海岸から少し内陸に入っていきます
途中、Avoca Handweaver Showroomアヴォカ手織工ショールームという場所に立ち寄りました。
画像の風景は、その辺りからのように思えますが、確かな記憶がありません。
ともかく眼前には、いかにもアイルランドの田舎のやうな風景が広がっています。
海岸から少し内陸に入っていきます
途中、Avoca Handweaver Showroomアヴォカ手織工ショールームという場所に立ち寄りました。
画像の風景は、その辺りからのように思えますが、確かな記憶がありません。
ともかく眼前には、いかにもアイルランドの田舎のやうな風景が広がっています。
ダルキー島の遺構について詳しく見てみます。
まず画像の右端は、砲台だと思われます。3台の24 パウンドの大砲が残っているそうです。
その隣の円形砲塔は、以前このブログで紹介したジェームス ジョイスの塔 と同じ種類のものです。19世紀初頭海軍が建てたものです。それはダン・レアリーの沿岸に点在する 8台のうちの一つで、ナポレオン1世 時代の戦争の侵略の脅威に対する防衛として使われました。
あともう一つの建物は 聖ベネディクトに捧げられた教会です。この石の教会は7世紀のものと言われ、バイキングがこの島を奴隷市場として使った時に廃墟になったと思われます。
年代記 によると 938年、ある大修道院長がバイキング 襲来の際、教会の宝物を衣服の中に隠して逃げようとしましたが、溺れ死にました。
画像では 分かりにくいですが、この島には2つの聖なる井戸があるそうです。西の海岸線には「壊血病の井戸」があります。また教会そばの井戸は19世紀には目の病気の治療に効き目があると言われていました。
(英語版のwikiを参考にしました)
ニューグレンジなどを訪れた翌日は、グレンダーロッホ 周辺を訪問するバスツアーに参加しました。
ニューグレンジはダブリンの北側だったのですが 、グレンダー ロッホはダブリンの南側になります。
その途中、画像の島が見えるところにバスは止まりました。
この島はダルキー島です。近くのダルキー 村にちなんで名付けられました。
ダン・レアリー=ラスダウン郡の無人島でダブリンの南 16km にあり、以前このブログで紹介したダンレアリー港の南3km に位置しています。
何世紀にもわたり巡礼の重要な地で、聖ベグネッツ島として知られてきました。
ダルキー島として最も初期に言及されたのは1782年です
現在は無人島ですが 1841年には8人 住んでいました。
更に大昔の新石器時代にも人が居住した跡があるそうです。
(Wiki の英語版を参考にしました)
ニューグレンジの正面の画像です。
入り口に見学者が集まっています。
ここから墓の中心まで1本の狭い通路になっています。
冬至の日にはこの通路を通して、陽光が真っすぐ墓室に届くように設計されています。
その理由は、造った人たちが太陽を神としてあがめていたから、という説が有力です。
というのも、ケルトの伝承神話でもしばしば太陽神が語られているからです。
それにしても、当時の人が冬至を認識していたことにも驚かされます。
このニューグレンジは、緑の丘の中の見晴らしの良い高台に位置します。
そこからの風景は、太古の昔から同じような感じなのでしょうね。