山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

柔道フォーラム2

2009-03-25 16:50:10 | Weblog
 3月21日、22日に開催された柔道フォーラムの2日目に問題提起ということで30分間話をさせてもらった。以下、簡単に内容を示す。

 まず、このフォーラムの目的は、指導者の理念を共有し、柔道独自の指導者養成システムを構築する足がかりとするというものであった。北京五輪では、男子が金2、女子が金2、銀1、銅2という成績を残し、なんとか日本の面目を保ったものの、世界ジュニア選手権においては2大会続いて男子は金メダルゼロという現実もある。世界の柔道レベルが確実に向上する中、日本がどういった方向で育成・強化を図っていくかが問われている

 北京以後、強化スタッフも入れ替わり、システムも変わった。こういった経緯を踏まえて、フォーラムでは全国の指導者に向けて、今後に向けた「指導のビジョン」を示す必要があったと思われる。しかしながら、実際には「これから考えていきますよ」という宣言をした程度のものとなった

 指導者養成プロジェクト委員会では、これまで何度となく会議を重ねてきたが、正直なところ指導の理念を統一見解とするには及ばなかった。この議論になると見解がまちまちで結論が出ない。現在の柔道の難しさはここにあるともいえる

 例えば、教育か競技力向上か?人間教育か金メダルか?ということである。もちろん、両立することは可能かもしれないが、実際のところ、「金メダル」をとるという目的のために失ってきたもの、譲ってきたものも少なくない。例えば、選手選考に関してである。「金メダルに一番近い選手を選ぶ」という理由で、当然選ばれるべきであろう選手を外してきた。教育という観点から言えば、「負けるかもしれないが選ばなければならない選手」もいたはずである。そうであってこそ、「柔道は勝ち負けだけではない」と指導者は選手に向かって説ける。石井選手が総合格闘技に転向したことは個人の自由なので問題ないとしても、金メダルをとった後のテレビなどでの振る舞い、言動をみていると金メダルと人間教育が一致しているとは言い難い現実がある

 普及と強化の問題もある。フランスは普及に力を入れており、ピラミッド型になっている。80万人とも言われる柔道人口の約8割が14歳以下である。つまり、フランスにおける柔道は日本のスイミングに似ている。子供達は泳げるようになるためにスイミングにいくが、そこから競技に進むことはごく稀である。それに比べ日本の柔道は道場や少年団から始まって、中学校、高校、大学と、ピラミッドではなく寸胴型というかビルディング型といえる。少子化や教員採用の減少などから、中学校の柔道部の数が激減してきている。そんな中で、日本はこれまで通り、寸胴型を目指すのか、それとも、子供の時代は楽しい柔道にして普及を図り、その後は競技を目指すものだけが残っていくピラミッド型を目指すのか

 全柔連が新しく打ち出した強化システムは、ジュニア強化に小学校高学年が含まれる。これは何を意味するのか?JOCが推奨し各競技団体が近年、取り組んでいるのは、タレント発掘、一貫指導である。早い時期からタレントを発掘し、少数精鋭で効率的に強化を図っていくというものである。卓球、レスリングは中学生6名ほどをピックアップし、ナショナルトレーニングセンターで365日合宿体制で指導している。柔道もこの方向にいこうとしているのか?残念ながらこれについて明確な説明はフォーラムにおいても示されなかった。強化委員長は「早い段階から世界を意識させるために」というに留まった。疑問は、どうやって小学生の中から強化選手をピックアップするのかである。試合で勝った選手がタレントがあると判断できるのか?また、この制度が指導者に基礎を教えなければいけない時期に勝たせるための指導を助長することにはならないのか?

 私の考えは、小学生は強化選手とか、強化合宿ではなく、ブロックごとに講習会、合同練習会などを全柔連が行い、基礎的な技術の講習、トレーニング方法、栄養講座、トップ選手と触れ合うといった機会を多く与えていくことが良いと思う。そしてジュニアのコーチがこういった練習会に参加してタレントのある選手に声をかけたりすればいい。パネラーの谷本(アテネ、北京金メダル)は、中学校時代は柔道は週2回、学校では陸上部だったという。柔道の練習は基礎ばかりだったという。全中には出場していないし、インターハイでも優勝していない。つまり、タレントとは、小学校、中学校で見極められるものではない

 全柔連も含めて指導者の多くは、柔道には基礎が大事であるという。それであれば早い時期から試合を目指してやらせることは、その考えに逆行する。全柔連の強化は、「小学校からエリート選手をつくり、継続して育てることが金メダルにつながる」と考えているのであればそれでもいい。しかし、そのことを明確に外に向けて発信しなければならない。ある意味では、そういった本音の部分を、今後の強化のあり方を今回のフォーラムでは打ち出すチャンスであったはずである。おそらく、まだ強化にも迷いがあるのだろう

 指導者養成システムを構築するにあたって、資格制度を作るのかどうかも問題である。これまでは、教員免許と段位がそれを補ってきた部分がある。サッカーのようにしていくのかどうか?もし、そうであるならば、強かった人間のみが強化コーチになるといった制度も変わっていくだろう。資格をとれば、ナショナルチームも指導できるとしなければ成り立たない。また、現在の全日本コーチたちも資格を取らなければならなくなる。構図としては、ナショナルチームのコーチたちが、日本では最も優れたコーチであるという位置づけになる必要がある。しかしながら、現在に至るまで実は全日本のコーチは指導者としての実績はあまり評価の対象にはなっていない。この部分もプロジェクトでは議論されるべきだろう。

 「柔道界の常識が世間の非常識」という話もした。指導に情熱は大事だが、情熱があれば「殴る、蹴る」があってもいいのかという話である。愛情があるから殴るというが、殴らなくても強くなる選手はいる。海外の選手は皆そうである。「まいった」していても離さず「絞めおとす」こともよくある。世間の人からみたらなんと野蛮な世界に映ることか。相撲で問題が起きたが、これは決して対岸の火事ではない。「強くする」「勝たせる」ためにやっているという指導者もいるだろう。しかし、殴って蹴って勝たせることに本当の価値があるのだろうか?これこそ、勝たせること、強くなることこそ価値があるという非常に狭い視野での考え方であり、柔道の究極の目的である人間教育とはおそよかけ離れている

 もうひとつ、指導者は一匹狼で自我が強い。情熱を持ち、頑張っている人ほど視野狭窄に陥る危険もある。選手同様、指導者も「OPEN MIND」で常に学ぶ姿勢、受け入れる姿勢が大事だと思う。「そんなこと知っている」「わかっている」といった態度からは学ぶものはない。これから様々な形で提供される指導者養成の取り組みを生かすのも殺すのも受け取り方にかかっている

 受け身ばかりでもいけない。述べたように、全柔連も迷いながら進んでいるし、何が正しいのかを示せていない。歩きながら進んでいる状態だ。だからこそ、現場でやっている指導者はどんどん声を上げるべきである。思っていても声をあげなければ伝わらない。今こそ、皆で考え、皆で取り組み、いいものを作り上げていくべきだと私は考えている