映画ベネデッタを見る。③ 見ながら一休さんを思い出す
中世の修道院には、何か訳があったのでしょうがお金持ちの家の子が送り込まれるところから映画は始まります。そこでいきなり我が国の一休和尚を思い出しました。天皇の落としだねとして寺に預けられたのですからベネデッタと同じ境遇と見られます。
ところで修道院はどうやら戦乱の世の中で、争う勢力がまあこの中ではお互いに不可侵でやって行こうじゃないかと紳士協定を結んだ場なのか、修道院がこの中で争うものは破門にするとか言い出したのかわかりませんがスイスみたいに中立の場であったようです。奇しくもわが日本の中世でも寺院は中立地帯でかつ事情ある子供を受け入れる場であったようです。両者連絡を取り合ったわけでもないのに社会の中で同じような機能を果たすとはよくよく不思議なことです。もともと宗教には今は目立たないけどそういう機能があったと考えられます。
さらに修道院の中ではワインやチーズを作っていた。我が日本の寺院でも酒や味噌を作っていた。(どうやら発酵食品は製造ノウハウが複雑で自給自足できなかったようです。)ここまで一緒ならわが日本の寺院の中でもこの映画の中で写されているような権力闘争や吝嗇や宗教家としてはやってはいけない堕落があったとしても不思議ではない。一休さんは(絵本の方ではなく、本当の方です。)このご自分の堕落の方をあからさまに書いたことで有名である。印税が入るわけでもないのになぜこんなことを書いたのか不思議で仕方なかったが、この中世フランス舞台の映画を見ながら謎が解けた。
一休さんはいいとこの生まれだから権力闘争しなくてもいい立場にあるし、仕送りもたっぷりあっただろうから吝嗇する必要もなかった。ただまあ暇だったし堕落だけはあったと考えられる。周囲は権力闘争吝嗇堕落だらけであっただろう。一休さんは、ちょっとやり過ぎじゃないかと周囲に反省を求めたかった。直接週刊文春みたいに告発しても周囲の反発を買うばかりでうまくいきそうにない。ならば、自分も堕落してその様を書いて皆に回し読みさせればどうかという高等戦術に出たのではないか。これだと自分のことを書いているのだから世間は非難のしようがない。いちゃもんを付けてきた高僧には「なにもあんたがやってるとは言ってませんよ。」と言えば済むことです。実際のところは恥ずべきところあって誰もいちゃもんを付けに来なかったと推察されます。
もちろんこんなことすると一休さんはそれ以上の出世は望めません。しかしこうしてでも仲間を諫めたかったとみられる。こういう頭の回転のできる人のことを頓智のある人というのであろう。まさか子供向けにこの話をするわけにもいかないので、一休さんの子供向けのお話としてまたは頓智とはなんであるかの説明としてあのような逸話が作られたとみられる。
長年の一休さんの疑問が解けたのはいいが、いま日本人全部がどうもおかしい労働の状態にはまり込んでいる状態を打破するような頓智が私の脳みそでは出てこない。相手の説の矛盾に切り込んで相手を論破するのが頓智です。今の社会のおかしいところを真正面から議論を挑んでも無理でしょう。ここは是非一休さんにお出まし願いたいところです。
よい映画はいくらでもその場面から離れて想像があちこちに飛んで行って実に面白い。ただし、頓智は出すに至らなかったのは残念である。もう一回見たら出るのかもしれない。