ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ローマの医療と教育(ローマ人の物語Ⅹより)

2007-06-30 00:17:59 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語Ⅹより、「ソフトなインフラ」について。
帝国の首都にもかかわらず、ローマには大規模な医療と教育の施設が無い。
まず医療については、長い間専門の医師が存在しなかった。
その代わりになるのは、家庭医療と神頼みだった。
家父長や奴隷医師と呼ばれる人たちにより、処置が行われた。
神頼みも、そのための休暇や参拝地の温泉、そしてその場での同じ立場の人たちとのふれあい、などで、必ずしもただの迷信ではなく、多少の効果もあるようであった。

そんな状況の中、カエサルにより、医師にローマ市民権が与えられる。
そのような優遇策により、医師の種類も細分化して、その技術も向上させていく。
そしてまず、駐留軍のための病院を造っていく。
それが一般の人にも広まってくる。
といっても、ローマ人の死生観からすれば、あまり死を避けない傾向もあったようで、寿命による死に対する抵抗力は弱かった傾向にあった。

教育については、まず親が行った。
その後裕福な家庭はギリシャ出身などの家庭教師を雇うようになる。
しかし、その後、やはりカエサルにより、教師にもローマ市民権を与えるようになる。
その結果、教師の自由競争化がおき、授業料もある程度安くなり、学校に通いやすくなった。
このように小学校から高等学校まで私立だったが、最高学府だけは国立だった。
研究と競争が両立しないという考えだったのだろうか?

このローマ人の物語Ⅹは、写真も豊富である。
あちこちのローマ遺跡と共に、当時の地図と現在の地図を比較させ、いかに現在まで影響を与えているか実感させてくれるのがありがたい。
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ローマ人の傑作 橋と水道(ローマ人の物語Ⅹより)

2007-06-26 23:02:11 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語Ⅹからの続き。
ローマ人は、橋の建造にもその才能を発揮した。
戦争時の、ライン河などに造成した簡易式の橋も素晴らしいが、なによりも石造りの立派な橋が象徴的である。
そこに人や水道を通した。
水平に、街道の延長となるよう、丁寧に造られている。

これらの立派に整備された街道や橋を通して、ローマ軍がすばやく進駐したり、情報伝達の速度を飛躍的にあげた。
ローマ街道を進む速度を人類が越える事ができたのは、19世紀半ばからはじまった鉄道の発展と、20世紀の自動車の普及によるものという。
街道沿いには、都市の間にも、旅宿や馬交換所、飲食所などがあり、今の高速道路で言えば、モーテル、ガソリンスタンド、スナック・レストランのようなものであった。
その案内として、旅行用の銅製コップに描かれたものや、実用・歴史ガイドが書かれた地図もあり、当時の旅行者の役に立ったようだ。

あとローマ人の象徴的なインフラとしては、水道があげられる。
水源の水質チェックから始まり、水道橋を通し、トンネルを通し、街の貯水槽までの長い距離を、微妙な勾配で、上手く水が通るようにしている。
基本的には流しっぱなしで、水が腐るのを防いでいる。
そのおかげで、豊富に水を利用する事ができ、風呂も楽しむ事ができ、衛生的な生活もできたわけである。
このような水道も、蛮族の侵入に備えるため、閉鎖してしまう。
街道は、徐々に死んでいくが、水道は急激に死んでしまう。
ローマにとっては、中世は確かに暗黒だった。

写真は南仏ニームの「カステラン貯水池」です。
ニームの街の北側の、やはり少し小高いところにありました。
観光用トレインが、そのそばをえっちらおっちら登っていたのを思い出します。
有名な「ポン・デュ・ガール」からの水が、ここに蓄えられ、街の大建造物や給水場など、さまざまな地区に供給されていた、とのことです。


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冬の夜 パリの下宿とカルヴァドスの民宿の違い

2007-06-25 23:34:07 | パリの思い出
再びカルヴァドスの民宿に話を戻す。
食事も終わり、夜遅くなってきたので、各自民宿の部屋に戻る。
シャワーを浴びて、寝ようとするが、どうも寝付けない。
相部屋で、慣れないベッドということもあるが、温度のアンバランスさもその原因の様だ。

パリの下宿では、こんな事は無かった。
とっても、その下宿は大していい部屋ではない。
築三十年くらいのアパルトマンで、たいして新しくもない。
壁もすすけた感じで、ちょうど宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」のビデオクリップの部屋のような感じだ。
そして、ときどき、「まくまくん」ならぬ、小さなねずみがチューチュー走っていたようなところだったのだ。
それでも冬は快適だった。
その理由は「床暖房」にある。
冬でも部屋が全体的に暖かく、朝起きる時でも、「寒かった」という記憶が無い。

そんな状況に慣れていたため、山奥の冬の夜、暖房機がちょこんとあっても、「寒い」か「暖かい」がはっきりしてしまっている。
おかげで、なかなか寝付けない中、更けていくカルヴァドスの田舎の夜、という感じであった。
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ヨーロッパ中に広がる街道を行く(ローマ人の物語Ⅹより)

2007-06-24 00:35:57 | ヨーロッパあれこれ
引き続きローマの街道について。
紀元前220年、ローマの歴史によく出てくる「フラミニア街道」の工事が始まる。
この街道は山中を通るので、工事の苦労も格別である。
端を架け、山腹に土を盛り、トンネルまで造っている。
場所選択には、雪や増水の影響まで考えられている。

このような街道、現在の例えでは新幹線のような高速鉄道と考えればいいとのこと。
土地の起伏を無くし、堤防のように築いた街道となる。
なおかつ橋もその延長線上の高さとなる。

エジプト人はピラミッドを造り、ギリシャ人は美しい美術品を創った。
そしてローマ人は街道・上下水道を造った。
それは傑作だとギリシャ人までも賞賛している。
ローマ人によるインフラの社会に暮らし、美術館ではギリシャ人の作品を鑑賞し、時々エジプトまで行く余裕があれば幸せ、という気持ちに同感する。

ローマ街道の研究は1622年にパリで刊行された本が一里塚、とのこと。
その作者は、フランスの街ランスで弁護士をしていたのだが、ふとある日、自分が裁判所に通っている道が、ローマ時代の街道と気づいて以来、仕事も止め、研究に一生を捧げた。

それからいろいろな研究が進むが、街道の長さゆえ全貌を網羅した人はいなかった。
しかし、20世紀の半ば、ドイツ人を中心とする6人ほどのグループがジープを駆ってほとんどの街道を踏破する。
中には、中東戦争の勃発した年に、エジプトを駆け巡った時もあった。
そして1968年に、その成果をロンドンにて刊行する。
その名も「The roads that led to Rome」というものであった。
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すべての道はローマに通ず(ローマ人の物語Ⅹより)

2007-06-23 23:30:07 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語Ⅹ すべての道はローマに通ず
塩野七生 著
新潮社
2001年12月20日 発行

このローマ人の物語Ⅹは、今までの巻と異なった趣である。
というのも、今までは編年、あるいは皇帝ごと、にしていたのに対し、この巻では、「インフラ」に焦点をあわせて著述しているからである。
前書きでは、読むのが困難かもしれない、と断っておられた。
しかし読み進めてみると、これはこれでたいへん面白い。
今までの歴史の著述の中では、やれ街道を進んでいった、橋を渡った、風呂に入った、などなどあっても、話自体は面白いものの、その時代の一般的なことについてまだ慣れていないため、少し靄がかかっているような感じがした。
それが今回の巻のおかげで、あらためてその靄がどんどん晴れていくような気がして、また別の形でこの「ローマ人の物語」楽しませてもらった。

最初は「街道」からはじまる。
なんといっても、領土内に、血管の様に張り巡らされた街道、である。
血の巡りが悪いと、体に変調をきたすように、ローマ人も国家の発展・防衛のためには、街道の建設及びメンテナンスの必要性を強く感じていたようである。
まずは「アッピア街道」。
ぴたりと敷設された車道。最大の敵である水を除去する排水溝。そして歩道があり。その外に墓碑、そして並木がある。
並木が外にあるのは、その根が道路を浮かばせるような状態になるのを防ぐためである。
そういえば、よく歩道にある並木の根が、そのまわりの歩道の表面を浮かしてる状況を、今の日本でもよく見かける。

それにしてもこのアッピア街道、重要史跡になったのはつい最近のことであるため、第二次世界大戦後の環状道路のため、切られた状態になっている。
また最近でも、散策の場として整備された結果、子供の遊園地的に手を加えてしまったらしい。
わざわざそんなことをせずに、古のローマに想いを馳せたゲーテの時代の状態で置いてくれ、と訴えておられる。
その方が、単にいにしえに想いを馳せることができるだけでなく、メンテナンスの欠如が、組織(国や地方自治体)が機能しなく事であり、そして結果には個人個人にも影響を受ける、ということにも想いを馳せる事ができるからだ、とのことであった。

全くその通りだと思う。
古のローマ人の子孫と自称する現代のローマの皆様も、そういったところにも配慮して欲しいと思う。
もちろんローマ以外の、歴史ある場所に住む、全世界の皆様も。
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