ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

大聖堂そばのレストランにて(ストラスブール)

2006-10-28 23:57:51 | フランス物語
この日は大聖堂のそばにある
少しお高いレストラン
日本の学者さんたちと
ストラスブールの専門家による食事会

なぜか自分もそこに同席し
それそこ決まり文句のとおり
末席を汚す
料理をもぐもぐ食べながら
みんなの会話を聞いている

優秀な女性の通訳さん
少し年はいってるけれども
きれいで知的な通訳さん
専門用語が出てきても
何とか上手く訳してしまう

通訳さんの目の前にも
みんなと同じ料理が並ぶ
ぺらぺらぺらぺら通訳しながら
器用にぱくぱく食べている

そんな神業目の前に
見とれながら時間は過ぎる
ワインの量は控えめだけど
十分酔えたアルザスの夜

エッフェル塔に向かう4人の男(オルセー美術館展)

2006-10-26 22:44:34 | フランス物語
今回のオルセー美術館展には、絵画だけでなく、写真も結構ある。
写真も重要なオルセーのコレクションなのだ。
写真という芸術分野についてはほとんどほとんどよく分からない。
しかし、パリにいた時、ブラッサイという有名な写真家の「夜のパリ」とかいう題の写真展を、見に行った事があった。(多分ポンビドーセンターだったと思う)
昔のパリの夜を撮影したものということで、何となくドキドキ、ワクワク、期待して見に行った思い出があるが、結局あまり強い印象を受けなかった。
まあ一番の理由は、自分の鑑識眼の無さだと思うが、写真のサイズとかにも違和感があったのかもしれない。
今回も、絵画に比べると、そう印象には残らなかったが、買った作品集を改めて眺めていると、なかなか面白い。
一番よかったのは、タールマンという写真家の「エッフェル塔に向かう4人の男」だ。
シルクハットをかぶり、コートを着た4人の初老くらいの男の後姿があり、彼らのむこうにはエッフェル塔がそびえている。その更にむこうはおそらくセーヌになるのだろう。
なんとなく、戦後○○周年の記念祭の帰り、一緒に帰る戦友たち、というたたずまいであった。

シュークルートの山の前(フランス・ストラスブール)

2006-10-22 21:52:19 | フランス物語
ストラスブールのいにしえの街の
運河のそばのアルザスの
古いサンパなレストラン
みんなで集う夏の夜

料理は当然アルザス料理
シュークルートに挑戦す
山と詰まれた酢漬けのキャベツ
その上にどっしり乗るは
ぶっといソーセージと
分厚い油のベーコンだ

同席したドイツ娘
ドイツ人にもかかわらず
酢漬けキャベツが嫌いとのこと
ちょっと変な気もするが
日本人でも梅干や納豆が嫌いな人は数知れず

山盛りの皿を目の前にして
食べきれるか少し不安に
しかしここでは日本男児の意地がある
フォークを山の中に入れる

白のアルザスワインとともに
なんのことなく食べ終わる
食欲だけはゲルマン人
異国の地での夏の夜

「ぼくはくま」フランス在住説

2006-10-21 22:00:24 | フランス物語
最近、NHKの「みんなのうた」の「ぼくはくま」を視聴して癒されている。
正直なところ、宇多田ヒカルさんの歌はほとんど聴いていないのだが、このたび、彼女の新たな魅力に出会えたのは嬉しかった。
また、ビデオクリップのくま君もかわいくてよい。
部屋のすすけた感じが、パリ在住時の自分の下宿を思い出し懐かしくなった。
またこのくま君の部屋は、レンガ造りで、暖房機とベッド、そしてステッカーを貼ったスーツケースなどがある。
どうも日本の感じではない。
極めつけは、なぜか歌詞の中でフランス語が出てくる。
よって勝手にこの部屋はフランスだと決めつけてしまう。
しかしそれには一つだけ矛盾がある。
野球のボールがくま君の部屋に飛び込んでくるのだ。
フランスで野球はやっているのだろうか?

答えを言うと、一応やっている。
元阪神タイガースの吉田監督がフランスチームの指導にあたっていたのだ。
吉田監督の講演を聞いた事があるが、その時に苦労話を聞くことが出来た。
最初、犠牲バントをフランス人選手に理解させるのがたいへんだったらしい。
なぜ自分が進んでアウトにならなければならないのか、という感じだったようだ。
しかし、実際に試合で使い、その効果が実証されて、はじめて理解してもらったとのことだった。

そのようなチームは一応あったものの、自分がフランスにいた時には、一度も生の野球を見かけなかった。
しかし吉田監督のまいた種により、どこかでは細々とやっているものと思われる。
そしてたまたまそのグラウンド(多分野球専用ではないため、外にボールが飛びやすいのだろう)の近くに滞在しているくま君の部屋に、ボールが飛び込んできたわけだ。
かくして「ぼくはくま」フランス在住説は立証された。

以上、莫迦なことを書いてすみません。

ルーアン モネとジャンヌダルクの街

2006-10-16 22:33:15 | フランス物語
オルセー美術館展でのモネの「ルーアン大聖堂」
この絵はちょうどフロアの入り口のところにあり、よく目立つような配置にしていた。
今回は一作だけだが、ご存知の通り連作として、いろいろな光の移り変わりを描いている。
まさに執念の人モネの面目躍如たるものを感じてしまう。

ルーアンは、車でちょっこと立ち寄った事がある。
他のノルマンディの町々の後だったせいもあり、結構大都市だったなあという印象がある。
駐車場を探しまわり、無事見つけた後車をおいて歩いていく。
古い時計台の下をくぐったりした後、ルーアン大聖堂の前にたどりつく。
その時の写真が上記のものだが、工事中だったりしてあまりいい状態ではなかった。
また大聖堂前の広場が狭く、なかなか全体像がおさまってくれない。
仕方なくぐるりと大聖堂を回り、尖塔を撮ったりしたものだった。

ここルーアンは、ジャンヌダルクが処刑された場所でもある。
その地には今は現代風の教会があり、あまり中世の伝説の少女とは似つかわしくない。
短時間の滞在の後、自動車専用道路でパリに戻る。