ジージのドイツ散歩

散歩中に見た物を写真に撮って、記事にしています。

北ドイツの大雪害

2020-12-30 | 特別編


日本でも豪雪が予想されているようですね。
今日は1978年から1979年に起こった
北ドイツの大雪害を
紹介させてください。

僕がハンブルクに居住地を決めたのは
1977年の8月でした。
その冬は大したことがありませんでしたけれど、
なにしろ気温は低かったですね。
ハンブルクは緯度で言うと稚内より北ですが、
大西洋海流のせいで、
そうですね、札幌くらいの寒さでしょうか。

1978年、僕にとってドイツ2年目の冬でした。
暮れの28日から大雪が降り始めて、
31日、大みそかには降りやんだのですけれど、
その時の雪が3月まで根雪になって残っていたのです。
とんでもない都市に住んじゃったな、
というのが僕の正直な感想です。

北ドイツ大雪害。

全部見ると2時間近くかかるので、
まあ途中で飽きるでしょうね。

全部見る気のない方は
12月30日のニュース、

12月31日のニュース、

こちらをご覧ください。
残念ながら、放送は全てドイツ語ですから。

大まかに言いますと、
ハンブルクから北ヘ向かうアウトーバーンで大渋滞が起こり、
それが年明けまで続いたのです。
車の中で暖を取っていた多くの方が
排気ガス中毒でなくなりましたし、
戦車まで出動しましたからね。
鉄道もストップです。
それだけであればよかったのですが、
豪雪で送電線が切れて、
多くの町が停電になったし、
また孤立してしまいました。

年が明けてからは好天の日が続いたので、
救助ヘリが孤立した村に食料を運びました。
最終的にこの大雪害で何百人の方が命を落とし、
復旧には好天になってから1週間以上も要したのです。
まあハンブルク市内での被害は大したことはありませんでした。

それが第一回目の雪害なのですが、
その時は北ヨーロッパだけの大寒波でした。
僕の知人夫婦はスイスへスキー休暇に行ったのですけれど、
雪は無くて、緑の芝生が広がっていたそうです。

新年になってからは平穏な日が続いていましたが、
2月になってまた大雪が降り始めました。
この時はヨーロッパ大寒波だったのです。

僕はダンスバンドのエキストラのジョブをたまにしていて、
その大雪の日、ハノーファーでダンスパーティがあったのです。
その前日、ダンスバンドのボスが僕に電話をしてきて、
中止かと思ったら朝7時に中央駅集合を言ったのです。
しかたがないのでその朝7時に中央駅へ行ったら、
ハンブルク~ハノーファーは特急で1時間、
それも毎時に出発するのでたかをくくっていたら、
なかなかハノーファー行きというか、
南へ行く特急が来なくて、
ハノーファーに着いたのは午後三時。
ボスが主催者に電話をすると、
ダンスパーティは中止。
ダンスバンドのメンバーはハンブルク行きの
電車を待つはめになりました。
大雪だし寒いし、その中で特急を待っていたら、
夕方7時になってやっと特急が来たのですけれど、
ハンブルク行き最終列車だ、とアナウンスがありました。
メンバーが全員特急に乗ると、ドアが閉まり、
特急は発車したのですが、すぐ止まり、
停電になったし暖房も入っていません。
そしてハンブルクの中央駅に戻って来たのは
0時過ぎていましたからね。
まあギャラはもらえたからいいですけれど、
とんでもない1日でした。

大雪害の話はこれで終わりにして、
姫リンゴの写真を紹介しますね。




姫リンゴの実がなっているので、
いつ頃撮ったのかは想像できると思います。




今日もジージのブログを訪問いただき、
ありがとうございました。
どうぞお気軽にコメントください。
では次回まで  

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