは、どのような気持ちに兼好法師はなったのかな。
 モンテーニュは『随想録』荒木昭太郎訳第8章「何もしないでいることについて」の中で次のようなことを述べている。「もし精神が、それを束縛し拘束する事柄に集中させられないならば、それは想像力の支配する広い野原のなかに規制のないまま投げ出され、あちらこちらとさまようことになる」。人間の精神、人の気持ちというものは事柄に束縛され、拘束されるから集中できる。しかし人間の精神、人の気持ちというものが事柄に束縛されることなく、拘束されることなく広い野原のなかに何の規制もなく、解き放たれたならあちらこちらと彷徨いだしてしまう。モンテーニュはこのように述べている。
 何もすることのない自由な時間ほど苦しい時間はない。何もしたいと思うことのない自由な時間をどのようにしたらよいのか、人間の精神、人の気持ちはあちらこちらと彷徨いだすに違いない。それは「ちょうど病人の悪夢のようにさまざまな妄想が描き出される」とモンテーニュは『ホラティウス詩法』の言葉を引用している。「しっかりうちたてられた目標をもたない魂は、滅びてしまう。なぜならば、ひとの言うように、どこにでもいるということは、どこにでもいないということだからだ」とモンテーニュは述べている。
 人は規制されている。人間の精神は束縛され、拘束されている。だから安心して自分の居場所にいることができる。人は人の子として生まれてくる。子は親を選ぶことなくこの世に生まれてくる。子は親に束縛さけ、拘束されているからここに存在することができる。自由な存在としてこの世に生まれてくるものではない。時間、場所、父母に規制されて子は出現してくる。人間の精神もまた時間、場所、父母に規制されて生れてくる。
 だから人間の精神、魂は目標、目的に規制され、拘束され、束縛されることによって存続する。凧は糸に繋がれて初めて空を舞う。
 だが、人は年老いるといろいろな制約からとぎはなたれてくる。モンテーニュも書いている。「最近、わたしは、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かに人から離れて過ごすことにしよう。それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心に決めて、自分の家に引退した。その時私には、わたしの精神を十分暇な状態のなかに放してやり、自分自身にかかりきり、自分のなかにとどまり落ち着くこと以上に大きい恩恵を、精神にたいしてほどこしてやることはできないようにおもわれたのであった。そして、わたしの精神が、時間がたつにつれていっそう重みを増し、一層成熟したうえで、このことを、いっそうたやすく行えるようになればよいと希望していた。しかし逆に暇はつねに精神を散らす。私の精神は離れ馬のようになって、ほかの人間に対して与えていた気遣いよりも百倍も多くの気ずかいを、自分自身に与えるものであるということがわかった。そして私の精神は、それほどまでに多くの幻想的な奇獣怪物を、つぎつぎに秩序もなく目的もなく生み出してくるので、そのばからしさ、奇妙さをゆっくり思いみようとして、それらを記録にとりはじめたほどだ。時間がたつにつれて、私の精神にそれらを恥ずかく思うようにさせようと期待しながら」と。
 目標、目的に規制されない人間の精神は年老い、家のなかに引退してみても変わる事がない。生れてくるものは幻想的な奇獣怪物以外にはないという。
 モンテーニュは16世紀後半に生きたフランスの哲学者、人文学者である。16世紀後半のフランスはいつ果てることなく40年近く続いたユグノー戦争、新旧キリスト教の戦いの時代だった。モンテーニュはトレランス、寛容を説いた哲学者であった。モンテーニュが説いた無為、何もしないということは兼好法師の「つれづれなるままによしなしごとをそこはかとなく」書く「ものぐるほし」を表現したものだいえる。朝廷勢力が武家政権によって最終的に倒された後の朝廷勢力側に生まれ育った兼好法師は隠遁者であり、歌人であった。
「代々をへてをさむる家の風なればしばしぞさわぐわかのうらなみ」。和歌を読むと貴族の血がゾクゾク騒ぐ隠遁者であった。

醸楽庵だより  1057   白井一道

2019-04-15 08:00:04 | 随筆・小説



   暗黒世界への狂気、このようなことが本当に起きるのか。
           永田町に囁かれている政界雀の噂話より(iwjニュース記事より)




 安倍首相が「消費税5%への減税」という旗を掲げ衆院を解散!? 衆参同日選挙。
「この道しかない」と拳を握りしめ、安倍総理は宙を睨んだ。憲法改正を実現してみせる。山本太郎参院議員が新党を立ち上げ、「消費税廃止」を訴えた。これだ。安倍総理は確信した。「先のことは分からない」「政治は一寸先が闇だ」。山本太郎氏の主張、最もラディカルな主張をパクってやろう。「消費税5%への減税」だ。この旗を掲げ衆議院を解散し、衆参同日選挙に打って出る―。自民党の圧倒的な勝利。衆議院3分の2の議席を確保。戦後初めて自民党悲願の憲法改正を実現した総理大臣安倍晋三!うふふふふ。後の日本人はこの俺を偉大な総理大臣だとほめたたえることだろう。ウッフフフフ
 何もせず、このまま参院単独選挙に突入すれば、憲法改正に必要な「衆参それぞれ改憲勢力3分の2」という議席を失う可能性が極めて高い。参院の定数は242議席。7月21日投開票となる公算の大きい「2019年参院選」では、このうち半数の、6年前に当選した参院議員が改選されることになる。
 現在参院の議席構図は、自民党121、公明党25(与党で146議席)、それに「おおさか維新の会」(12議席)、「日本のこころ」(3議席)に、さらに無所属議員などを加えることで、「改憲に前向きな勢力」が3分の2(162議席)を超えている。しかし、超えている議席は大きく見積もっても10議席前後だ。特に6年前の「2013年参院選」は、自民党が政権を奪還して約半年で行われた選挙で、自民党に「風が吹いた選挙」だった。民主党の自滅や、アベノミクスと東日本大震災からの復興に対する過大な期待を背負い、各地で自民党が圧勝した。今回の参院選ではこの選挙で当選した議員が改選される。全国紙の政治部のある記者はこう指摘する。
 「自民党が現有(現在の保有議席数)を維持することはほぼ無理。政治情勢次第では第2次安倍政権が始まって以来の大敗となる可能性がある」
 改憲勢力とされる維新やこころも、国政では一時の威勢を失っている。野党共闘の深化も読みにくい。時事通信は今年2月、野党共闘が整い候補者を一本化できれば、32ある「1人区」のうち12選挙区で野党が議席を獲得するという試算を報じた。山形や福島、山梨など7選挙区では与党から議席を奪う形で勝利する可能性がある。
 安倍晋三首相にとって憲法改正は、何を放棄してでも成し遂げたい政治課題だ。財界や省庁の要求を唯々諾々と飲み続け、国の中央銀行を牛耳り経済を人質のようにし、自民党内と行政府組織の人事を掌握してきたのは、全て「憲法改正」のためであったとも言える。
 それは「戦後初めて憲法改正した首相」というレガシーを手にしたい、という権力欲の発露に他ならない。安倍首相がこれまでみせてきたこの強欲と改憲への執着の深さを考えれば、何も手を打たずに「参院単独選挙」に突入する可能性はむしろ低い。わずか数議席を欠くだけで改憲発議の条件を失うからだ。仮に失えば、最低でも3年間は改憲発議ができなくなる。それは「安倍政権の存在意義の崩壊」を意味する。
 2014年4月に8%へ引き上げた安倍政権は、その後、同年11月に延期を表明、さらに2016年6月にも増税を延期している。過去に2度、消費増税を延期しているため、「増税延期の信を問う」ために解散するというのは、合理性を欠き、インパクトもない。単なる延期では「国民からの圧倒的賛意」も得られない。「5%への消費税減税」を掲げ、信を問う。衆議院解散、衆参同日選挙の実施だ。ある与党関係者は言う。「そうでもしない限り、この『3分の2超』という議席は維持できない」。「リーマンショック級の事がない限り行う」と安倍首相は消費増税について再三言っている。だがこうした留保や議論も「5%への消費減税」となると、様々な前提が破壊される。
そもそもなぜ消費増税しなければならないのか。それは財政再建と社会保障財源確保のためだ。それは建前に過ぎない。現在の国債発行と日銀の買い取りの状況を踏まえれば、もはや何でもありだろう。政府の19年度予算案では、景気対策の大盤振る舞いで初の総額101兆円を超えた。07年末に838兆円だった国の借金残高は1085兆円(17年末)に拡大している。
 まともな思考の下、「財政再建に取り組まなければならない」と旗を振っているのは財務省だ。だがそのトップは誰か。安倍首相の盟友、麻生太郎副総理である。5%へ減税した場合の財源はおそらく国債でまかなうことになるだろう。それを市中銀行が買い、日銀が買い取ることになる。では、日銀の総裁は誰か。これも安倍首相の盟友・黒田東彦総裁である。首相と中央銀行の総裁が「盟友」と言われる時点で、中央銀行の政府に対する独立性はなきに等しい。日本国債の信用は危機に瀕し、金利上昇リスクが高まるが、目前の衆参ダブル選を乗り切ってしまい、緊急事態条項を含む改憲発議を行ってしまいさえすれば、あとはなんとでもなる、ということなのだろう。
 この秘策には「日本が財政再建を放棄したと国際社会に受け止められ、円が信用を失うのではないか」という批判が想定される。確かにその通りではあるが、そのようなまっとうな批判を一体どの野党が力強く展開し、どのマスメディアが大きく拡声して、その批判が国民的支持を得るまでに届かせるだろうか!?
 恐ろしいのはむしろ、安倍首相が「5%への減税」と「解散」を打ち出したとき、国民大半がそれを支持し、ほぼ全ての野党および大多数のマスメディアが思考停止に陥ることだ。
 こうした状況を踏まえると、安倍首相が方針を打ち出すのは参院選の直前期、つまり通常国会の会期末(6月26日)なのではないか。参院選は7月4日公示21日投開票となる見通しだ。あまりの短期間に野党は一切身動きが取れず、論を張ることもできず、ぼろぼろになる。
                      IWJ一般会員 白井一道

醸楽庵だより  1056号   白井一道

2019-04-14 13:06:16 | 随筆・小説



  原発をなぜ辞めないのか



 東北から関東にかけての水産、農産品の輸出はできない。原発事故から8年を経て、まだまだ被害は続いて行く。にもかかわらず日本政府は原発の再稼働を勧めようとしている。もう一度、原発事故がおきたら、狭く小さな島国の日本には住める地域がなくなってしまう。このような危険があるにもかかわらず安倍政権は原発再稼働の政策を止めようとしない。「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」と大江健三郎氏は小説を書いた。今、日本政府は原発政策を変えることができない。原発に依存している人々の力が強いからである。その力の源はお金のようだ。
日本はWTOで「逆転敗訴」した。
 「スイスのジュネーブにあるWTO(世界貿易機関)の上告委員会は、現地時間の4月11日午後5時過ぎ(日本時間12日深夜0時過ぎ)、韓国による日本産の食品輸入禁止措置を「不当とは言えない」とする最終判断結果を発表した」と新聞は発表している。1審は日本の完全勝利だったが最終審で日本は敗訴した。この紛争はもともと、2011年3月の福島原発問題で、世界54カ国・地域が、福島県産食品などに輸入禁止措置を取ったことに端を発する。各国・地域はその後、規制を緩和していったが、当時の朴槿恵政権は、日韓関係の悪化の影響もあって、2013年に逆に規制を強化。福島、青森、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の8県産のすべての食品や水産物に拡大したのだった。
 これを不当とする安倍晋三政権は、2015年に、韓国をWTOに提訴。昨年2月に1審にあたる紛争処理小委員会は、「韓国の輸入規制はWTOルールに違反する」として、韓国に対して是正勧告を出した。完全な日本の1審勝利だった。
 韓国はこれを不服として、2審にあたる上級委員会に上訴した。そして今回は、韓国が「逆転勝訴」したのである。今回の発表がWTOとしての「最終判定」にあたるため、30日以内にWTOの全加盟国会合で示されて採択、確定することになる。
 この結果に、韓国は12日、まるで鬼の首を取ったようなお祭り騒ぎとなった。文在寅政権からマスコミ、市民団体まで、これまでの日本に対する鬱憤を晴らすかのように、「WTO判定」を祝ったのだ。
久々に韓国が「国際的に」日本に勝利?
 例えば、『CBSノーカットニュース』は、「朴槿恵政権の『疑問の1敗』に痛快な復讐・・・『WTO2審 神の一手』」という大仰なタイトルで、次のように報じた。
<韓国が日本の福島産の水産物に、輸入禁止措置を出していることに対するWTOの貿易紛争で、逆転勝訴した。それに対するわが国民の歓声が、さらに一層熱くなっている。
 日本では今回の判決が「神の一手」だとして、わが政府の対応を激賛している。判決前までは、日本メディアは勝訴を確信していたようで、勝訴した後の計画についての報道まで出ていたほどの状況だった。それがこのようなことになった。
 日本の『産経新聞』は11日午後、「輸入再開の決定が出て、日本の勝訴となる公算が高い」と予測。「輸入禁止措置の是正勧告が出れば、韓国側は15カ月以内に輸入禁止措置を解消しなければならない。韓国が是正措置を取らない場合、日本は被害額までの関税引き上げを要求できる」と報道していた。
 しかし、日本の敗訴の結果が出るや、『朝日新聞』は12日午前、「勝訴に力を得て、他国・地域にも輸入規制の緩和を要求しようとしていた日本の戦略にも、影響を及ぼすことになる」と報道した。
 韓国が敗訴した場合、韓国の例を根拠にして、他国にも福島産の水産物の輸入を要求しようとしていた計画は、挫折が生じたのは確かなようだ>
 文在寅政権がこのところ、異常な反日攻勢を行ってきたのは、周知の通りだ。だが、慰安婦財団解散、旭日旗掲揚拒否、レーダー照射、徴用工判決、天皇への謝罪要求・・・と、ことごとく国際的には「失笑」を買ってばかりだった。それが今回、久々に「国際的に」日本との争いに勝利したのである。
 冒頭の朴記者が続ける。
「折からの経済悪化によって、週末のソウルといえども、いつもは暗い雰囲気なんですが、12日の晩はレストランも飲み屋も、『対日勝利の乾杯』に沸いていました。
 韓国で誰よりもホッとしたのが、文在寅大統領だったと思います。重ねて言いますが、WTOの『判決』とほぼ同時刻に、ホワイトハウスで行われていたトランプ大統領との韓米首脳会談は散々で、文大統領が帰国後、国会で糾弾されるのは目に見えていました。それがこの思わぬ『対日勝利』によって、『文大統領はワシントンでは失敗したけど、まあ許してやるか』という感じになっているのです」
いまだ23カ国・地域が輸入禁止措置
 ともあれ、日本はなぜ「逆転敗訴」したかということを、きちんと総括し、反省してみることが必要だろう。「日本勝訴」の1審が覆ったのだから、日本側にも何らかの戦略ミスがあったに違いない。12日には、菅義偉官房長官も河野太郎外相も、「負け惜しみ」のような苦しい弁解をしていたが、あのような態度は、とても格好いいものではない。
 実際には、福島原発事故から8年を経ても、いまだに韓国だけでなく、23カ国・地域で輸入禁止措置を取っているのだ。
 例えば、近隣諸国・地域を見ても、台湾は、昨年11月に住民投票を実施し、「福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県産の食品は最低2年間、禁輸を継続する」という決定を行っている。中国は、福島、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、新潟、長野の1都9県の食品の輸入を全面的に禁止してきた。昨年10月に安倍首相が訪中した際、改善を要求。中国側は見直しを約束したが、昨年11月28日に、中国人に人気が高い新潟米の輸入を解禁したのみだ。
 各国・地域に輸入禁止を解除してもらうには、政府としてのもっと積極的な対策が必要だ。
 生産者や漁業関係者には厳しい状況が続くが、消費者の立場に立てば、福島近海のホヤも、会津産の銘酒も、値段が吊り上がらず、他国に渡さずに日本人がしこたま味わえる。考えようによっては、悪いことだけではない?
以上のように右田早希氏は報じている。

醸楽庵だより   1055号   白井一道

2019-04-13 07:52:23 | 随筆・小説


  高知の酒「美丈夫」と山形の酒「秀鳳」を楽しむ



侘輔 今日楽しむ酒は、四国、高知県濱川商店「美丈夫」と山形県山形市の酒「秀鳳」だ。「美丈夫」も「秀鳳」も我々にとっては馴染みのお酒かな。
呑助 「秀鳳」も「美丈夫」も今まで何回も楽しんでいますね。
侘助 「美丈夫」は冬二月酒販店さんからの受注生産の季節商品の「あらばしり・純米吟醸酒」。米は松山三井、高知県産の酒造米のようだ。年間商品ではなく、今の時期でしか楽しむことのできないお酒だ。
呑助 そろそろ酒造りが終わり、蔵での熟成が始まる頃の新酒の味わいですかね。
侘助 新酒には新酒のフレッシュな味わいがあるよね。「美丈夫」の酒は綺麗で軽快、切れの良い酒という印象が強いが今年のこのお酒は少しボディのある飲み応えのあるお酒になっているようだ。
呑助 酔いの楽しみにはもってこいのお酒だということですね。
侘助 山形の酒は本当に美味しい酒という印象があるのよね。
呑助 山形の酒というと「十四代」とか、「出羽桜」の酒がもてはやされているが、我々にとって、山形の酒というとやはり「秀鳳」さんですかね。
侘助 「秀鳳」さんのお酒との付き合いも古くなったね。今回のお酒も秀鳳さんの季節商品、この時期だけの酒販店限定販売のお酒、「花見酒」なんだ。グレードは「特別純米酒」、アルコール度数は14.8度、15度を切っているにもかかわらず、原酒で出荷してくれている。一切加水をしていないと話していた。火入れはしているが甘味は残っていると思うよ。
呑助 切れのある甘味ですかね。秀鳳さんのお酒は軽快さにありますよね。
侘助 酒造米は山形県産米の「出羽の里」を使っている。心白の大きな酒造米なので60%精米であっても雑味の少ない綺麗なお酒に仕上がっていると杜氏さんがおっしゃっていた。
呑助 喉越しが良く、切れがいいということですか。
侘助 べたっとしつこいのは、食べ物でも飲み物でもよくないよね。
呑助 「切れ」というのはけじめということですかね。だらだらしていてはいけないということでしようかね。
侘助 酵母は1801の協会酵母で醸していると言っていた。この酵母はカ プロン酸エチル及び酢酸 イソアミルが高生成するので香り高いお酒になっていると言っていた。
呑助 カプロン酸とか、酢酸イソアミルというのは香成分のことですよね。
侘助 リンゴのような果実香がカプロン酸エチルといわれているものかな。
呑助 酢酸イソアミルというのはどのような香がするのでしょうかね。
侘助 バナナあるいはメロンのような香が酢酸イソアミルと言われているもののようだ。
呑助 ほのかな香ですね。このような日本酒の香りを知ったのも吟醸酒を楽しむようになってからですね。
侘助 吟醸酒と言えば、協会酵母9号、熊本、香露の蔵で見つけられた酵母が協会酵母として日本全国に普及し、吟醸酒を醸す酒蔵で使われるようになった。9号酵母を改良し、あふれ出す泡を抑えた吟醸酵母の一つが1801協会酵母のようだ。



醸楽庵だより   1054号   白井一道

2019-04-12 07:55:59 | 随筆・小説




  けふばかり人も年よれ初時雨   芭蕉



句郎 この句には「元禄壬申冬十月三日、許六亭興行」と前詞がある。
華女 芭蕉は十干十二支で年号を書いていたのね。
句郎 元禄壬申とは、元禄5年、西暦でいうと1692年になる。
華女 元号と年号とは、同じようでいて、違っているようにも感じるわね。
句郎 元号の「元」は、ことの始まりを言うようだ。また、「号」は、名前という意味だ。つまり、ある期間のはじまりの名前ということになる。極端な話をすると、元年の名前を「元号」、そこから何年経ったかという期間を表すものが「年号」かな。
華女 江戸時代の農民や町人たちは天皇の存在をほとんど知らなかったのでしょ。それにもかかわらず、武士も農民も町人も天皇が決めた元号を使用していたのね。
句郎 江戸時代は徳川幕府の絶対的な支配体制の社会であったが、天皇制は存続していた。天皇には権力はなかったが権威を持っていた。
華女 江戸時代は天皇と徳川将軍という二つの中心をもつ世界であったということなのね。
句郎 旧暦の10月はすでに冬であった。許六亭で俳諧興行が行われたときの発句がこの句のようだ。
華女 元禄5年というと芭蕉は何歳だったのかしら。
句郎 芭蕉は1644年の生まれだから、49歳になっていた。
華女 元禄時代にあってはもう老人ね。「人も年よれ」と言う言葉が何を意味しているのか分かりずらいように思うわ。
句郎 年を重ねることを「年寄る」と言い、年取った人を「年寄」と言う。年というものは寄り添ってくるもののようだ。
華女 年取るじゃ、毎年、年を取られれば若くなっていくのよね。
句郎 年は寄ってくる。だから経験が積み重なってくる。経験によって分かってくることがある。寄る年波にはかてないと昔から言われてきた。年取るという言葉は新しい言葉のようだ。
華女 「けふばかり人は年よれ」とは、年が寄る思いをしてみようじゃないかということなのね。
句郎 元禄時代に生きた人々にとって年寄は尊敬されていた。年寄というだけで皆から敬われたそのような時代だった。今日ばかりは年寄になった気分を味わってみようじゃないかと芭蕉は詠んでいる。
華女 年寄になってこそ初時雨の情緒が分かると言うものじゃないかということね。
句郎 枯淡の味わいかな。初時雨の枯淡の味わいのようなものは若者にはわからないだろう。
華女 うすら寒い初時雨れの寂しさというものは年寄になって初めて分かるものだということね。
句郎 正座をして背筋を伸ばし、静かに庭に降る時雨をそこはかとなく眺めている。この眺めの情緒は年寄のものだということかな。
華女 時雨を眺める年寄の心境のようなものを詠んだ句が「けふばかり人は年よれ初時雨」なのね。
句郎 芭蕉は時雨の持つ本意を突き止めた俳人であった。有名な「初時雨猿も小蓑を欲しげなり」という句から『猿蓑』というアンソロジーが生れた。
華女 芭蕉忌のことを時雨忌というのよね。
句郎 芭蕉はたくさんの弟子に囲まれていたが芭蕉は生涯孤独な俳諧師だった。芭蕉の人生は時雨のようなものであった。自分でもそのように感じていたし、周りにいた人々もそのように考えていたのではと思う。
華女 芭蕉にはそのほかにどのような時雨を詠んだ句があるのかしら。
句郎 「いづく時雨傘を手に提げて帰る僧」という芭蕉30代の頃の句がある。芭蕉の名句の一つのようだ。「馬方は知らじ時雨の大井川」。俳句とは、こういうものを言うのかと思わせる句かな。「しぐるるや田の新株の黒むほど」。晩秋から初冬にかけての農村の風景がリオルに表現されている。「新藁の出初めて早き時雨哉」。駆け足で寒くなっていく季節の移り変わりが表現されている。「作りなす庭をいさむる時雨かな」。作り上げた庭に時雨が来ると庭が庭になったと実感させられると芭蕉は詠んでいる。時雨はものに魂を入れる。「人々をしぐれよ宿は寒くとも」。時雨れる部屋の中の寒さは我々に俳諧の魂を入れてくれると。芭蕉は時雨の眺めが好きだった。

醸楽庵だより  1053号   白井一道

2019-04-11 11:43:17 | 随筆・小説




 イスラム教について

侘助 9.11アメリカ同時多発テロ事件が21世紀の世界を予言した。半世紀続いた米ソ冷戦にアメリカは1991年ソ連邦を崩壊させ、地球に君臨する超大国になった。それから10年後の2001年、イスラム過激派のテロ集団がアメリカ政府の中枢機関を襲撃した。千メートル先の超高層ビルはマッチ棒のように見える。このマッチ棒に肉眼で操縦した旅客機がツインタワーに激突し、超高層ビルが崩壊していく状況が全世界に実況中継された。イスラム世界の隅々にこの映像は繰り返し放映された。イスラム世界の子供たちが手を叩いて喜ぶ姿が全世界に届いた。
呑助 世界に君臨した超大国アメリカがアメリカ政府に苦しめられたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々の人々によって反撃される世紀が21世紀だということですか。その先陣を切ったのがイスラム過激派のテロ集団だったということですか。
侘助 テロでは社会を変えることはできない。単なる怒りの爆発でしかないからね。イスラム世界の民衆がアメリカ政府に対する深い憎しみと怒りを持っていることを世界中の人々に知らせることはできても世界を変えることはできない。
呑助 逆にイスラム世界はアメリカ政府から反撃され、テロ集団を送り出した国だとされたアフガニスタンなどは酷い目に遇わされましたね。
侘助 19世紀後半のロシアにはテロリストが現れた。専制的なロマノフ王朝の政治を批判する開明的な貴族の若者が農奴解放を要求するデカブリストの乱という反乱を起こすが失敗し、シベリアに流刑される事件が1825年にあった。この事件の影響が社会変革を求める人々を生む。その中にテロリストが出てくる。そのような時代背景の中でドストエフスキーは『悪霊』という小説を書いた。この『悪霊』の世界を彷彿とさせるような事件が日本でも起きた。今から47年前の連合赤軍、浅間山荘事件だ。1972年2月から3月にかけて群馬県下で 12死体,千葉県下で2死体の合計 14死体が発見された。これは共産主義者同盟赤軍派と日本共産党革命左派京浜安保共闘が合同した連合赤軍が,71年8月から 72年2月にかけて同志を「規律違反」「日和見主義」「スパイ」の理由で処刑した事件だ。この事件では死者 14人 (男9,女5) ,逮捕者は 17人となった。このうち最高幹部の森恒夫被告が一審公判前に獄中で自殺。他の一人は日本赤軍が 75年に起したクアラルンプール事件の際に超法規的措置で国外に脱出した。残り 15人については一審,二審とも有罪判決が出て,元最高幹部の永田洋子,元中央委員の坂口弘,元兵士の植垣康博の3人が最高裁に上告したほかは,すべて有罪が確定した。その3人についても 93年2月上告棄却の判決が下され,永田・坂口両被告に対する死刑判決,植垣被告に対する懲役 20年の有罪判決が確定し,未解明部分が多いながらも一応の決着がみられた。 1972年2月7日,群馬県下で連合赤軍のアジトが発見され,同月 19日までに永田洋子,森恒夫,植垣康博ら首謀者8人が逮捕されたが,残る5人は同月 19日午後,発砲しながら長野県軽井沢の河合楽器保養所浅間山荘に乱入,管理人の妻を人質として籠城,警察当局と銃撃戦を交えた。警察当局は同月 28日犯人に最後通告を行い山荘を破壊,放水と催涙ガスで犯人を制圧し,同日午後6時 14分発生以来 218時間ぶりで人質を救出,犯人全員を逮捕した。その一部始終がテレビで実況放送されたこともあり,そこにいたる連合赤軍内部の多数のリンチ殺人事件の凄惨さと相まって全国民的な関心をひいた事件だった。
呑助 坂口弘と言う人は刑務所の中で短歌を初め、新聞に投稿し、歌壇欄に載せられたことがあるようですね。
侘助 死刑囚坂口弘は歌人だった。次のような短歌を詠んでいる。「芍薬の大輪の花見るたびに思へり わが生活(くらし)身に余れりと」。とても柔らかな優しい心根の人という印象があるね。また「春の宵房(へや)の灯漏れてゆかしくもほの白く見ゆる庭の草かな」。この歌は石川啄木の影響があるのではと、歌人の佐佐木幸綱氏は述べている。「これが最後これが最後と思ひつつ
面会の母は八十五になる」。この坂口弘の歌を読んだとき、坂口の母の気持ちを思うと私は感極まった。
呑助 テロリズムでは、社会は変わりませんね。ただ多くの犠牲者が生れるだけで、却って社会の変革を妨げる働きをしているようにも思いますね。
侘助 その通りだと思うな。社会は少しづつしか変わらない。今イスラム世界は9.11アメリカ同時多発テロ事件の結果、冬の時代を迎えている。展望の見えない殺し合いが続いている。イスラム教が生れた時代も殺し合いが果てしなく続いていた。この時代をジャーヒリーヤ、無道時代とか、無明時代ともいう。アラビア半島に居住する遊牧民は部族ごとの神をカーバ神殿に祭っていた。部族間の争いはいつ果てることもなく、それぞれの神を掲げて戦っていた。アラビア半島メッカ近郊のクライシュ部族出身のムハンマドは630年、メッカに入り、カーバ神殿に掲げられていた偶像の神々を破壊し、神は一つ、アラー、を唱えた。その後、アラビア半島統一戦争を実現し、唯一神アラーへの服従を説いた。アラーへの服従がアラビア半島の平和実現だった。
呑助 アラビア語の「こんにちは」は「アッサラーム・アライクム」というんでしたね。
侘助 「あなたが平和でありますように」と言うような意味の言葉が、アラビア語の「こんにちは」かな。交易の民であったアラビア遊牧民は地域の平和を実現することによって繁栄した。交易の民、アラビア遊牧民は何よりも平和を大切にした。平和が自分たちの生活を安定させ、繁栄させることを知っていた。イスラム教とはアラーへの信仰が平和を実現するという宗教だと考えている。

醸楽庵だより   1052号   白井一道

2019-04-10 12:38:01 | 随筆・小説




 日本資本主義の父ー渋沢栄一



 日本政府を代表して麻生太郎財務大臣は4月9日、1万円・5千円・千円のそれぞれの肖像デザインと5百円硬貨を刷新する方針を記者会見で発表した。
 この発表を受けて朝鮮日報日本語版の記者イ・ギョンミンさんは次のような論評をした。
日本が「令和時代」に合わせて発行する新しい紙幣のうち、1万円札の顔となる人物が、日本による植民地時代に韓半島(朝鮮半島)の経済を奪い取った主役だったことが分かり、波紋を呼んでいる。
日本の麻生太郎副総理兼財務相は9日の記者会見で、紙幣の図案を全面的に刷新すると発表し、1万円札には渋沢栄一 (1840-1931)の肖像画を採用することを明らかにした。
 渋沢栄一は韓国の歴史でもよく知られた人物だ。日本による植民地時代の1902~04年に大韓帝国で発行された最初の紙幣に渋沢の顔が描かれていたからだ。渋沢は日本で設立した第一国立銀行を韓半島に進出させ、日本による利権収奪を主導した。当時、渋沢は第一銀行を大韓帝国の中央銀行にするという野心を抱いていたが、韓国統監だった伊藤博文がこれを阻んだ。渋沢は代わりに、第一銀行の紙幣に自身の肖像画を入れて恨みを晴らしたのだ。
渋沢は日本では実業家として仰がれた人物だが、韓半島では植民地時代の経済収奪の主役とされている。渋沢は植民地収奪の柱だった貨幣発行と鉄道敷設の二つの事業を主導した。京仁鉄道合資会社を設立し、我が国の至る所で資源を収奪して日本に送った。 また、黄海道(現在は北朝鮮側)に農業拓殖会社を設立して朝鮮人の小作人から小作料を過剰に搾取し、黄海道の小作争議(農民運動)を触発した。
日本政府が新紙幣の人物として渋沢栄一を採用したのは、安倍政権の歴史否定の基調が反映されたものとの解釈も出ている。安倍首相は長期政権を実現するために、戦後の反省を否定する歴史観を前面に出してきた。韓国大法院(最高裁判所に相当)による強制徴用賠償判決、歴史教科書歪曲(わいきょく)などによって韓日関係が悪化する中、日本の今回の決定は摩擦をいっそう激化させるとの見方も出ている。
 一方日本国内にあっては次のような渋沢栄一像がある。
「渋沢は、徳川時代の士農工商という身分制度を撤廃し、誰もが平等に、自主的に日本社会の諸活動に参画することができ、議論を尽くして物事を決めると言う『万機公論に決す』の精神を重視し、数多くの分野で公益の増大を追求した。渋沢は、欧米諸国の民主主義社会を基盤として資本主義を『合本主義』と捉えた。合本主義とは、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方である。渋沢は軍事力を行使するのではなく民主的な方法により日本社会を発展させ、経済的な豊かさを実現しようとした。」
                                         『渋沢栄一』木村昌人著
 又、小笠原遥ハフポスト日本版記者は次のような論評をしている。
 唱えたのは「道徳経済合一説」
 日本経済や資本主義の発展に功績を残した渋沢栄一が唱え続けたのが、「道徳経済合一説」だ。
これは、「企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」という考えであり、現在の「企業の社会的責任」にも広く通ずる考え方であった。
確かに渋沢栄一は道徳的に優れた倫理観を持った企業経営者であったのだろう。しかし資本主義経済の仕組みには非人間的な非情さがある以上、渋沢栄一の主観ではどうにもならないものがあった。資本主義経済における企業経営とは、公益の追求だという渋沢の主張は正しい。公益の追及であるからこそ社会の中で存続することができる。公益の追及が同時に私的利益の追求でもある。ここに資本主義経済の本質がある。渋沢は公益を追及することによって私腹を豊かにした。私的利益の追求が交易の追及の陰に隠れている。赤裸々な私的利益の追求を人々は忌み嫌った。貨幣経済が普及するのに伴って利子をとることをキリスト教徒もイスラム教徒も嫌った。お金に困っている人は助けるべき対象であるのがキリスト教徒やイスラム教徒の倫理観だ。シェイクスピアの戯曲『ベニスの商人』が表現した世界は守銭奴を嫌うキリスト教世界の話だ。守銭奴の資本主義をパーリアキャピタリズム、資本主義というと昔教わった記憶がある。重商主義時代の資本主義から産業資本主義経済社会になると公益の追及の陰に私的利益の追求が隠れてしまう。産業革命が公益を追求する資本主義経済を作り上げた。渋沢栄一もまた赤裸々な私的利益の追求を嫌う倫理観を持った資本主義経済の企業経営者であった。が、資本に心を奪われた企業経営者であったがゆえに日本が植民地支配した朝鮮人の方々には鬼のような極悪人であった。朝鮮人の富を奪った忌み嫌う人間、渋沢栄一であったのだろう。

醸楽庵だより  1051号   白井一道

2019-04-09 12:45:13 | 随筆・小説



 イラン革命から40年



侘助 今朝、次のようなニュースに注目した。「AFP=時事(更新)米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は5日、米政府がイランの革命防衛隊を近く「テロ組織」に指定すると報じた。
  同紙が匿名のドナルド・トランプ(Donald Trump)政権関係者の話として伝えたところによると、早ければ8日にも発表される可能性があるという。
  1979年のイラン革命後に設立された革命防衛隊は、国防を担当する従来の軍とは異なり、指導部の親衛隊的な性格を持つ。莫大(ばくだい)な経済的利権を保有するなど、イラン国内で強大な力を蓄えている。
  エルサレムを意味するアラビア語の単語にちなんで名付けられた革命防衛隊の精鋭部隊「コッズ部隊(Quds Force)」は、シリアのバッシャール・アサド(Bashar al-Assad)大統領やレバノンのイスラム教シーア派(Shiite)組織「ヒズボラ(Hezbollah)」など、中東の同盟勢力を支援している。」何も目新しいものなど何もない。アメリカはイラン革命以来40年間、敵視してきた経過がある。この米紙ウォールストリート・ジャーナルの報道に対してイランからもまた次のような報道があった。「【AFP=時事】イランの最高安全保障委員会(SNSC)は8日、米国がイランの革命防衛隊を「テロ組織」に指定したことへの対抗措置として、米国を「テロ支援国家」、中東地域を管轄する米中央軍(CENTCOM)を「テロ集団」とみなすと宣言した。国営イラン通信(IRNA)が報じた。
  SNSCは米国のテロ指定を「違法かつ愚かな行動」と非難。対抗措置として、「米政権を『テロ支援国家』、米中央軍とこれに関係するすべての部隊を『テロ集団』とみなすことを宣言する」と表明した。
  イランのモハンマドジャバド・ザリフ(Mohammad Javad Zarif)外相はこれに先立つツイッター(Twitter)投稿で、米国の措置はイスラエル総選挙を9日に控えた同国のベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相の支援が目的だと非難していた。
【翻訳編集】AFPBB News」
呑助 1979年、イラン・イスラム革命によって白色革命を進めていたパフレヴィー朝が倒されてイラン・イスラム共和国が成立し、ホメイニさんが一躍世界的に有名な人になりましたね。それ以来、アメリカはイランを敵視し、隙あらば倒そうとしてきたのじゃないですか。
侘助 イラン革命のさなか、1979年11月、イラン、テヘランのアメリカ大使館が革命派の学生に占拠され、大使館員が人質となった。イラン革命政府はアメリカに亡命したパフレヴィー2世の引き渡しを要求していたが、アメリカがそれを拒否したことに憤激したイラン人学生がアメリカ大使館を占拠し、館員52名を人質にした。アメリカ政府は報復をほのめかしながら交渉に当たったが難航し、苦境に陥る。1980年4月、人質救出を試みたアメリカのヘリコプターが砂漠の中で故障して救出に失敗。カーター大統領の人気は急落、その年の大統領選挙で「強いアメリカ」の復活を掲げたレーガンに敗れることとなる。最終的には裏での取引があり、ようやく1981年1月20日に人質は解放された。その日はちょうど、ワシントンでアメリカの新大統領レーガンの就任式の日だった。後のイラン大統領となり、過激な反米政策を掲げたアフマディネジャドはこの占拠グループの一員だったといわれている。アメリカ政府は1979年イラン・イスラム革命以来、一貫してイラン政府打倒を目指してきたが、イラン政府を打倒することはできなかった。
呑助 核兵器開発の疑惑をかけられたイランが米英仏独中ロと2015年7月に結んだイラン核合意からアメリカが離脱したようですが、
侘助 ペンス米副大統領は2018年6月、ミュンヘン安全保障会議で演説し、英独仏に対してイラン核合意からの離脱を求めた。イランに対する経済制裁を強めるために「欧州は米国に同調すべきだ」と強弁した。中国に対しては南シナ海の軍事拠点化や人権侵害をあげて「問題が残っている」と非難した。中国やロシアは強引にも映る米国の外交政策を批判している。アメリカの要請がすんなり受け入れられるような国際関係ではなくなってきているということなのかな。
呑助 アメリカは今や国際的に孤立していく道を歩み始めているということのようですね。
侘助 2014年には平価ベースでは、中国のGDPがアメリカを追い越し、同時にG7のGDP総合よりE7中国、インド、ロシア、ブラジル、南アフリカ、インドネシア、トルコのGDP総合の方が大きい時代になってきているからね。G7が協力して世界を支配していく時代ではなくなってきているということなのかもしれないな。
呑助 E7の国々がアメリカ政府を『テロ支援国家』と指定し、米軍を「テロ組織」として敵視する時代がくるのかもしれませんよ。
侘助 中国の世界戦略は「農村から都市へ」という毛沢東の革命戦略を継承している。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々との友好関係を確実なものにするのが中国外交戦略だから、いずれG7の国々は国際連合で孤立化を深めていくことになるのではないかと日本国民は心配する時代がきているのかもしれない。

醸楽庵だより  1050号   白井一道

2019-04-08 06:20:55 | 随筆・小説



 五十嵐仁の転成仁語(4月6日)より

 新元号にこめた安倍政権の狙いとは




第1に、安倍首相に対して反発を強めていた保守派に言い訳し、その歓心を買うことです。元号の発表を新天皇の即位より1ヵ月早く発表するという安倍首相の方針に、強固な支持基盤であった日本会議系の極右層をはじめとした保守派は異議を唱え、反対していたからです。
 今回の元号の決定に当たって、安倍首相がこだわったのは漢籍ではなく「国書」から選ぶことでした。実際には王義之の「蘭亭序」や張衡の「帰田賦」に似た記述があるのに、それを隠して「万葉集」を典拠としたかのように偽装し、誤魔化した説明をすることによって保守派の怒りを鎮め、その支持を回復しようとしたわけです。
 もう一つ、菅官房長官による新元号の発表が11時30分ではなく11時41分になった「空白の11分」も、このような保守派への配慮を示しています。天皇と皇太子への通知が終わるのを待ってから国民に知らせるという手順を取ったため、当初予定していた時間より11分遅れてしまったのです。

 第2に、国民の注意と関心を新しい元号に集めて「安倍失政」を隠ぺいすることです。事前に新元号が漏れることを防ぐために、今回は異常とも思われる情報統制が行われましたが、それは新元号への注目を集めて関心を高め、そのありがたさを極大化するという計算に基づくものでした。
 新元号が事前に漏れたらどのような実害や弊害が生ずるというのでしょうか。注目度が低下したり、ありがたみが薄れたりするという程度のことではありませんか。
 しかし、安倍首相にとっては、それこそが大問題だったのです。満杯になるまで水をためて一気に堰を切ることで勢いを増すことができるように、ぎりぎりまで秘密を保持することで国民とマスメディアの関心をいやがうえにも高め、一種の「フィーバー」や「ブーム」を醸し出すことで「安倍失政」や統一地方選挙の現実から目を逸らせることが目的だったのではないでしょうか。

 第3に、天皇に代わって自らが元号を定め説明することによって「時の支配者」になることです。新元号発表の以前と以後とで、実際には何も変わっていないにもかかわらず、あたかも時代が変化したかのような印象が生み出されたからです。
 このように、新しい時代が始まるかのようなムードや印象が生まれたとすれば、それこそが新元号によって「時が支配された」結果だと言えるでしょう。戦前までそれは天皇によってなされましたが、戦後の主権在民の憲法下では、このようなことは許されません。
 だからこそ、昭和から平成への改元に際して、竹下首相は控えめで抑制的な対応に努めました。しかし、安倍首相はこのような節度を投げ捨て、元号の最終的な選定を自ら行った事実を隠さず、談話や記者会見、テレビ出演の掛け持ちなどを通じてその理由や背景を得々と語ることによって、かつて天皇が果たした役割を自らが果たしたかのようにふるまい、元号まで私物化したのです。

 第4に、時代と共に進展してきた西暦への乗り換えを阻止して元号を浸透させ定着させることです。保守派の反発や批判があったにもかかわらず1ヵ月前の発表に踏み切った本当の狙いはここにあります。