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ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ナミュール ベルギー南部の街

2007-09-04 23:04:02 | ヨーロッパ旅行記
ナミュールはベルギーの南半分地域である、ワロン地域内のアルデンヌ地方の都市である。
ある夏の日、ナミュール駅に降り立つ。
賑やかな街並みを抜けて、何をおいても目指すはシタデル、城砦だ。
ナミュールを流れるもう一つの河、サンブル河を渡る。
ムーズ河とサンブル河に挟まれた地、そこから城砦を見上げる。
城砦の「見張り番の塔」が真上にあった。

ローマ カピトリーノ美術館のヴィーナス

2007-09-01 00:50:23 | ヨーロッパ旅行記
「ローマ人の物語ⅩⅣ」のなかで、4世紀末、ギリシャ・ローマの彫像は、邪教の象徴とされ、徹底的に破壊されたとありました。
そんな中、この写真の「カピトリーノのヴィーナス」は五体完全な形で現代に残った好例、とされています。
塩野先生はこの4世紀末に生きていた誰かが、地中深く埋めたのではないか、という仮説を立てておられました。
確かに、この所有者にとっては、破壊するのが惜しくなり、こっそり保存して、こっそりと愛でていたのではないか、という気がします。

この彫像はカピトリーノ美術館のヴィーナスの間にあります。
廊下を歩いてきて、ふと入った小さな部屋。
そこにひっそりとたたずんでいました。
ちなみに、この部屋の斜め向かいくらいに、皇帝の間があるそうですが、その時は全く意識しておらず、見た記憶もありません。
前に掲載した、コンスタンティヌス帝の頭部は、写真には撮っていましたが、それは単に巨大で迫力があったからでした。
何の気なしに撮った写真のおかげで、また新たな発見をする事が出来ます。

コンスタンティヌスの凱旋門に思う(ローマ人の物語ⅩⅢより)

2007-08-14 22:51:41 | ヨーロッパ旅行記
ディオクレティアヌスに引き続き、コンスタンティヌスにちなんだ建造物あります。
その名も「コンスタンティヌスの凱旋門」です。
ファロロマーノから、コロッセオに向かう途中に、ここに立ち寄りました。

この凱旋門は、コンスタンティヌスが、マクセンティウスに勝利した事を記念して建てられました。
この場所には、既にハドリアヌス帝に捧げられた凱旋門があったらしいですが、それを一部直し、コンスタンティヌスに合う様な装飾を加えたそうです。
かなりの突貫工事だったそうです。

それにしても、この浮き彫りの写真を見て愕然とさせられました。(ローマ人の物語ⅩⅢの194~195ページから引用)
紀元前後に造られた別の建造物の浮き彫り(右上)と、この凱旋門の浮き彫りの明らかな違いです。
コンスタンティヌスの時の浮き彫り(左下)は、明らかに稚拙といえます。
紀元前後の、人間の姿を美しく、忠実にあらわした物とは全く違ってしまいます。
この種の芸術作品も、やはり国力の状態で影響されてしまうかもしれません。

この作品群だけで判断するのは危険なことですが、この後、ヨーロッパが「暗黒の中世」に入っていってしまったのを象徴してしまっているような気がします。

ローマの「聖母マリアと天使と殉教者の教会」について

2007-08-09 23:02:04 | ヨーロッパ旅行記
ローマ市内にある、ディオクレティアヌス帝にちなんだ建造物を紹介します。
写真の噴水の向こうにある建物は「サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会」と呼ばれています。
ちなみに「ローマ人の物語ⅩⅢ」の中では、「聖母マリアと天使と殉教者の教会」とされていました。
この教会を見たときは、古い建物を利用したんだな、と思ったくらいなのですが、もともとは紀元305年に完成した「ディオクレイティアヌス浴場」だったそうです。
その一部、具体的には「温浴室」と「冷浴室」の部分が教会として残っています。
そのせいか、建物内部が、普通の縦長の十字とは違い、横長になっています。
後に教会の建設を依頼された、かのミケランジェロが、可能な限りオリジナルな状態を残そうとしたからです。
さすがミケランジェロと、改めて感心させられます。

彼のおかげで、ローマ人の空間感覚を追体験できるのですが、残念ながら内部のことは記憶にありません。
このときは、ローマ時代について、全く知識がなかったこともあります。
また、この後に見た、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会のキンキラキン、そして「聖テレーザの法悦」に心を奪われてしまったからかもしれません。

ちなみに、写真の噴水のまわりは共和国広場と呼ばれます。
広場といってもロータリーになっており、車が走っていました。
この外縁の部分こそ、広大なディオクレティアヌス浴場の外縁になっていたそうです。
そんなこともつゆ知らず、「わあ古い教会と噴水だ。そこをくるまがぐるぐる走っているよ」とアホみたいに思いながら写真を撮っていました。
場所はテルミニ駅の近くです。
ぜひ今度行かれる時は、教会内部の空間にその身をひたすと共に、車を消し去って、古代ローマの巨大な浴場の空間を想像し、感じ取ってみてください

ローマのサンタンジェロ城

2007-06-12 22:33:34 | ヨーロッパ旅行記
ハドリアヌス帝に続き、アントニヌス・ピヌス帝にちなんだ建造物も通り過ぎていました。
今ではサンタンジェロ城と呼ばれていますが、もともとはハドリアヌス帝の霊廟とされていました。
123年にハドリアヌス帝自身が自らの墓として建築を開始し、139年、アントニヌスの治世になって完成しました。
となると、厳密にはアントニヌスの建造物ではありません。
しかし、この前にある橋は、アントニヌスの治世に造られた物です。
ハドリアヌスがいろいろ造ったせいか、アントニヌス自体はほとんど自分の建造物がありません。
この橋の他は、あともう一つだけらしいです。
当然のことながら、この橋も大きく様変わりしています。
後にベルルーニ作による天使像など、さまざまな作品で装飾されています。
(上の写真では、橋の真ん中でこちらをにらんでいるおっさんの方が目立っているのが残念ですが・・・)

ちなみに、このサンタンジェロでハドリアヌス帝を偲ぼうと思えば、建物に中に降りていく階段を進まなければならないそうです。
そんなことを知らなかった自分は、売店の脇を通り、上に登っていった記憶しかありません。
そしてテラスから、ヴァチカンやローマ市内の眺め、そして頂上の守護天使に感動したものです。
ポーズがきまって、本当に格好いい天使です。