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ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

アイルランドのやうな田舎

2025-04-13 19:55:15 | ヨーロッパ旅行記

 

 

海岸から少し内陸に入っていきます
途中、Avoca Handweaver Showroomアヴォカ手織工ショールームという場所に立ち寄りました。
画像の風景は、その辺りからのように思えますが、確かな記憶がありません。
ともかく眼前には、いかにもアイルランドの田舎のやうな風景が広がっています。

 


教養としての建築入門

2025-04-11 19:41:51 | ヨーロッパあれこれ

教養としての建築入門

見方、作り方、活かし方

坂牛卓 著

中公新書2764

2023年7月25日 発行

 

まえがき

建築に対する三つのアプローチ

・「使用者・鑑賞者」の視点

・建築を設計する「建築家」の視点

・建築が存在する「社会」の視点

 

序章 建築の歴史

日本と西洋の建築での共通する事柄

20世紀入るまで、建築の屋根は大抵三角か丸だった

 

ル・コルビュジエが率いるモダニズム建築の一つの大きな特徴は、装飾がなくなったことである。

 

第一部 鑑賞論 建築の見方

第1章 機能の器

「用・強・美」という建築の三原則を編み出したローマ時代の建築家ウィトルウィウス

 

第2章 美の器

 

第3章 アナロジー

「人間」・「衣」・「食」・「音楽・アート」が建築に密接する4つの視点

 

第二部 設計論 建築の作り方

第4章 建築の設計とは何か

 

第5章 頭の中で考える

 

第6章 スケッチや模型で考える

 

第7章 実物を見て考える

 

第8章 建築家という職業

建築家の仕事の仕方として、近江商人の三方よしの思想がお手本となる。

すなわち「客よし、自分よし、世間よし」

 

四種類の建築家

・建築家然とした建築家

・活動家的建築家

・芸術家的建築家

・理論的建築家

 

21世紀に入っての建築家の職能の幅の拡大の理由

・建築と土木という2つの工学の境界が曖昧になり連続的になったこと

・社会が建築に求めるニーズが多様化した

・経済が停滞するにつれ建築を作る予算も減り、リノベーションを積極的に考える必要が生まれてきたこと

 

第三部 社会論 建築の活かし方

第9章 世相が建築に映る

鐘楼は主に3つの部分から構成されている。

・下層が基壇と呼ばれるがっちりした土台

・中層で階が反復

・上層は最上階あたりで三角錐の屋根あるいは装飾的な飾りが被さる

 

第10章 人や社会が建築を変える

 

第11章 政治と経済が利用する

スターリン統治下のソ連建築

・1924~31年 ソ連モダニズム建築

・32~41年 モダニズム表現が官僚制支配の権威付けのために記念碑的な造形と古典的装飾を付加

・41~53年 スターリンの権威を象徴する高層建築

 

終章 建築の基礎

 


日本の聖と賤 近世篇

2025-04-08 20:08:48 | ヨーロッパあれこれ

日本の聖と賤 近世篇

野間宏・沖浦和光 著

人文書院 発行

1992年10月20日 初版第七刷発行

 

第一章 「海の民」と瀬戸内水軍

瀬戸内海では、川のように勢いよく潮が流れる。しかもその方向が時間によって刻々変化し転流するから、潮待ちをして連潮に乗らなければならない。順潮を利用しないと、上手く前に進めない。

 

朝鮮侵略が失敗すると、水軍はもう用済みの危険なパワーとして解体させられた。

つまり、文禄から慶長にかけての頃に、旧村上海軍は完全に壊滅させられてしまった。

 

第二章 〈異類〉視された「山の民」

 

第三章 江戸文化と河原者芸能

江戸時代を通じて、西欧人の手でかなり多くの日本観察記が書かれています。ケンペルのルポはその中でも特筆すべきものです。

 

化政期には、平賀源内や司馬江漢に代表されるように、科学畑だけでなく、芸術家でも通用する万能のルネッサンス型の人間が多い。

菅江真澄なんかもすごい。彼の民俗学的記録は、当時としては世界レベルでも特筆すべきものです。

 

第四章 日本史の転換点・近世民衆社会

1920年代のドイツやロシアの表現主義者は、はじめて日本にやってきた歌舞伎を見て驚いている。

西洋の劇場はいわゆる額縁舞台だが、歌舞伎は極めてダイナミックな舞台構造をもっている。

 

南北が生きた化政期は、武家政権のうれすぎた爛熟期であり、文化的には退廃と倒錯の時代だとよくいわれる、果たしてそうか。

むしろ武家権力の行き詰まりがはっきりしてきた解体期の前夜であり、日本独自のやり方で近代への架橋が開始される新しい民衆文化の興隆期であると思う。

 

『歴史のなかの江戸時代』

三人の外国人の江戸時代の研究家の討論

当時の日本の民衆文化の高さに驚いている。

 

18世紀のヨーロッパでは、最も進んでいたイギリスでも、読者層は貴族やブルジョアジーに限定されて、庶民が本を買うことは一般化していなかった。

 

ジーボルト(シーボルト)などが、江戸時代の日本人がよく旅していることを指摘。

 

16、7世紀からの古文書がよく保存されている日本

識字率や計算能力だけでなく、紙の生産が質量ともによほど高かったからか。

 

往来物

寺子屋などで使用された初等教科書の一群

 

江戸時代の民衆レベルでの読み・書き・ソロバンでは世界一ではないか

 

森鷗外はドイツでタンツアー、今日流でいえばストリップショーの女の子とできていますからp325

(これは舞姫をそのまま現実だと思ったことによる誤り。帽子製作や縫製業に従事していた時があった(六草いちか2013))

 


ダルキー島の遺構(アイルランド)

2025-04-03 19:47:27 | ヨーロッパ旅行記

 

ダルキー島の遺構について詳しく見てみます。
まず画像の右端は、砲台だと思われます。3台の24 パウンドの大砲が残っているそうです。
その隣の円形砲塔は、以前このブログで紹介したジェームス ジョイスの塔 と同じ種類のものです。19世紀初頭海軍が建てたものです。それはダン・レアリーの沿岸に点在する 8台のうちの一つで、ナポレオン1世 時代の戦争の侵略の脅威に対する防衛として使われました。
あともう一つの建物は 聖ベネディクトに捧げられた教会です。この石の教会は7世紀のものと言われ、バイキングがこの島を奴隷市場として使った時に廃墟になったと思われます。
年代記 によると 938年、ある大修道院長がバイキング 襲来の際、教会の宝物を衣服の中に隠して逃げようとしましたが、溺れ死にました。
画像では 分かりにくいですが、この島には2つの聖なる井戸があるそうです。西の海岸線には「壊血病の井戸」があります。また教会そばの井戸は19世紀には目の病気の治療に効き目があると言われていました。

(英語版のwikiを参考にしました)

 


ダルキー島の眺め(アイルランド)

2025-04-01 19:48:51 | ヨーロッパ旅行記

ニューグレンジなどを訪れた翌日は、グレンダーロッホ 周辺を訪問するバスツアーに参加しました。
ニューグレンジはダブリンの北側だったのですが 、グレンダー ロッホはダブリンの南側になります。
その途中、画像の島が見えるところにバスは止まりました。
この島はダルキー島です。近くのダルキー 村にちなんで名付けられました。
ダン・レアリー=ラスダウン郡の無人島でダブリンの南 16km にあり、以前このブログで紹介したダンレアリー港の南3km に位置しています。
何世紀にもわたり巡礼の重要な地で、聖ベグネッツ島として知られてきました。
ダルキー島として最も初期に言及されたのは1782年です
現在は無人島ですが 1841年には8人 住んでいました。
更に大昔の新石器時代にも人が居住した跡があるそうです。

(Wiki の英語版を参考にしました)