東日本のヒトのための奈良市観光案内㉒ 大仏の裏側
国の宗教が仏教になったので東大寺は、国の中心に一時的にせよなったと考えられる。朝廷が移ってきたのと同じである。そのあと武家政権の成立などにより朝廷が衰微すると自分でご飯を調達しないとやっていけないようになったと考えられる。昔のヒトは今よりずーと発想が柔軟であったようで、例えば出雲大社は縁結びの神様に変身することによって、三重の伊勢神宮は観光業で生きていくことにした。朝廷とは関係ないけど高野山は、呪い業の本山であったのに観光業でやっていくことにした。東大寺も今でいえば、内閣府みたいな立場であったのに観光業になって大成功した。
その大仏はいろんなものを受け入れる度量の大きいところがあって、大仏様の前では時々音楽会が催される。もうずいぶん前だがサラ・ブライトマンのコンサートは驚いた。むかし百官が集まって儀礼をし、平の何某が焼き討ちの兵を集めた場所で外国のアーティストがコンサートである。世の中は長い時間の間には信じられない変化をする。変化を呪っても仕方ない、出雲大社のように伊勢神宮のように高野山のように東大寺のように生き残っていかねばならないと思うばかりである。
さて、大仏の裏側には時代がずいぶん新しくて江戸中期の小さい仏像が置かれている。そこには大坂の米穀商何某が娘何某のために奉納したというような意味のことが書かれている。想像するに、娘さんを連れて大仏を参拝し娘さんは大変気に入ったとみられる。そのご多分流行り病であろうお嬢さんは夭折された。おとうさんは、お嬢さんのお気に入りの場所に形見を置きたかったとみられる。
大仏様は、今のディズニーランドに相当する。私どもは、米や味噌に比べてついついエンタメを軽く見る傾向がある。米や味噌と同じくらい大事なものだと思う。芸術の価値は法華堂や戒壇院に劣るけれど、エンターテインメントの価値は法華堂や戒壇院を凌駕しているのかもしれない。
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