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映画 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最後の愛人③

2024-02-25 10:18:09 | 日記

映画 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最後の愛人③

 これだけよくできた映画なのに、主役はミスキャストしている。主役は、わが国の夢二描くような儚げな人(実物のジャンヌ・デュ・バリーの肖像画も確かに儚げな人である)でないといけないのにバリバリ働くキャリアウーマンみたいな人が演じている。ためにこの映画の評価が三割は下がってしまっている。

 あろうことか、主役のマイウェンは監督と脚本(の一部)まで兼ねていたらしい。自分で自分を主役に抜擢したのか。大相撲で横綱と行司を兼ねてはいけないであろう。監督はそのいけないことをしてしまった。

ルイ15世が公妾(公娼ではない)にジャンヌ・デュ・バリーを選ぶときの場面は一つの見せ場になっているが、観客のほとんどは、エッまあこの人奇麗だけど国王は選び放題の立場にあるんだからもうちょっと優しそうな人を選ぶのがいいのではないかと思ったと思う。国王の趣味に容喙するのは失礼だけど国王は蓼食う虫なのか?と思ったと思う。

 

このフランス映画のいいところは、すべての画面が名画のように美しく撮られていることで、これは画家彫刻家建築家をパリに集めて芸術の都になったことの結果であろう。絵画の伝統は映画の中に生かされている。思うに、ルイ14世によって集められた芸術家とその子孫はフランス革命でパトロンを失ったので、新たに勃興したブルジョア階級をパトロンにすべく努力を重ね新たな絵画の潮流を開いたと考えられる。今度は大衆が新たな階級にのし上がってきたのでその大衆をパトロンにすべく努力を重ねているところであろう。大衆に見せるには、美術館は小さすぎるので映画館が宜しい。そこで映画の画面造りに芸術の才能が活かされることになったとみられる。ルイ14世の豪奢は国の財政を滅ぼしたかもしれないが、こうやって今私どもがアートを享受できる下地を作ってくれた。ありがたいことである。

 そう言えば世界三大料理の仏中トルコ料理は、それぞれ治乱興亡のあった国である。それぞれに食いしん坊の王様が居て、その国が滅んだときに料理人が街にでて新たな顧客の舌にあうように料理の技術を磨いて世界三大料理になった。

わが国では、将軍はあんまりいいものを食べていなかったと考えられる。幕府が滅んだときに将軍の料理人が街に出て、料理の質が上がったとはとても言えない。寿司も天ぷらもうどんも蕎麦も庶民の料理である。わが国のアートのパトロンは江戸の昔から大衆であったと考えられる。ために日本映画の画面はフランス映画の画面に負けているのか。わが国にも曾我蕭白や若冲のような絵画があるんだけど。

 

 



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