山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

オリンピック出場資格

2009-03-09 16:10:44 | Weblog
 IOCとIJFとの会議によって、オリンピック出場資格を変更することがわかった

 オリンピック出場資格を決めるのは2年間(2010年5月1日~2012年4月30日)の大会のポイントとなる。2010年~2011年のポイントが50%、2011年~2012年のポイントが100%に換算される。

 IOCが4年間のポイント換算を認めなかった背景には、「オリンピック開催前年などに若い選手が彗星のごとく現れた場合にも対応できるように、あるいは、4年前もしく3年前にポイントを稼いでしまってオリンピック直前には力が落ちてしまう選手もいるだろう」がある。

 ただし、IJFは今年2月から始めたランキング制度は継続し、それによってシードなどを決めていくので、オリンピック直前に大会に出始めても、敗者復活戦もない状態で初戦に強豪とあたってしまってポイントが稼げないということもあるので、やはり今からコツコツとポイントは稼いでおくに越したことはない

 しかしながら、今年、来年、どんなに頑張ってもオリンピック出場資格のポイントには換算されないので、3年後などに怪我をしてしまったらチャンスは無いに等しくなる

 この改正で、選手は以前と同じとまではいかないが、比較的気を楽にこの2年間を過ごすことができるかもしれない

 日本男子は、今回のヨーロッパツアーでは苦しい状況であったが、2年間かけてじっくり選手を育成できる状況になったとも言える

 心配なのは、IJFが肝いりで始めたランキング制度、その根幹を成すオリンピック資格がこうも簡単に変更されしまうことだ。変更する前にIOCと詰めた話をしていなかったのだろうか?この2年間のポイントがオリンピック出場ポイントに直接関係ないとなると、これからの国際大会に出場選手が少なくなることが予想され、ただでさえ不況でスポンサー獲得が難しいのに、追い打ちをかけられた状況になる

 ヨーロッパのツアーは転戦も可能で、ヨーロッパの選手の出場があるのである程度の人数が見込めるが、日本やブラジルなどはどうなってしまうことか???

 だいたい、ヨーロッパの大会が圧倒的に多い中でのこのランキングシステムは、ヨーロッパ以外の選手には非常にアンフェアなものであると思うが、ヨーロッパ以外の主催国にとってもアンフェアなものだと言わざるを得ない

 対ヨーロッパを考えて、アジア、パンナム、オセアニアなどが連携をとっていくことが今後ますます重要になるだろう。ヨーロッパと仲良くしても、彼らは所詮自分たちを最優先に考えるのでこちらにメリットはない。ヨーロッパ以外の大陸がいかに団結して自分たちの主張をしていくかが大事であると私は思う

国内競争力の低下?

2009-03-06 09:11:18 | Weblog
 1月から始まったヨーロッパでの国際大会も一段落。この後、選手達は4月の選抜体重別、全日本選手権に向けて調整をしていく。大会を全般的に振り返ると女子は全ての大会、ほとんどの階級において納得のいく結果を残した。結果を残した選手が多かったが為に、誰を世界選手権の代表に選ぶかが難しくなったともいえる。嬉しい悲鳴ではあるが、何度も言っているように、大会前にある程度の選考基準を明らかにしてほしい。日本においても今後は国際大会の成績でランキング制を採用し、その順位によってシードを決めていくなど、今後は検討されていくべきだろう

 女子に比べて男子は予想通りではあるが、厳しい戦いが続いている。日本の男子は私の時代には、3番手、4番手であってもメダル争いに絡んでくるのがほとんどだった。ところがここ数年、1番手であってもメダルに絡めないことも多く、2番手以下では勝負にならないといった状況である。原因については様々な見解があるだろうが私なりに分析してみた

 現在でも技術でいけば、選手層は日本男子が世界に抜きん出ていると思う。海外のチームが日本に来て、いずれのコーチも言うことは「日本には素晴らしい選手が多い。あれが日本で5番手?なんて信じられない。連れて帰りたいよ。」

 優れた選手は多いのになぜ試合で勝てないのか?ということを考える必要があるだろう。

 一つの理由に、強い選手が集中しすぎているのではないだろうか。強化を図っている大学は多くの選手をとっており、時には同じ階級の選手(その年のインターハイなどの上位選手)が複数入学するケースもある。もちろん、学内で切磋琢磨して強くなることもあるが、馴れ合いになってしまってどちらかが沈んでしまうことも多い。大学選手権などをみると上位は関東圏に集中しており、常連校は決まっている。選手が数カ所に集中してしまっていることはもしかしたら競争力を低下させているのではないか。ドラフトとまではいかなくても、強い選手がある程度分散し、学内ではなく国内大会で競い合えるようになれば、競技の面白さも増す。

 強い選手がたくさんいると、監督、コーチも集中した指導ができないのかもしれない。数いる中で揉まれて出てきた選手が強いのだから、待っていれば良いという考え方もある。しかし、本当にそうだろうか?外国選手が強いのは、少ない種を熱心に集中的に育てるからである。育てられた選手は自分が期待されているという自覚も自信も芽生える。優秀な選手が多すぎて育てることが難しいというのは皮肉な話だ

 次に、大学によっては強い選手に対して授業料免除、寮費免除などの待遇をしている。経済状況が悪化していることもあり、地方から関東圏の大学に進学させる負担は大きい。その点から見れば、こういった制度はありがたい。しかしながら、選手自身がこういった優遇に甘えることなく、目標に向かって研鑽を積まなければ生きた制度とはいえない。親が苦労して出してくれていると思えば「なんとか頑張ろう」との意欲もより強くなるのだろうが、学校が出してくれている場合には「自分はこの大学に入ってやった」ぐらいの選手もいるのではないだろうか。選手もそうだが親にもそういった勘違いをしているケースがみられる。制度の趣旨はよくてもそれを生かすのは選手自身である。恵まれた環境を選手達が生かしきっていないような気がする。

 負け癖も一因だろう。少し前までは、国際大会において負ければ「外国人に弱い」ということで二度とチャンスを与えられないこともあったという。最近では「負けても当たり前」「自分だけではない」といった雰囲気があるように思う。国際大会の数もジュニアを含めて飛躍的に多くなっているので負けても負けてもつかってもらえる安心感がある。選手の試合後の反省文などをみると、毎大会で同じことを言っている選手も少なくない。つまり、負けたことが薬になっておらず、進歩がない

 ではどうしたらよいのか?ということになるのだが・・・。

 おそらく今までのように「放っておいても強くなる」という訳にはいかないのだろう。技術も身体能力も全体的なレベルは落ちてきているようにも感じる。外国の選手がどうのこうのというよりは、もう一度国内の指導体制や強化方法、システムを見直すことが大切である。高校、大学など現場の先生方との理念の共有と協力体制の構築も急務である。豊富な強化資金をただ全日本の合宿や国際大会に派遣するといった安易な方法に使うのも考えものだ。これまで名選手を輩出してきた先輩の先生方などの意見を聞くことも有効だろう。柔道はどこまでいっても柔道であり、ルールがどんなに変わっても強い人間は強いはずである。世界を意識しすぎるあまり、国内の問題や競争力がおろそかになってはいけない。

歴史を振り返る

2009-03-02 10:22:48 | Weblog
 柔道界には、内紛という暗い過去がある。日本人は忘れやすいというか、水に流すというか、過去にとらわれない部分がある。しかしながら、同じ過ちを繰り返さないためにも歴史を知り、検証することは大事でる。

 私が大学生の頃なのでもう20年以上も前の話になるが、1983年全日本柔道連盟から学生柔道連盟が「柔道界改革のため」という理由で脱退した。当時は、どういった理由でこういった事態になったのか詳しいことを知る由もなく、学閥争いぐらいに考えていた。

 その後、様々な人たちに当時の事情を伺ったり、書物、新聞などの情報を調べてみると学閥争いといったものよりも根の深い柔道界の問題が見えてきた。まずは年表で当時の流れを見ておきたい。

1979年1月 IJF会長選へ立候補 講道館鏡開き式後の全柔連理事会において、12月にパリで開かれるIJF総会の役員改選に、松前重義・全柔連理事をIJF会長候補として推すことを決定した。
1979年12月 松前氏IJF会長に
1979年12月 嘉納行光・第4代講道館長 就任 講道館維持員会にて決定。館長の実務は明年2月1日より。
1980年 嘉納行光・全柔連会長 就任 全柔連理事会において、嘉納履正・会長の辞任に伴う後任会長に、嘉納行光・講道館長(47)を満場一致で可決。
1983年1月 全日本学生柔道連盟が「柔道界の改革のため」として、全柔連に脱退届を提出。
1987年11月 IJF会長にカログリアン氏
1987年11月 IJFは全柔連に加盟していない日本国内のいかなる団体も参加を認めないとした
1988年4月 柔道界の紛争解決 30日全柔連、全学柔連とも別々に評議員会を開き、先に国会議員柔道連盟がまとめた「全柔連の法人化、全柔連と講道館の分離」を骨子とする最終調停案を双方が受入れることを決めた。なお、全学柔連と全大学柔連の組織一本化については、第三者の斡旋介入を断り、両団体間で話し合いによって解決することとした。全柔連は理事会、評議員会において、従来の主張通り「一本化へは全柔連が主体をもつこと」を確認。

 この流れをみればおわかりだと思うが、学柔連が脱退する前の動きとして、講道館館長、全柔連会長が交代している。また、その年に起こっていることは、松前重義氏がIJF会長に立候補することが決議されている。IJFの会長は3代講道館館長でもあった嘉納履正氏が初代を務め、その後イギリスのパーマー氏が2代目を引き継いでいた。この当時、履正氏が館長、会長を辞する意志を固め、後継者の検討に入っていたと考えられる。そして、その時期に松前氏がIJFの会長に推されたということは、館長、会長をも引き継ぐといった暗黙の了解があったのではないかと推察される。

 しかし、最終的には館長、会長は嘉納行光(現館長、会長)に引き継がれた。そして、その数年後に、学柔連が全柔連を脱退した。IJF会長は、学柔連の旗頭ともいえる松前氏であったこと、全柔連はIJFの加盟団体であること、国際的な大会には全柔連に加盟の選手でなければ参加が認められないことなど捻れた現象となり、選手達を巻き込んでの裁判沙汰へと発展した。この問題は、国会の予算委員会でもでも取り上げられている。(1986)質問に立った社会党の大出議員は以下のような要旨の発言をしている。

①講道館の建物に関する登記と税法上の疑義問題
② 講道館の段位承認料は同じ武道である剣道・弓道に比して異常に高額で、高校生が取る初段でも1万8千円~2万円かかる。高校生が払える金額ではなく、2段となれば更に高額で卒業前に支払い切れず、昇段を諦めたり、先生が負担したりしている。
③段位承認料は講道館の財源で、段位は講道館以外のものは認めない。文部省から補助金を受け取っている講道館と全柔連が昭和56年に会員に発送した通知文では「他の団体から段位を取得している者は全部返せ。さもなければ除名する」として、誓約書を書かせている。段位承認料は講道館の基本財源で全柔連加盟者は連盟から除名されない為には従わざるを得ない。
講道館長と全柔連会長は同一人物で、講道館の総務部長が全柔連の事務局長で2つの団体は一体であり、しかも講道館長の選挙規約では、館長が指名した百人の維持員が館長を選挙する。落選する筈がない。そんなことで講道館の「家元制度」は維持され実質「世襲」されている。国が補助金をこんな癒着関係を持った団体に出していて良いものか。
全柔連は地方組織から講道館の為の金を取り立てる組織で、この2つの組織は完全に癒着している。おおよそ民主的団体では毛頭ない。
⑤講道館の在り方に異を唱えた傘下の学柔連と全柔連が国際試合の参加資格を巡った紛争が裁判になり、裁判所が学柔連の仮処分申請を認めそうになった為、国会の柔道議員連盟が中に入って和解させたが、その直後にそれが反故にされた。仮処分申請が再度なされて認められた。問題は講道館と全柔連の癒着だ。国が補助金をこんな癒着関係を持った団体に出していて良いものか。

 大出議員は社会党であり、松前氏が同党であったことを考えると、学柔連サイドに立った発言になっている部分を差し引いて考える必要はある。また、学柔連が脱退という手段をとったこと、結果的には学生が人質のような立場になってしまったことなど肯定できない部分も多々ある。

 しかし、このような問題が起きた背景が講道館、全柔連のトップを決める人事に端を発していたこと、さらに、議員の指摘している問題について今もって尚解決されていないという事実である。紛争があったことは悲しい事実であるが、せめてそのことから何かが変わったり、良い方向にいったということがなければさらにむなしい。

 争いごとにはどちらにもいい分があるので、どちらの側に立つ気もないが、そのことから私たちは何かを学ばなければならない。私が指摘している講道館と全柔連の分離独立は当時から問題とされていたのである。トップの人事は明確な分離独立の意思表示となる。さらに、それぞれの団体が独立していることが、それぞれの方向性を明確にし、そのうえでの透明性のある協力体制を築いていけると信じる。また、節目には立ち止まってじっくり考え、将来を見据えた判断が必要であり、そのチャンスでもある。

 どの方向に進んでいくにせよ、熟考したというプロセスと柔道に関わる多くの人間たちが納得できる説明があるべきだと私は考える。議論もないままに、会議において後任候補の名前が挙げられ、「しゃんしゃん」で決まりではあまりにも悲しい。そんな決まり方では、柔道界に将来はあるのだろうかと思ってしまうのは私だけだろうか?