ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

マルセイユのギリシャ遺跡

2007-02-25 00:24:25 | フランス物語
自分がマルセイユに行ったときは、他の用事があったため、早朝に旧港の側を通り、ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院に行ったくらいだった。
モンテ・クリスト伯ゆかりのイフ島も、そこから眺めただけだった。
「南フランス古代文明紀行」のなかで、著者の方は、「モンテ・クリスト伯」について、
「この本は何度読んでも、天人共に許す事の出来ない検事代理ヴィルフォールに対し激しい憤りを感じる。私の生まれつきの正義感を燃え立たせるからであろう。」と熱く述べておられる。
これだけ熱心に読んでくれるのは、文豪アレクサンドル・デュマにとっても、作家冥利に尽きるのではないか。

マルセイユの古代遺跡は全く見に行く時間が無かった。
ちょうど滞在したホテルの部屋の窓より、写真のようなギリシャ遺跡を見る事ができただけだった。
ここは公園になって市民に親しまれている場所であるとのこと。
右の方に、水槽らしき跡が見える。
著者の方は、歴史博物館員がそこをプールだったという説に疑問を呈しておられた。
古代ギリシャ人が航海や漁から帰ってきた後、体を洗ったり洗濯したり、あるいは煮炊きをしたのではないかと主張している。
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アルルの公衆浴場

2007-02-24 23:39:21 | フランス物語
アルルについては、コンスタンティヌスの公衆浴場(共同浴場)にも触れておきたい。
名前の由来になったコンスタンティヌス1世は324年~337年に在位したローマ皇帝である。
その時に現在のイスタンブールであるコンスタンティノープルを建設したとのこと。
この皇帝はアルルを気に入り何度も訪問していた。
この浴場はガリア・ナルボネンシス(ローマ時代の州)で最大規模の公衆浴場であったとのこと。
写真の通り煉瓦とモルタルが用いられ、微温湯室・温湯室・冷水室があったことが発掘調査により分かっているらしい。

この場所はローヌ河のすぐそばにあった。
こじんまりとした古い街のそばを、のんびりのんびり流れるローヌ河も、アルルの魅力の一つだなあ、と回想する。
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アルルのギリシャ劇場にて

2007-02-23 23:10:58 | フランス物語
引き続き「南フランス古代文明紀行」より、アルルについて。
アルルといえば、古代文明紀行といえども、やはりゴッホについて多くのページを割いておられた。
ゴッホの苦労と、弟テオの献身的な支えに思いを馳せる。
そしてゴッホファンにとっては、ゴーギャン(ゴーガン)は残念ながら、悪役になってしまう。

写真はアルルのギリシャ劇場(古代劇場)である。
ここは現在でも使用されており、客席などは整備されているが、舞台に残るものは「二人の未亡人」と呼ばれるコリント式円柱とそれをつなぐ短い長押だけになっている。
二人の未亡人というニックネームが面白い。
自分が行った時は、朝一番だったこともあり、受付の女性がけだるそうで、妙に色っぽかった印象がある。
遺跡にちなんで、彼女も未亡人だったりして。(すみません)

このアルルの「ギリシャ劇場」の建造年代は、紀元前30年か、前20~15年という説があるらしいが、アウグストゥス帝の治世であることは間違いないであろう、と述べておられる。
アウグストゥスはギリシャ人を差別することなく、逆に好意的であったとの事。
それにより、アルルだけでなく、南仏の遺跡には、彼の偉業をたたえるものが多いとのことだった。
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ニームの円形闘技場

2007-02-22 23:40:41 | フランス物語
「南フランス古代文明紀行」より再びニームについて。
著者の方は、ニームの円形闘技場も訪問されている。
ここでは英語も上手に話せる、若い女性ガイドにより案内してもらっている。
自分が行った時には、ガイドの方はいなかったように思う。
アルルの闘技場ではまとまった人数でガイドさんに案内してもらった記憶がある。
サービス面だけでなく、安全の問題もあるのかもしれない。

ニームの闘技場は、ローマのコロセオの少し後に造られたとの事。
西暦90年ごろらしい。
ニームの「アレーナの全体構造は二層からなり、外壁の一階は角型の「付け柱」で飾り、二階は変形した一種のコリント式円柱で装飾し、連続するアーチは壮大でしかも調和美がある」と文中で述べておられる。
自分が行った時は、添付しているとおり、全体がわかるようないい写真を撮る事ができなかった。
この本の中にある写真は駅方面から撮った物だと思われるが、かなり全体像を捕らえている。

ガイドブックによると、現在もスポーツやコンサートに使われているらしい。
また布の屋根をつける時もあるとのこと。
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ニームのメゾンカレの威容

2007-02-21 22:21:06 | フランス物語
「南フランス古代文明紀行」より、ニースに引き続き、一字違いのニームについて。
まず著者は、ここのメゾン・カレを訪問されている。
これは写真の通り、ギリシャ風の神殿建築である。
本の中の写真では、改修中で、足場が組まれていた。
このような歴史的建造物は、維持管理にたいへん神経をつかわざるを得ない。
自分が行った時は特に改修しておらず、当たり前の事のように思えるが、運がよかったとも言える。
この神殿は、正面6本、横11本の「ヘクサスタイル」(六柱式)で、全体として女性的で優雅な建築と書いておられる。

このニームの観光案内所には、日本語のパンフレットもあった。
それによると西暦315年頃に建設され、カイユス・シーザーとリュシアス・シーザー(アウグストゥス皇帝の養子孫と養子)に捧げられたとある。
アウグストゥス自体ニーム市民に功労があったので、その恩義に報いるためでもあったのかもしれないと、この本を読んで思った次第である。
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