都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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横浜をゆく ~文字でふり返る横浜研修~ 第2回

2006年04月12日 20時08分15秒 | 【連載】横浜をゆく
鉄道つれづれの旅① ~南武線~
川崎まで23駅あるため、発車・停車を繰り返しながら電車は進んだ。私の記憶では、南武線に乗車するのは平成16年10月以来のはずたった。そのため、なかなか新鮮な旅であった。
立川の次は西国立であるが、何だかいきなり都心とは趣きを異にした半ローカルチックな風情が感じられた。ホームも短いような気がした。さらに分倍河原・府中本町は、平成16年10月の乗車の際に下車して周辺を散策したこともあり、なにやら懐かしさを感じた。
さて、目の前のサッカー少年たちは元気であり微笑ましい。だが、なかなか降りてくれない。すると、とある少年が持っていた切符が目に入った。よく見ると・・・【立川→620円区間】。私が持っていたのは立川から関内までの780円区間であったため、これは当分空かないぞと思われ、矢野口駅すぎで、座ることをひとまず断念した。
その後は、顧問や研究関連担当らとともに少々会話をした。顧問の立川にくるまでのルートをうかがい、また、南武線のことについても、どの駅で人の乗降が激しいか、とか、なぜ快速運転が困難な状態にあるかについてうかがった。そして、多摩川の周囲には工場が盛んに進出しており、府中には東芝があり、川崎の武蔵中原付近は富士通の工場だらけとのことである。
このように地理的な教養を身につけながら、電車は武蔵溝ノ口・武蔵新城・武蔵中原・武蔵小杉と「武蔵○○駅」四連射帯を突き進んだ。特に武蔵小杉は別路線(東急東横線)との、終点川崎を除いた最後の乗換駅であり、座席が空くことが期待された。しかし、立っている人はどんどん少なくなっていくのだが、座席の勢力図には変化がほとんど見られなかった。
こうして9時5分、川崎駅に到着した。サッカー少年の集団とともに、私どもは電車を降りた。(執筆:会長)