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ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

こい味のギリシャ風サンドイッチ(パリ)

2006-08-14 23:36:47 | パリの思い出
自分がパリの下宿に住み始めた頃、ちょうど真正面にも中華の総菜屋があった。
しかしさすがに過当競争なのだろうか、しばらくしてギリシャ風サンドイッチの店に変わってしまった。
そういう店もパリにはよくある。
大概大きな肉の塊があり、それを削ぎ落としてサンドイッチの具に使っている。
基本は羊の肉だそうだ。
それでも味はポテトフライやオニオンなどの付けあわせもあって、普通のハンバーガーのようにおいしく食べられたので、ちょくちょく買いに行ったものだった。

そこで働いている人は、若い兄ちゃん二人くらいと、50代くらいの年配の男性だった。
親子かもしれないが、よくわからない。
本当にギリシャ人か、それもよくわからない。一応ギリシャはEUの中なので、移民の関係などで当局から目をつけられにくくするため、「ギリシャ風」を名のっているのかもしれない。(全くの想像です)
ある晩、サンドイッチを買いに行ったら、年配のおじさんが40くらいの女性客と話をしていた。
じっと見ていると、その内、おじさんは彼女の電話番号を聞き出すことに成功した。
若い店員がはやし立てる。おじさんは少し興奮していた。
そのおじさんが、ぼくのサンドイッチを作ってくれたのだが、興奮が続いていたのか、ドレッシングをやたらかけてしまったのだ。
おじさんに機嫌よくそれを渡され、文句を言うのもなんなので、そのまま下宿に持って帰り、少し濃い味のサンドイッチを味わう。
その後、あのおじさんのランデヴーは成功したのだろうか。
よくわからない。

パリの笑顔のシノワーズ

2006-08-11 23:26:54 | パリの思い出
パリといえども、いやパリだからと言うべきが、中華料理屋は多い。
特に小さな中華総菜屋などは、自分の下宿の周りにたくさんあった。
一応簡単なテーブルなどはあるのだが、狭いので、大体アンポルテにして下宿で食べていたものだった。
手軽にコメなどが食べられるので、結構重宝したものだった。
大体広東風ライスと、揚げ春巻き、あと魚か豚肉の料理を注文して、ついでに冷えたクローネンブルグあたりを買っていたものだった。
一番近いところは、だいたい若い女の子が何人かいた。
自分が来ると、後ろの方にいる女の子たちが、何かこそこそ言っていたのだが、愛想自体はスーペルマルシェのレジのようにあまり愛想はよくなかった。
下宿から二番目にある中華の総菜屋さんは、若夫婦で経営しているところだった。
この人たちは、パリには珍しくニコーと笑顔で応対してくれるので、気分がよかった思い出がある。
その笑顔の力で、料理もおいしく感じ、少し遠くても、そこに通ったものだった。

スーペルマルシェのレジにて(パリ・モノプリ)

2006-08-08 22:29:06 | パリの思い出
パリのスーペルマルシェの続き
レジの人たちはみんな無愛想な人ばかりだった。(少なくとも下宿の近くのモノプリは)
みんな「アメリ」のカフェのタバコ売りのところにいるおばさんみたいだといってもいい。
一応、ボンジュールとは言ってくれるのだが、言い方もぶっきらぼうで、冷たかった。
しかしそれにも慣れてしまっていたのだろう。
いざ日本に帰った時、コンビニでやたら「いらっしゃいませ」と言われた時「そんなに言わなくてもいいよ」と思ったくらいだった。

レジ係は、女性の方が多かったが、それでも少しは男性もいた。
また、ゲイの人がいたのはパリらしい。
以前日本でもはやった(過去形になってしまっている)ハードゲイでなく、短髪でメガネをかけた「ソフトゲイ」という感じだった。
なんとなく避けていたのだが、それでも人の流れで行かざるを得ないときがあった。
なぜなら混んでいるレジのおばさんに叱られるからである。
ある時、自分の前の人の分もあわせて、レジを打たれたことがあった。
「アラアラ、どうしようかしら」という感じで、チーフマネージャーらしき人を呼んでいるがなかなか出てこない。
少し待たされた後、やっとチーフマネージャーが出てきて、レジをテケテケやり、無事直った。
気まずかったのは言うまでもない。

パリのパン屋の人たち

2006-08-07 23:32:49 | パリの思い出
自分がパリにいたとき、一番よく行ったのが、モノプリという名のスーペルマルシェ(スーパーマーケット)だった。
理由は単に下宿のすぐそばにあったから、だった。
広さは中くらいなのだろうか、郊外の様に大きくなかったが、街中ではまあまあのサイズだった。
入り口を入ると、右手にパン屋さんがあった。
ここに通いだした頃は、カモシカのような女の子がいて、その子に会うのが楽しみだった。
しかしいつしかその子はいなくなり、メガネをかけた、白人でなおかつ色が白い、アニメ好きそうな若い男が売り子になったので残念だった。
しかしここのバゲットは、夕方でも焼きたてが食べれるのが嬉しかった。
ただ、いわゆる加工されたパンは、少なくともここよりかは日本のほうがいろいろヴァラエティに富んでいいと思う。
甘いものはあまり食べないので、余計そう感じたかもしれない。

パン屋さんといえば、マルモッタン美術館近くの、日本人向けでもあるパン屋さんを思い出す。
一度だけ行ったが、ここでは日本人にも好きそうなパンが多かったようで、嬉しかった思い出がある。
日本人らしい男性の店員さんは、髪をきっちりとひっつめ、いかにもいわゆるパリ在住の日本男性ですよ、という気がした。
パリでもろくに外見に変化のなかった自分とはえらい違いだ。

パリ東駅から東へ

2006-05-02 23:05:13 | パリの思い出
まだフランスが、フランスらしくフランを使っていた年の初夏。
日本では、なぜか「パリ祭」と呼ぶらしいが
革命記念日の日、
私はパリの東駅の中に立っていた。
「アメリ」の映画そのままの、
東駅の、がらんとした、構内。
そこを抜けて、プラットフォームに出る。
まだこの頃はフランスの電車のシステムにも
よく慣れていなかった。
掲示板をよく見て、
ストラスブール行きの列車のレーンを探す。
駅に早めに着いたので
さすがにまだ列車はそこにはない。
荷物を注意深く守るように、
座って待つ。
まもなくそれらしき列車が来る。
チケットと列車を何度も何度も見比べながら、
目的の客車を探す。
見つけた客車にどっこらしょと上がり、
席の番号を見つけ、
吸い込まれるように座り込む。