小説 鈴木善太郎の停職二か月
善太郎は、高校生の時見たこともない数学の難問をあれこれひねくり回しているうちに、偶然解けてしまった経験がある。その時の快感が忘れられないままである。脳科学者が言うドーパミンがド~とでる経験であろう。その快感を若い生徒に味あわせてあげようと母校の数学の先生になって三十数年、来年はもう定年の年になってしまった。
一貫して数学は努力と根性をモットーにして気合の入った授業は、一部の生徒には熱烈に支持されてきた。もちろん同僚の教師にも高い評価を得たが、ごく一部には知恵のない効率の悪いやり方として批判する向きもあった。ある若い教師は陰でこう言っていた。
「努力と根性では、なんぼ上等のエビを餌にしてもタイは釣れまへん。タイのぎょうさん泳いでるとこを見つけるコツを教えたらないけません。コツを教えないで努力根性云うたかて、それ人生の時間の無駄使いになるのんと違いますやろか。」
幸い、この陰口は善太郎の耳に入ることがなかったので、事件にはならなかった。もし耳に入ったらひと悶着は起こったであろう。
柄井かんなは、ことし三十になるが英語以外にも語学に堪能な英語教師である。大学卒業後すぐに専門商社に勤めたが、ヒトとかかわる仕事がしたくて転職して二年目である。ある時学年集会で善太郎は、もう自分もあと何回生徒にお説教できるかと不安に思っていたこともあり、熱弁に力が入っていた。
「…みんなは平日は五時間以上は家庭で勉強しないといけない・・・・・・・」
その集会の帰り道の廊下で、一人の生徒がかんなに五時間なんてとてもできないとぼやいた。それを聞いたかんなは、集中してやればもっと短くて済むはずだと答えた。これがそばにいた善太郎の耳に入ったのがいけなかった。自分が三十数年奉じてきた自説を批判されることは、自分の人生を否定されたようなものである。自分の人生は努力根性を人に説くことが使命である。努力根性は美しい。
次の日から、善太郎は柄井教諭の仕事上の欠陥を探し続けた。ちょっとしたミスを見つけては、本人に直接ガミガミ注意を与える。当然周囲の者は気を揉むが、普段から努力根性の正義旗を推し進める善太郎には正面切って注意を与えるものは居なかった。
ユダヤの格言に
「売れるものなら何を売ってもいいが正義だけは売ってはいけない」
とあるのに、善太郎は誠心誠意の善意から正義を売ったのである。
善太郎が、柄井教諭に「もうあんたとは一緒に仕事をしない。」とのメモを渡した日に、柄井教諭は自死してしまった。事の顛末を知った教育長は、懲罰委員会を開催したが、善太郎をパワハラであるとしてごく軽い停職二か月とした。重い処分にすると他の努力根性の理念で頑張っている教員のやる気を削ぐことになるのを恐れたのである。規則では、停職十二か月まで科することができるのであるが。
勿論マスコミは、人の命が失われて停職二か月とは何事かと非難轟轟である。教育長は何も言わず黙っていればいずれ世間は忘れてくれると思っている。善太郎は、おれの矜持を傷つけた奴に天罰を加えてやっただけなのになんで停職二か月を食らうのか怪訝である。
あの善太郎を批判していた若い教員は、善太郎が二か月の停職に入った初日に退職願を出した。退職願いは前日の夜かいたのであるが、退職事由の欄には、はじめ
「自分もパワハラを受ける虞あるため。」と書いた。
やがてその若いのが寝につく前にそれを二重線で消して訂正印を押し。
「自己都合による。」
と書き直した。もう何を言っても無駄と見たのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます