芭蕉の歳旦句
二日にもぬかりはせじな花の春 芭蕉 貞享五年
貞享五年(一月から八月まで)、元禄元年(九月から十二月)
「宵のとし、空の名残お(を)しまむと、酒のみ夜ふかして、元日ねわすれたれば」と『笈の小文』に書いてあります。芭蕉は花の春を迎える元日を寝過ごしてしまったのでしようか。深酒をして初日の出を拝むことが芭蕉はできなかったのでしようか。それを悔いている句のようです。芭蕉もごく普通の凡人だったのでしよう。
十七世紀後半の江戸時代、四十代の後半を迎えた男にとって一年を身にさわりなく過ごすことは、稀なことだったことがこの句を読むと分かります。一年を無事過ごしたことに感謝し、初日の出を迎えられたことに祈りを奉げる歓びを逃がしてしまった悔しさを芭蕉は歳旦の句にしています。現代に生きる者はこのような悔しさを味わうことはないように感じます。少なくとも私は感じません。江戸時代に生きた芭蕉は一日一日が輝いていたからこそ、このような句が生まれたと思います。
元日は田毎の日こそ戀しけれ はせを
元禄二年、奥の細道の旅に出た年の元旦に詠んだ句のようです。前年、芭蕉は弟子の越人を伴って木曽路をめぐり、姥捨の月を愛でた。田毎にうつる月にどれだけ感じ入ったかしれないと、猿雖宛手紙に書いています。その思いが「元日は╌╌」の句になりました。田毎に光り輝く日を見てみたい。姥捨山の月が田毎に輝いたように、元日の日が田毎に輝けと日の光への思いを詠んでいます。
日の光よ。ありがとう。今年も私に元気を与えて下さい。日の光よ。旅に生きる私に生きる力を与えて下さいと、願った句なのでしよう。
薦(こも)を着て誰人います花の春 芭蕉 元禄三年元旦
「都近きあたりに年を迎へて」と詞書があります。歳旦吟に芭蕉は乞食を詠みました。京の俳人たちは薦かぶりの句を巻頭に掲げるとは何事だ。あさましいかぎりだと批難したと芭蕉は千川宛書簡に書いています。
芭蕉はこの句を詠んだ理由を次のように説明しています。私は愚眼故によき人を見つけられない哀しさがあります。だから乞食を詠んだ西行の歌を思い、その心を求めてこの句を詠んだと述べています。
身にまとった物によってではなく、その人の心にあるものよって人に接したい。ここに芭蕉の近代精神があるように思います。今年も芭蕉の精神に学び、元気をいただきたい。