醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1541号   白井一道

2020-10-06 11:54:50 | 随筆・小説


法学館憲法研究所 【今週の一言】より
  
 政府と専門家と医療現場の関係
          --- 新型コロナ感染症への対応をめぐって ---
                                  島薗 進さん(東京大学名誉教授)



大学病院と医学教育の苦境
 『朝日新聞』は9月27日付で「東京女子医大、学費1200万円値上げ コロナで経営難」との見出しの記事を掲載している。同大は2021年度の入学生について、学費を6年間で計1200万円上げるという。河合塾の調査では、「総額が最も高いのは川崎医科大(岡山県)の4736万5千円。今回の値上げで東京女子医大は21年度から、金沢医科大(石川県)を上回り2番目に高いところになりそうだ」。
 コロナ禍以前には、医学部学費値下げの動きもあった。日本医科大(東京都)は2018年に初年度の学費を100万円ほど下げた。「順天堂大(東京都)が08年に大幅に下げて以降、優秀な学生を集めようと各大学が相次いで下げていた」。ここへ来て、東京女子医大の学費値上げが伝えられたが、これは東京女子医大の特別な事情というわけではないようだ。
 この記事は、「その(学費値下げの)流れがここに来て変わろうとしている」と述べる。「背景として教育設備に費用がかかることに加え、コロナ禍で大学病院の経営が苦しくなっていることが考えられる」としている。私立大学の医学部への進学がますます高額所得者の子弟に限定されていく方向性をたどることになるだろう。公平さという点で問題が多いとともに、医師の質が落ちることも想定せざるをえない。コロナ禍によって生じた情けない事態だ。
 思い起こされるのは、東京女子医大病院で夏のボーナスが支給されないとの通知を受け、7月16日に労働組合が400名以上の退職を予想しているのが報じられたことだ。これについては、コロナ禍以前からの問題もあったようだが、やはり決定打はコロナ禍による病院収入の激減だったという。『東洋経済新報』は同病院職員に取材し、次のような怨嗟の声を伝えている。
「私たちが必死でやってきたことに、感謝すら感じていないのだと思い、本当に涙が出ます」(30代・看護師)
「どこまで頑張る職員を侮辱し、痛めつければ気が済むのですか? 職員が病気になりますよ」(30代・医療技術者)
 私は若い死生学研究者らが4月末に立ち上げた「感染症と闘う医療介護従事者の話を聴く会」 という集いに加わり、主に医療従事者の話を聞いてきた。大小の医療機関に勤務する人たちの話はもちろん多様であるが、新型コロナ感染症を予防するための労力の大きさとともに、医療機関の経営環境が苦しくなり、そのしわ寄せが医療従事者に及んでいるということは多くの話し手に共通していた。医療機関を支援するという点で、政府の対策はきわめて不十分なものと思わざるをえない。
「専門家会議」「分科会」と医療現場の乖離
 では、政府のコロナ対策への助言を行う役割の「専門家会議」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2月16日初会合)や「分科会」(新型コロナウイルス感染症対策分科会、7月6日初会合)は、現場で診療にあたっている医療従事者の声を十分に反映するような対策を提示してきただろうか。どうもそのようには思えない。政府の対策はことごとに後手に回ったと評されてきたが、それは政府に助言する専門家らの対応の遅れとも深く関わっている。
 この専門家らの中核には、国立感染症研究所の関係者がおり、彼らは厚労省の医系技官らと一体であり、各地の保健所を通して、公衆衛生の具体策を実施する立場にある。オリンピックを開催したかったり、経済重視の政策に傾きがちな政府に専門家が歩調を合わせるように見える事態が続いた。典型的にはPCR検査の拡充が遅れたことだ。
 これについては、まだ初動の段階の2月28日の『日経バイオテク』に久保田文記者が、「新型コロナウイルス、検査体制の拡充が後手に回った裏事情」という記事を寄せている。この記事をみると、厚労省と感染研が自らが開発した検査法にこだわり、大学との協力に対して消極的であったり、世界的に行われている検査の方法は信頼性が低いとして感染研が開発した検査法に固執していることが見えてくる。3月11日には、国立感染症研究所、脇田隆字所長名で「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)PCR検査法の開発と支援の状況について」という文書が公表された。
 この文書の意図するところは読み取りにくいが、以下のようなところからうかがわれる。「地方衛生研究所で本感染症のPCR検査を開始した当初は、検査の質を保証することが最も重要な課題でした」とあり、これは「検査の質を保証する」ために検査の拡充が遅れたことへの弁明と受け取れる。また、2月13日に、WHOから情報提供がなされたロシュ社製の検査法と本所開発の検査法の相互検証を行い、検出感度が同等であることを公表し、民間の検査機関での検査実施に向け協力を開始した、とある。これは世界的に普及しており、迅速で廉価に検査ができるロシュ社製の検査法の採用が遅れたことの弁明と受け取れる。だが、その後も感染研の検査法への固執が続き、それ以外の検査法の普及が遅れ、それらは高価になる事態が続いた。結果として、あくまで保健所の指示によってのみ行われる行政検査が主体となる時期が続き、長期にわたってPCR検査がしにくい状態が続いた。
なぜ、PCR検査の拡充が遅れたのか?
 ようやく9月28日になって、「秋から冬にかけて新型コロナウイルスとインフルエンザの同時流行に備え、厚生労働省は、相談や検査の体制を10月中に大きく変えることにしてい」る(NHK)との報道がなされるに至った。
 10月から新型コロナウイルスの相談や検査を地域の診療所が担う見込みとなっていることについて、日本感染症学会の理事長で東邦大学の舘田一博教授は「秋冬のシーズンを迎えると、発熱の患者は確実に増えてくるが、多くが普通のかぜの人のはずなので、保健所だけですべて対応することは現実的ではない。開業医の力を借りることで、深刻な状態が続いている保健所の負担が軽減されるきっかけになるはずだ」と述べました。

 PCR検査の実施が保健所の判断によって決められ、37.5度以上の熱で4日間などの条件が付され、たいへん限定されてしまったために、検査ができずに病状が深刻化するなどの事態が目立ったのは3月から5月にかけてのことである。その体制が10月になって、ようやく改善する方向が見えてきたようである。
 まさに後手後手となっているが、これは感染研が自家調整の試薬にこだわったことが大きな要因となった。それによって文科省や全国の大学との連携が遅れてしまった。これについては、山岡淳一郎『ドキュメント感染症利権――医療を蝕む闇の構造』(ちくま新書、2020年8月)に整理して述べられている。3月初め頃、感染症が文科省を通じて全国の大学に遺伝子検査が可能かどうかヒアリングを始めた。ところが、「感染症の自家調整の遺伝子検査に必要な試薬を配布するので、遺伝子検査ができるかどうかというヒアリングで、感染症の自家調整の遺伝子検査が前提になっていた」(ある大学病院の医師)。このため、大学側は応じることがなかったのだという。山岡氏は「厚労省はテリトリーにしがみつき、文科側は不作為で応じる、大学や研究機関の検査能力はまったく活かされなかった」とまとめている(29ページ)。
PCR抑制論を説く専門家
 現場の医療従事者や市民の苦境を軽んじるかのようなこうした対応に輪をかけたのは、PCR検査を増やすことに大きな意義はないという言説だった。たとえば、専門家会議と分科会の双方に加わっており、厚労省による新型コロナ感染症対策の中心的研究者として尽力した東北大学の押谷仁教授は、4月13日の日本内科学会では、「PCR検査数を増やすなということは一度も言ったことがない」と述べている。
 だが、6月1日の外国人記者向けの会見では、「PCR検査の能力を増やすのはとても慎重だった」と英語で説明している。(個人用防護具)が足りないから検査できなかった、検査で患者が増えると病院のキャパシティが追い付かないから検査を増やさなかった、などと述べていた。また、5月29日の記者会見で、押谷仁氏は「(PCR検査によって)症状のない人でどのくらいの感度で(感染が)見つかるかは分かっていない」と述べ、無症状者に検査対象が広がることに慎重な姿勢を見せた」 (『毎日新聞』5月31日)と報じられている。
 押谷氏は濃厚接触者等への聞き取りでクラスターを見つけていく「積極的疫学調査」推進の中心的人物だが、保健所がそちらに力を入れることによって、PCR検査に割く余力が失われることは避けがたいことだった。3月22日のNHK番組、「“パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~」で押谷氏は、「クラスターさえ見つけられていれば、ある程度制御ができる。むしろすべての人がPCR検査を受けることになると、医療機関に多くの人が殺到して、そこで感染が広がってしまうという懸念があって、PCR検査を抑えていることが日本が踏みとどまっている大きな理由」だと述べていた。
 だが、実は専門家たちは、PCR検査がなかなか拡充しなかったのは、日本にはもともとその能力がなかったからだ、という認識をもっていた。すでに3月10日の参院予算委員会公聴会で政府専門家会議の尾身茂副座長は、「検査は不要だから」、あるいは「医療崩壊を防ぐため」していないのではなく、「検査できないからしていなかった」という趣旨のことを述べていた。押谷氏も、実は検査能力が欠けていたために、苦肉の策として積極的疫学調査で勝負をした、という趣旨のことを何度か述べている。SARSやMERSを経験した東アジアの他の国と比べて、日本は検査体制が整っていなかった。だから、それを補って、検査に匹敵する成果を上げるために積極的疫学調査に力を入れるというのである。
 PCR検査の拡充が遅れた、こうした背景事情について専門家は一度もまとまった説明をすることはなかった。そのかわりに、PCR検査を増やすことにあまり意義はないという科学的根拠のない言説が広まるのを許した、あるいは促したのだった。

醸楽庵だより   1540号   白井一道

2020-10-05 10:55:03 | 随筆・小説



「杉田官房副長官、和泉補佐官に政権批判した学者を外せと言われた」
                                 学術会議問題を前川喜平氏語る

 

 菅義偉首相が日本学術会議の推薦した委員の任命を拒否したことを受けて、学術界に激震が走った。政府からの独立を維持してきた学術界をも、菅政権は官僚と同様に支配しようと踏み込んできたからだ。いったい何が起こっているのか。元文部科学省事務次官の前川喜平氏が本誌インタビューで問題点を語った。
 今回の問題は菅政権で起こるべくして起こったという感じですが、手を出してはいけないところに手を出してしまいました。
 安倍政権は人事権によって官僚や審議会を支配してきました。その中心にいたのが菅さんです。気に入らない人間は飛ばす、気に入れば重用する。これは彼らの常とう手段なんです。
 私が事務次官だったとき、文化審議会の文化功労者選考分科会の委員の候補者リストを官邸の杉田和博官房副長官のところにもっていきました。
 候補者は文化人や芸術家、学者などで、政治的な意見は関係なしに彼らの実績や専門性に着目して選びます。それにもかかわらず杉田さんは「安倍政権を批判したから」として、二人の候補者を変えろと言ってきました。これは異例の事態でした。
 他にも菅さんの分身とも言われる和泉洋人首相補佐官が文化審議会の委員から西村幸夫さんを外せ、と言ってきたこともありました。西村さんは日本イコモス委員長です。安倍首相の肝入りで「明治日本の産業革命遺産」が推薦され、15年に世界遺産に登録されましたが、この産業革命遺産の推薦を巡り難色を示していたのが、西村さんでした。任期が来たときに、文科省の原案では西村さんを留任させるつもりでしたが、和泉さんが「外せ」といい、外されました。
 官僚についても同じようなことを繰り返してきましたよね。本来、内閣から独立している人事院を掌握し、「憲法の番人」と言われた内閣法制局も人事で思い通りにした。成功体験を積み重ねてきた。それで検察の人事にも手を出したが、これは失敗。でも、まだ諦めていないでしょうね。そしてその支配の手を学問の自由にも及ぼそうとしている。
 今回も官僚や審議会の人事に手をつっこむような感じでやってやろうと思ったんでしょうね。しかし、致命的なのは、日本学術会議が科学者の独立した機関だという理解がなかった点です。
 憲法では「学問の自由」「思想の自由」が保障されている。国家権力が学問や思想を侵害してはならないとなっている。だから、日本学術会議の独立性は強いんです。
 しかし、今回の任命の問題は、日本学術会議の独立性を脅かすことになる。日本にいる約87万人の科学者を敵に回したといっても過言ではありません。安倍さんも菅さんも法学部出身なのに、憲法を理解していないんでしょうかね。授業中、寝ていたのでしょうか。任命しないというのであれば、その理由をはっきりと説明するべきです。
 日本学術会議法には「会員は(日本学術会議の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあります。「推薦に基づいて、任命する」というのは、原則的に、「推薦通りに任命する」ということを意味します。
 総理大臣の任命についても、憲法に「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とありますが、天皇陛下は拒否することはできません。「推薦に基づいて~」というのは、推薦通りに任命するのが原則なんです。
 1983年の国会答弁を見ても、「推薦をされたように任命する」ということを政府が認めています。ただ、100歩譲って、任命しないというのであれば、日本学術会議が推薦した以上の理由をもって、説明しないといけない。彼らは学術的な実績を理由に推薦を受けています。その実績に「論文を盗用していた」などの明らかな問題があれば、拒否する理由になるでしょう。
 日本学術会議は内閣総理大臣の所轄です。菅さんには推薦を拒否する理由を説明する責任がありますが、「自分たちの意に沿わないから」という以上の理由を説明できないでしょうね。
 政権にとって都合の悪い人間を排除していけば、学術会議が御用機関となります。それでは彼らの狙いは何か。それは、軍事研究でしょう。
 政府は日本の軍事力強化に力を入れてきています。防衛省では15年に「安全保障技術研究推進制度」を導入しました。防衛省が提示するテーマに従って研究開発するものに、お金を提供する制度です。導入当初は3億円だった予算規模は、今では100億円にもなっています。
 他方で、日本学術会議では、1950年と67年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」と、「軍事目的のための科学研究を行なわない声明」の二つの声明を出している。戦争に協力した反省からです。2017年にはこの二つの声明を継承することを表明しています。
 このときの日本学術会議会長の大西隆さんは「自衛目的に限定するなら、軍事研究を容認していい」という考えでしたが、他の委員から反対があり、「認めるべきではない」となった。
 菅政権にとっては学術会議のこういった人たちが目の上のたんこぶなんですね。最終的には日本の大学で軍事研究を進め、独自の軍事技術を持って、兵器をつくっていきたい、ひいては戦争に強い日本をつくりたいのでしょう。
 学者の方々は官僚のように“大人しい羊の群れ”ではないので、一筋縄ではいかないと思います。今回任命されなかった方々は憲法学者や刑法学者、行政法学者など日本のトップクラスの人たちです。
 しかし、今回の任命拒否は非常に怖いものでもある。1930年代に起こった滝川事件や天皇機関説事件といった学問の弾圧を思い起こさせる。大学や学術の世界を国の意向に沿ったものにしようとしている。
 安倍政権では集団的自衛権や検事長の定年延長について、憲法や法の解釈を都合よく変更してきました。定年延長では法を変えようとまでした。今度は日本学術会議法まで変えようとするかもしれません。
 今回の問題は、これまでの人事とは異次元の問題と見るべきだと思います。
                                   (構成・本誌 吉崎洋夫)
                                   ※週刊朝日オンラインより

醸楽庵だより   1539号   白井一道

2020-10-04 13:09:19 | 随筆・小説



 朝鮮戦争が戦後日本の政治体制をつくった



句郎 華女さん、朝鮮戦争を知っているかな。
華女 そんな戦争があったことなど知らないわ。ベトナム戦争だったら、覚えているわよ。
句郎 今からちょうど70年前、1950年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国軍の戦車が大韓民国内に38度線を突破して侵入してきたことによって、南北朝鮮の内戦が始まった。この朝鮮の内戦を朝鮮戦争というんだ。
華女 1945年8月15日に日本が終戦した五年後の事ね。
句郎 中国では連合国側に付いていた中華民国軍と中国人民解放軍との内戦が1945年後始まり、連合国側の米軍は中華民国軍側を支援して戦ったが1949年中国人民解放軍は首都北京に入場し、10月1日、中華人民共和国の成立を宣言した。中華民国軍は台湾に逃げ延び、台湾に中華民国を建国した。その結果、アメリカを中心にした国際社会は台湾の中華民国が中国を代表する正式な国家として承認してきた歴史がある。
華女 今や中国はGDP世界第2位の経済大国になっているわね。今の中国が世界的に承認されたのはいつのことなのかしら。
句郎 それは1972年の事であった。その時、西側諸国の中でもっとも大きなショックを受けた国が日本だった。この時点でイギリス・フランス・イタリア・カナダはすでに中華人民共和国を承認しており、西独と日本は未承認で特に日本は中華民国との関係が深く、まさに寝耳に水であった。しかもニクソンは別の理由から日本への事前連絡をしなかった。当時ニクソン大統領は日米繊維問題で全く動かない佐藤首相に怒っていたと言われている。国務省は1日前に前駐日大使だったウラル・アレクシス・ジョンソン国務次官を日本に派遣しようとしたがニクソンは反対して、ジョンソン次官は急遽ワシントンに駐在している駐米大使の牛場信彦に声明発表のわずか3分前に電話連絡で伝えたという。元朝海浩一郎駐米大使が在任中、日本にとって最大の外交的悪夢は何かと聞かれ、それは日本があずかり知らぬ間に米中が頭越しに手を握ることと答えた。このことが1971年夏のニクソンシの中国訪問によって現実のものになった。牛場大使は「〈朝海の悪夢〉が現実になった」として唸ったと言われている。
華女 今の中国が国際社会から認められるようになったのはたった50年近く前からの事だったのね。
句郎 中華人民共和国が成立した翌年の1950年には朝鮮戦争が始まり、この戦争は現在に至るも終わっていない。未だに休戦状態のまま現在に至っている。
華女 ということは、未だに朝鮮半島では南北がにらみ合い、戦争状態は続いているということなのね。
句郎 この朝鮮戦争の強い影響下に現在の日本はあるように思う。この朝鮮戦争なしには日本の戦後、不思議な事件が起こり得なかったと思う。
華女 日本の戦後に起きた不思議な事件とはどんな事件があったのかしら。
句郎 その一つの事件が「帝銀事件」というものだ。帝銀事件は、1948(昭和23)年1月26日に起きた銀行強盗殺人事件である。帝国銀行椎名町支店の行員など12名が毒殺され、現金・小切手が強奪された事件だ。
華女 そんな事件があったのね。
句郎 犯人は、窓口業務終了直後に一人で銀行に現れ、近所の具体的な場所を示して集団赤痢が発生したこと、実在の米軍将校の人名を出してGHQの消毒班がそこまで来ていること、事前に「予防薬」を飲んでもらうと言って、自分もそれを飲んで見せ、用意させた茶碗に手際良く「予防薬」をつぎ分け、行員たちに一斉に毒物を飲ませ、殺害した。
華女 犯人は捕まったのかしら。
句郎 容疑者として画家・平沢貞通が逮捕された。平沢は、逮捕1ヶ月後に犯行を「自白」したものの、裁判では一貫して無実を訴え続けた。1955年には最高裁で平沢の死刑が確定したが、死刑の執行はされずに釈放されることもなく、平沢死刑囚は1987年に95歳で獄死した。この事件と朝鮮戦争とは、深く結びついていると私は考えている。平沢氏は朝鮮戦争の犠牲者だ。


醸楽庵だより   1538号   白井一道

2020-10-03 13:09:22 | 随筆・小説

 
 日本学術会議が会員に推薦した人を菅首相は任命しなかった。



 中曽根元首相は「政府が行うのは形式的任命にすぎません」と答弁

 実際、1983年5月12日の参院文教委員会では、日本学術会議の新会員の選定を公選から推薦にし、その推薦に基づいて総理大臣による任命制をとるとする改正案について、手塚康夫・内閣官房総務審議官(当時)は「私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません」と答弁。さらに、高岡完治・内閣官房参事官(当時)も「内閣総理大臣が形式的な発令行為を行うというふうにこの条文を私どもは解釈」「内閣法制局におきます法律案の審査のときにおきまして十分その点は詰めたところ」と答弁している。さらに、当時の中曽根康弘首相も、こうはっきりと述べていたのだ。

「学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません」
「実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為」

 現に、この改正案が可決された際の附帯決議では〈内閣総理大臣が会員の任命をする際には、日本学術会議側の推薦に基づくという法の趣旨を踏まえて行うこと〉とある。つまり、政府見解では総理による任命は「形式的行為」でしかなく、日本学術会議からの推薦を任命拒否することは、明確に「法の趣旨」に反しているのである。
 しかし、内閣府と内閣法制局が参加した本日の野党合同ヒアリングでは、新たな事実が判明した。というのも、「任命拒否」をめぐっては、2018年に内閣府は内閣法制局に対し法解釈について問い合わせをおこない、菅政権発足直前の先月9月2日ごろにも内閣府は内閣法制局に2018年の法解釈について口頭で確認をおこなったというのだ。
 これが事実ならば、安倍政権時代から日本学術会議からの推薦者を任命せずに拒否する策を練っていたということになる。実際、日本学術会議は2017年3月にも軍事研究を否定した過去の声明を継承するとした新声明を出すなど、軍学共同を進める安倍政権に釘を刺していた。同年秋におこなわれた改選で安倍首相は任命を拒否することはなかったが、実際には政策に疑義を唱える日本学術会議への報復のため、人事による萎縮を狙い任命拒否できる方法を探っていたのだろう。
 となると、重要なのは2018年におこなわれたという法解釈の中身だが、野党合同ヒアリングで「解釈変更したのか」と問われても、内閣府や内閣法制局側は「まさに義務的に任命されなければならないということではないというふうに解釈している」などと明言を避け、今回の任命拒否は「解釈の変更ではない」と強弁。2018年に作成されたという法解釈にかんする文書も「確認中」だと繰り返して提出されることはなかった。
「litera」10月2日より

醸楽庵だより   1537号   白井一道

2020-10-02 12:29:19 | 随筆・小説



菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性    
                                  渡辺輝人  弁護士10/1(木)



 本日、菅義偉首相が、日本学術会議が推薦した同会議の会員候補者105名のうち6名の任命を拒絶し、残りの99名のみ任命しました。東京慈恵医大の小沢隆一教授、早稲田大学の岡田正則教授、立命館大学の松宮孝明教授、東京大学の加藤陽子教授の名前が挙がっています。
日本学術会議の目的
 同会議のホームページによると、目的は以下のようにされています。
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。職務は、以下の2つです。
・科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
・科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。
 最近でも、下記のように性的マイノリティの権利保障に関して法整備の提言を出しています。
会員選任の仕組み
 政府からの独立性を保つため、日本学術会議の会員の選任については「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」(日本学術会議法7条2項)とされています。同法17条は「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。」としています。
 このように、同会議の推薦に「基づいて」とされているのに、総理大臣が同会議の推薦を無視して会員の任命を拒絶することができるのか、ということがさしあたって問題になります。
今日の政府の見解
 この点、今日の午前中の加藤官房長官の記者会見で下記のやりとりがなされています。時刻は動画上問答が始まる時刻を示します。法的に重要な部分を太字にします。
9:07 朝日新聞キクチ 重ねてお伺いします。今回任命に至らなかった理由として、今、明確な理由はないように私は受け取りましたけど、首相の政治判断で任命しなかったと理解してもいいんでしょうか。またあの、もしそうであれば、憲法が保障する学問の自由の侵害に当たると思うんですけれども、官房長官のご認識を
9:33 加藤官房長官 まず一つは、個々の候補者の選考過程、理由について、これは人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります。それから、先ほど申し上げたように、日本学術会議の目的等々を踏まえて、当然、任命権者であるですね政府側が責任を持って行っていくってことは、これは当然のことなんではないかという風に思います。で、その上で、学問の自由ということでありますけれども、もともとこの法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないという風に考えています。
 もともと、内閣総理大臣には、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使することが法律上可能、というのが菅政権の見解のようです。
国会答弁との矛盾
 しかし、選挙により日本学術会議の会員を選ぶ制度に代わり、現在の推薦制度が導入された1983(昭和58)年の国会審議では下記の政府答弁がされています。
参議院-文教委員会-8号 昭和58年5月12日
○粕谷照美君 ~略~さて、それで推薦制のことは別にしましてその次に移りますが、学術会議の会員について、いままでは総理大臣の任命行為がなかったわけですけれども、今度法律が通るとあるわけですね。政府からの独立性、自主性を担保とするという意味もいままではあったと思いますが、この法律を通すことによってどういう状況の違いが出てくるかということを考えますと、私たちは非常に心配せざるを得ないわけです。
 いままで二回の審議の中でも、たしか高木委員の方から国立大学長の例を挙げまして御心配も含めながら質疑がありましたけれども、絶対にそんな独立性を侵したり推薦をされた方を任命を拒否するなどというようなことはないのですか。
○政府委員(手塚康夫君) 前回の高木先生の御質問に対するお答えでも申し上げましたように、私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。
 政府は、総理大臣の任命は形式的なもので、会員の任命を左右するものではない、と明確に答えているのです。さらに、同じ日の審議で以下のようにダメ押しされる形で答弁を繰り返しています。
○粕谷照美君 たった一人の国立大学の学長とは違う、セットで二百十人だから、そのうちの一人はいけませんとか、二人はいけませんというようなことはないという説明になるのですか。セットで二百十人全部を任命するということになるのですか。
○説明員(高岡完治君) そういうことではございませんで、この条文の読み方といたしまして、推薦に基づいて、ぎりぎりした法解釈論として申し上げれば、その文言を解釈すれば、その中身が二百人であれ、あるいは一人であれ、形式的な任命行為になると、こういうことでございます。
○粕谷照美君 法解釈では絶対に大丈夫だと、こう理解してよろしゅうございますね。
○説明員(高岡完治君) 繰り返しになりますけれども、法律案審査の段階におきまして、内閣法制局の担当参事官と十分その点は私ども詰めたところでございます。
 なお、この前の5月10日の審議では、官僚だけでなく、国務大臣である丹羽兵助・総理府総務長官も、総理大臣の任命は形式的だということを「守らしていただくことをはっきり申し上げておきたいと思います。」という答弁をしています。
 この政府の見解だと、総理大臣の任命自体が要らないように思われますが、5月12日のこの後の審議で、選挙を経ないで公務員に就任するから、付随的な行為として形式的な任命を行わざるを得ない、と答えています。これ自体は、公務員の労働問題を行う筆者としても、なるほどな、と思う理由付けです。
違法の疑い
 しかし、そうすると、会員の人事(任命)を通じて日本学術会議に監督権を行使することが法律上可能、という加藤官房長官の記者会見の発言は、日本学術会議法7条2項について、総理大臣の任命権は形式的なものに過ぎない、という政府の鉄板の国会答弁(従って公権解釈)と明確に矛盾するのではないか、という疑いが出てきます。
 そもそも、このような選別を行うことが学問の自由を保障する日本国憲法23条に反する、という重大な指摘もされています。憲法違反や、法律違反をしていないか、十分なチェックが必要でしょう。

醸楽庵だより   1536号   白井一道

2020-10-01 15:06:31 | 随筆・小説



 朝日新聞販売所が我が街に無くなった



 定年退職後、私は37年間読み続けて来た朝日新聞を取るのを止めた。家内がどこの家でも新聞を取っているのだからと言って、勝手に数か月後又朝日新聞が配達されるようになった。がまた私は三ヶ月ほど朝日新聞を読んでいたが、新聞屋に出向き、取るのを止めた。新聞が配達されなくなると、何か清々とした気持ちになった。新聞をゴミ出しに行かなくて済む開放感のようなものがあった。「どうして、新聞を止めるの」と、家内が言う。「君が新聞を読んでいるのを見たことがないね。君は新聞を読みたいのかな」。「ぜんぜん新聞も読まないのかと、世間の人に思われるのではないかと思って」と家内は言った。家内は世間体を気にしている。だから私は言った。「最近の新聞は広告ばかりで、読むところが少ないよ。こんな広告を見るために新聞代はすごく高いよ。だから朝日新聞を読むのを止めたんだ」と私は言った。「仕事がなくなったから、新聞を読む必要がなくなったというわけなの」。「確かに新聞は仕事上、必要だったという点はあるけどね。『天声人語』など、若かったころのものなど、心に沁みる名文があったように思うな。でも最近は心に沁みるような文章に出会うことがほとんどなくなってしまったように感じている。そけだけ私自身の感性が鈍くなってしまったのかもしれないけどね」と、このような会話を家内とした。
 ニ、三週間後のことである。朝日新聞販売店主が自ら訪ねて来た。「今度はどこの新聞をとられる予定ですか」と問われた。私はどの新聞も読むのを止めましたと答えた。私は高校生の頃、新聞を読む楽しみを覚えた。部分的核実験停止条約を巡って、中ソ論争が行われた時など、中国の主張とソ連の主張の違いに胸をときめかして読んだ記憶が残っている。それから五十年近く、私は毎日新聞を読んできた。それでも新聞がなくても読みたいと感じることがない。それには理由がある。インターネットを通じていくらでも好きな文章が読め、好みの動画を見る事ができる。新聞より豊かな世界がそこにはあるように思う。
 ネットで情報を検索すると新聞やテレビで報道されている事とは異なった情報がそこにはあるように思う。私は山本太郎前参議院議員の「れいわ新選組」の街宣をyou tubeで見ている。テレビの報道番組やNHKのニュース番組で山本太郎氏の「れいわ新選組」の報道を見たことがない。山本太郎氏は述べている。テレビが私を報道しないのは当たり前のことだ。なぜなら民放が私を報道して何かいいことがあるのかと。民放は広告費として企業からお金を貰っている。広告主の主張を報道してこそ、広告代の請求ができると。NHKもまた同様である。国民からの受信料によって経営しているが、国に予算等を報告させられている。国の政策に反することなど報道できないと発言している。前回の参議院選挙中も「令和新選組」の選挙運動をテレビカメラに収めていたが、選挙前には一切報道されることはなかった。しかし選挙後、民放でもNHKでも報道してくれたと。
 私自身、朝日新聞を取るのを止めた直接的な出来事は、朝日の記事内容について、読者担当に電話したことである。朝日新聞社説の内容についてであった。日本独自の対中国政策を持つべきだという主張が今の朝日新聞にはないのかというような質問に対する回答が政府寄りであった。このことに落胆し、私は朝日新聞を読むことを止めた。
 山本太郎氏が言うように新聞も民放もすべて国と企業の言い分を主張し、国民のためになるようなことを一切報道しないのが、今の新聞とNHK、民放の現実なのかもしれない。
 世論はマスコミがつくっている。だから与党の支持率は高い。現実の生活の中で国民はNHKや民放が報道しているようなことが実感できない以上、政府与党の支持率はほぼ全有権者の四分の一程度を超えることはないようだ。全有権者の17%の得票で自民党政権はできている。
 小沢一郎氏が述べているように小選挙区制度のもとでは、自公政権は盤石なものではなく、野党が連合し、選挙に臨むならば、政権を自公から奪うことは可能なのであろう。野党連合政権が成立した暁には、今度は反対にNHKも民放も新聞も野党連合政権のプロパガンダ機関になるのだろうか。いやその時はそのようにはならないのが前回の民主党政権の時のように厳しい批判にさらされることになるのではないかと危惧している。官僚が野党連合政権に積極的に協力することはないように思うし、またマスコミも非協力的かもしれない。