醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   51号   聖海

2015-01-05 11:07:47 | 随筆・小説

 

   山路来て何やらゆかしすみれ草  芭蕉

句郎 芭蕉の句の中で華女さんが好きな句は何なの。

華女 初めて芭蕉の句を読み、いいなぁーと思った句は「山路来て何やらゆかし

    すみれ草」かな。

句郎 「野ざらし紀行」の中の句だったかな。

華女 そうよ。「野ざらしを心に風のしむ身かな」を巻頭に掲げて始まる紀行文よ。

句郎 深川から中山道・近江路・京都・奈良・伊賀上野を回る紀行文だね。

華女 中学生の頃、国語の先生が教えてくれたように思っているんだけど。

句郎 中学生の頃、華女さんは芭蕉の「山路来て」の句をどのように受け取ったの。

華女 里山のハイキングをしていた少年が歩き疲れて、道野辺に腰を下した傍らに

    菫が咲いていた。その菫の花に見惚れている少年というイメージかな。

句郎 なるほどね。その色白の少年に見つめられている可憐な少女、華女さん。少

    年の視線を感じる。そこにこの句の魅力を感じたということかな。

華女 まぁー、そうね。可憐な美少女は私なのよ。でもね、高校に入って芭蕉を習っ

    たのよ。その結果、イメージが狂ってきちゃったわ。

句郎 どう、違ってきちゃったの。

華女 少年が中年の小父さん、芭蕉のイメージになったのよ。国語の先生のイメージ

    に見えてきたの。痩せて、額に皴がより、ぼそぼそと話す髪の毛が薄くなった干

    からびた小父さんのイメージよ。

句郎 そりゃ、残念だね。

華女 残念だったわ。そんな気持ちのまま、万葉集を習ったの。山部赤人の歌「春の野

    に菫採(つ)みにと来(こ)し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿(ね)にける」を知ったわ。菫

    に心を奪われる青年のイメージが膨らんだのよ。菫のゆかしさに心が動く青年、い

    いなぁーと思った。青年の視線を感じるのよ。高校生の頃の華女はゆかしい美少女

    だったから。登下校の電車の中で大学生からの視線を感じたものなのよ。

句郎 へぇー。華女さんの高校生の頃の写真とやらを見てみたい。

華女 そう。いいわよ。でも見ない方がいいかもね。

句郎 どうして。

華女 どうしてもよ。本当に私が美少女だったら、句郎君、どうする。

句郎 どうもしないよ。へぇー、年月というものはなんと残酷なものだと思うかもしれないけどね。

華女 そんなつまらないこと、どうだっていいじゃない。

句郎 万葉集を習い、芭蕉の句「山路来て何やらゆかしすみれ草」の解釈が変わったの。

華女 そうなのよ。菫に心を癒される詩人・芭蕉というイメージに変わったわ。山部赤人のイメー

    ジが芭蕉の上に被さったというような感じかな。

句郎 「野ざらしを心に風のしむ身かな」。風狂に生きる芭蕉でなく、自然の中に生きる芭蕉・詩

    人ということかな。

華女 芭蕉は自然の中に生き、自然の中をわが住いとした優しいやさしい人だったのじゃないか

    しら。

句郎 僕もそう思うよ。自然の中に生きるということはとても厳しいことだから風狂に生きなければ生

    きられないと同時に自然と共に人に優しく生きなければ生きられない。