ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

サン・トゥトロップの丘からの眺めとオランジュの中世史

2021-10-27 19:29:28 | フランス物語


サン・トゥトロップの丘からの別方向の眺めです。
手前、木々の合間にオランジュの古代劇場の上部が垣間見えます。
街並みにほとんど溶け込んでいますね。

オランジュ市の歴史、中世編を載せておきます。

Epoque médiévale
793 : Guillaume au Cornet, Comte d’Orange, compagnon de Charlemagne, libère la ville de l’occupation sarrasine. A la fin de sa vie, Guillaume, abandonnant toutes les richesses de ce monde, entre au monastère. Après sa canonisation, ce monastère deviendra St-Guilhem-le-Désert.

中世
793年:シャルルマーニュの仲間であるオランジュ伯爵のギヨーム・オ・コルネが、サラセン人の占領から街を解放しました。彼の人生の終わりに、ギヨームは現世のすべての富を捨てて、修道院に入りました。列聖後、この修道院はサン・ギレム・ル・デゼールになります。

1096 : Raimbaud II, comte d’Orange, participe à la Ière croisade et se signale par sa vaillance à Antioche et sur les murailles de Jérusalem. Une statue le représentant et datant du XIXème siècle est visible place de la République.

1096年:オランジュ伯爵のレンボー二世が第1回十字軍に参加し、アンティオキアとエルサレムの城壁で彼の勇敢さを際立たせました。それを表す19世紀の彫像が、レピュブリック広場にあります。

1150-1393 : les Princes des Baux règnent sur la Principauté d’Orange.

1150-1393:ボーの大公がオランジュ公国を統治します。

1163 : l’Empereur allemand Frédéric Barberousse élève Orange au rang de Principauté.

1163年:ドイツ皇帝フリードリヒ1世がオランジュを公国に昇格させました。

1184 : les Princes d’Orange battent monnaie.

1184年:オランジュ公が貨幣を鋳造しました。

1208 : consécration de la Cathédrale Notre-Dame de Nazareth en présence du prince Guillaume des Baux.

1208年:ギヨーム・デ・ボー大公の前でのナザレ聖母大聖堂の奉献。

1348 : la peste noire fait disparaître près de la moitié de la population.

1348年:黒ペストにより人口のほぼ半分が死亡

1365 : création de l’université d’Orange.

1365年:オランジュ大学の創設

1393 : la Principauté passe à la famille de Châlon.

1393年:公国がシャロン家に移る。

1471 : instauration d’un parlement de la Principauté.

1471年:公国議会の創設


サン・テュートロープの丘から見たオランジュの古代劇場とculturespacesについて

2021-10-24 15:23:07 | フランス物語


この画像はサン・テュートロープの丘から覗き見たオランジュの古代劇場です。
客席は日陰に覆われていますが、舞台背後の壁はわりとよく見えます。
この古代劇場の歴史などをHPで調べていると、culturespacesという単語がよく出てきました。
これは歴史的建造物や美術館、アートセンター、更にはデジタルアートセンターなどの管理運営、イベントに携わる民間の会社の名称です。
フランス国内を中心に14ほどの施設に関わっており、オランジュの古代劇場もその一つとして、2002年より市当局から同社に委託されています。
オランジュは人口3万人ほどの小さな街ですので、こうした専門ノウハウを持つ会社に委託できるのは有難いように思われます。
その一方、古代劇場のHPの年表(同社が作成か?)では、ユネスコの世界文化遺産に選ばれたことよりも、culturespacesが委託を始めたことの方が大きく載っていたのには、多少の違和感を感じました。
フランスにはユネスコの本部があるため、身近過ぎて世界文化遺産の価値が日本に比べて低いのだと思われますが、当局の裏方の事情をそれより大きく書くのは不自然に感じます。
民間企業なので、名を売る必要が公的機関よりも強くなってしまった故、かもしれませんが。
とにかく、フランスにおける歴史的建造物や文化施設における「公共」と「民間」の関わり方の、興味深い一例といえるでしょう。


オランジュのサン・テュートロープの丘にある風景案内板(仮)

2021-10-23 07:40:48 | フランス物語



これはオランジュのサン・テュートロープの丘にあった「風景案内板」です。
日本でも同じようなものを見かけますが、正式な日本語名称はよくわかりません。フランス語ではTable d'orientationで、英語ではtoposcope, topograph, orientation table などと呼ばれているようです。
丘や山の眺めのいい場所に置かれ、見える対象物の名称や方角、距離などが地図やイラストマップと共に描かれています。

この案内板、かなり古びていますが、よく見るとTOURING CLUB DE FRANCEと書いてあります。
wikiで調べてみると、これはフランスの観光促進のための組織で、1890年に設立されました。
初期はサイクルツーリングが主だったそうですが、それから観光に関する様々な事業に携わっていたようで、会員数は最大七十万人にも達し、フランスの観光開発に大きな役割を果たしました。
しかし1983年に財政問題により、解散しました。
とすると、この案内板も1983年より以前に作られたもののようです。

この画像は2001年に撮影したのですが、グーグルマップで最近の画像を見てみると、新しいカラフルな風景案内板が作られていました。
作成者はLes Amis de la collineという組織になっていました。
「丘友の会」とでもなるのでしょうか。
サン・テュートロープの丘の庭園の管理や植樹、遺跡の調査研究などの活動を行っているようです。
この案内板制作も活動の一環のようです。
多くの方々の地味な活動のおかげで、大切な場所が維持管理されているのは大変有難いことだと、いつもながら感謝する気持ちになります。


オランジュのサン・テュートロープの丘からの眺めとオランジュ古代史

2021-10-17 06:57:47 | フランス物語


オランジュの凱旋門から中心部に戻り、古代劇場が寄りかかっているようなサン・テュートロープの丘に上ります。
画像はそこからの風景です。
緑豊かなオランジュの街並み。オレンジ系でほぼ統一した屋根が緑黄色の中に映えています。
そして向こうに田園地帯。
更に向こうには山々が連なり、一番奥の山は薄ぼんやりと、なめらかな線を描いています。

オランジュ市のHPに、街の歴史の年表が書かれていたので試訳してみました。まずは古代から。

Antiquité
35-30 avant Jésus-Christ : fondation d’Arausio par les vétérans de la IIème légion "gallique".
La cité se dote au cours des siècles de monuments typiques de la civilisation urbaine romaine.

古代
紀元前35-30年:第2「ガリック」軍団の退役軍人によるアラウシオの創設。
街には何世紀にもわたってローマの都市文明に典型的なモニュメントが置かれました。

Beaucoup sont encore visibles aujourd’hui :
- le Théâtre Antique
- l’Arc-de-Triomphe
- les vestiges des temples de la colline et l’hémicycle
- les vestiges du mur d’enceinte (tours) et de l’aqueduc
- le mur ouest du forum
- les Cadastres gravés sur marbre (visibles au Musée Municipal).

多くは今日でも見ることができます:
- 古代劇場
- 凱旋門
- 丘の神殿と半円形劇場の遺跡
- 城壁(塔)と水道橋の遺跡
- フォーラムの西壁
- 大理石に刻まれた地籍簿(市立博物館で見学可能)

77 après Jésus-Christ : rédaction des cadastres d’Orange sur l’ordre de l’empereur Vespasien.

77年:ウェスパシアヌス皇帝の命令によるオランジュの地籍簿作成。

460 après Jésus-Christ : St Eutrope, patron de la ville et évêque, donne son nom à la colline qui surplombe le Théâtre Antique.

460年:街の守護聖人であり司教である聖ユートロープは、古代劇場を見下ろす丘に彼の名前を付けました。

この丘の由来も載っていました。由緒あるオランジュのパワースポット的な場所なのでしょうね。

凱旋門のようで凱旋門でないオランジュの凱旋門

2021-10-12 19:18:09 | フランス物語


オランジュの古代ローマ劇場を出て、別の古代ローマ遺跡である凱旋門を見に行きます。
一応凱旋門と呼ばれていますが、古代ローマ時代には、首都ローマで建てられたものしか正式な凱旋門と認められなかったそうです。
オランジュのこれは厳密には「♪凱旋門のようで凱旋門でない、ベンベン♪それは何かと尋ねれば♪」という感じでしょうか。
で、何かと答えると、現在のオランジュの街の北部に位置している建造物です。
元々はアルルとリヨンを結ぶアグリッパ街道のオランジュへの北の入り口に、紀元前20年頃建造されました。
高さ22m、幅21m、奥行き8mの門で、このような記念の門としては、ローマ領土内で3番目の規模を誇るそうです。
こちらもローマ劇場と共に、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。



こちらはオランジュの凱旋門を真正面から撮った画像です。
前に人がいてくれてますので、凱旋門の大きさの見当がつけやすいですね。
そんなことを書くと、「俺はタバコの箱ではない!」と叱られそうですが。
ここでは浮き彫りの内容について書いてみます。
一番上の赤の部分は戦闘場面だそうです。
オランジュに入植したローマ兵軍団とガリア人あるいはゲルマン人との戦いだそうです。
その下の水色の部分は軍船のパーツらしきものが彫られています。
ローマの海上での覇権という意味もあるのかもしれませんが、アウグストゥスが海戦で勝利していることから、この凱旋門がアウグストゥスを讃えたものだという説も有力です。
その下の黄色の箇所は盾などの武器が表現されているそうです。
なお、この写真を撮ったのは2001年なのですが、2010年に大規模な修復が行われたので、現在ではもっとクリアに浮き彫りを見ることが出来そうです。

(週刊ユネスコ世界遺産 第30号、及び「遺跡で実感!古代ローマ」のHPおよびLe Théâtre Antique et le Musée d’OrangeのHPを参考にしました)