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本の感想

本の感想など

映画 哀れなるもの②

2024-02-25 20:05:49 | 日記

映画 哀れなるもの②

 哀れなるものが女性であるという見方に立つとわかりやすい映画であるが、哀れなるものが男であるという立場で見るとかなり残酷な北欧の童話(アンデルセンでもグリム兄弟でもどちらでも)と見ることができる。ただそうすると、これが日本の女性に支持される映画である理由が薄くなる。日本人はこういう残酷な復讐物語を好まないのが普通だと思うのだが。日本昔話のかちかち山も浦島も少し残虐なところもあるが北欧の童話には質量ともに比べ物にならない。

 主人公の脳の父親体の部分の夫は、最後羊にされてしまう。脳の部分体の部分両方に残酷な仕打ちがあったので同じく残酷な復讐をされた。それも20年30年経ってからである。どうもユーラシア大陸には我々からみて驚くほどのしつこい復讐をする伝統があるようである。アメリカ型のうまく立ち回って相手の富を強奪するというのとは、味わいの全く異なる復讐の感情である。その復讐された男が哀れなるものという題になっている。もしそうなら、日本の比較的若い女性にこの映画が好まれているということは、かなり恐ろしいことではないか。日本の若い女性の心に大きな変化が最近起こったのではないか。日本の厚生省の官僚の皆さんはここに気づいているのか、多分気づいていないであろう。数字ばっかり見ていると他人の心を見ることはできないものである。

 

 事実かどうかは知らないが、(多分事実だと思うが)秦の始皇帝に宦官にされてしまった男は、始皇帝の死後その息子のうち最も暗愚なのを選んで二世皇帝に建てることで秦を滅ぼしたという。この復讐劇に匹敵するくらいしつこい復讐である。

 ヨーロッパにしつこい復讐あるのであれば、軽々しく人をいじめをしたりブラックに人をこき使ったりはできないであろう。子々孫々何代にも渡って復讐されるおそれがあるからである。日本では過去を水に流すのでいまだにブラックに人をこき使ったりする。日本人もこのくらいしつこく復讐すれば社会の構造も変わるのであるが。たぶん哀れなるものはこの父親というのが、この映画のテーマではないか。わかりにくいけど。

映像が美しいという意見があるが、私はそう思わない。陰鬱な映像であった。


映画 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最後の愛人③

2024-02-25 10:18:09 | 日記

映画 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最後の愛人③

 これだけよくできた映画なのに、主役はミスキャストしている。主役は、わが国の夢二描くような儚げな人(実物のジャンヌ・デュ・バリーの肖像画も確かに儚げな人である)でないといけないのにバリバリ働くキャリアウーマンみたいな人が演じている。ためにこの映画の評価が三割は下がってしまっている。

 あろうことか、主役のマイウェンは監督と脚本(の一部)まで兼ねていたらしい。自分で自分を主役に抜擢したのか。大相撲で横綱と行司を兼ねてはいけないであろう。監督はそのいけないことをしてしまった。

ルイ15世が公妾(公娼ではない)にジャンヌ・デュ・バリーを選ぶときの場面は一つの見せ場になっているが、観客のほとんどは、エッまあこの人奇麗だけど国王は選び放題の立場にあるんだからもうちょっと優しそうな人を選ぶのがいいのではないかと思ったと思う。国王の趣味に容喙するのは失礼だけど国王は蓼食う虫なのか?と思ったと思う。

 

このフランス映画のいいところは、すべての画面が名画のように美しく撮られていることで、これは画家彫刻家建築家をパリに集めて芸術の都になったことの結果であろう。絵画の伝統は映画の中に生かされている。思うに、ルイ14世によって集められた芸術家とその子孫はフランス革命でパトロンを失ったので、新たに勃興したブルジョア階級をパトロンにすべく努力を重ね新たな絵画の潮流を開いたと考えられる。今度は大衆が新たな階級にのし上がってきたのでその大衆をパトロンにすべく努力を重ねているところであろう。大衆に見せるには、美術館は小さすぎるので映画館が宜しい。そこで映画の画面造りに芸術の才能が活かされることになったとみられる。ルイ14世の豪奢は国の財政を滅ぼしたかもしれないが、こうやって今私どもがアートを享受できる下地を作ってくれた。ありがたいことである。

 そう言えば世界三大料理の仏中トルコ料理は、それぞれ治乱興亡のあった国である。それぞれに食いしん坊の王様が居て、その国が滅んだときに料理人が街にでて新たな顧客の舌にあうように料理の技術を磨いて世界三大料理になった。

わが国では、将軍はあんまりいいものを食べていなかったと考えられる。幕府が滅んだときに将軍の料理人が街に出て、料理の質が上がったとはとても言えない。寿司も天ぷらもうどんも蕎麦も庶民の料理である。わが国のアートのパトロンは江戸の昔から大衆であったと考えられる。ために日本映画の画面はフランス映画の画面に負けているのか。わが国にも曾我蕭白や若冲のような絵画があるんだけど。