すみません。
『とんでもない事故に巻き込まれて』なんてタイトルで予告しておりましたから、前記事を見て頂いたブロともの方々にご心配をお掛けしました。
大丈夫です。 私は怪我も何もしていませんから。
昔ある人が私の前で、ぽつりと零した言葉があります。
『人間、どん底が長く続いたら、慣れて来て楽しむようになるからね。』
私はまだどん底状態ではなかったから、私に対して言った言葉じゃありません。
だけど、本当にどん底状態になった時に、毎日毎日この言葉が頭の中に響いてきました。
そしてこの言葉の意味をずっと考えてきました。
おそらく、私に言った人が人だけに、
「苦しんでいる人間は放って置いた方が良いよ。」
「その内に慣れて来て貧困状態から抜け出そうなんて考えなくなるよ。」
「それはそれで楽しくなってしまうからね。」 ...ですね。
確かに慣れるまでは、た~いへんでした。
この人を馬鹿にしたような言葉がずっと私を支えて来てくれました。
食べるものどころか電気も水も止められることも何十回とあり、子供の登校費も出せず1時間半かけて歩いて送り迎えをしたり、学校が変る前の3ヶ月間は週に一度しか登校させなかったり。
オムツやテイッシュが買えなくて大便も手で洗ってやりました。
何よりもミルクが買えない状態なので、生後1ヶ月から米をおかゆにして食べさせたりもしました。
子供が可哀相で、苦しくって苦しくって毎晩泣いていました。
だからこの言葉を逆手にとって、早く慣れるように努力しました。
事業が落ち込んだ(急激でしたから)4年前は、1年間ほどあちらこちらから10万円や20万円が数箇所から出てきました。
私はカバンやバッグを買うのが趣味でしたから、外国に旅に出たときに買って置いた物が未だに使用していない20個ほどを含めて、およそ100個ほどあります。
そのいくつかに札束を隠していたり、妻にも判らない所に隠して置いたりしていました。
これは私が毎月10日間ほど日本に帰っていたので、妻や事務所に急な支払いができた時に電話で「どこの棚のどこどこにお金がある」と教える様にしていました。
別に隠し財産という事じゃありません。タレントが2~300人住んでいたので、何事かあった時のために分けておいたお金です。
5人や10人が急に日本行きが決まる事もよくありましたし、いくつか別に事業もありましたから。
そしてお金が無くなってしまった次の1年間は、持ち物を売りました。
十何台かエアーコンも有りましたし事務机やコンピュータも。
仕事が無くなっていて従業員を解雇したのですが、去年末まで13人の大所帯でした。
私は従業員を一番大切にしていたので、私のところから別の仕事に就くことが困難になっていましたから可哀相でした。
まあ、他の考え方もあるんですけど、私もお陰でまだ残っている私自身の家財道具や趣味の物を従業員が少しずつ売ってきてくれました。
そしてビルから2度目に引越しをして来たここで、最後に従業員は、私の残されたわずかな物を売って来るからと持ち出してそのまま戻って来なくなりました。
罪作りな事をしました。(笑)
私はジャンバル・ジャンに神父さんが取った行動の様に、追い銭を打ってあげられないのが辛いんですけど、他人にはこう言います。
『事業が傾き始めたら、まず従業員から整理しなさい』と。
余計可哀相な目に合わせますから、十分な事をしてあげられる内に他の職に就かせてあげないと...
ただね、私の夢は従業員みんなの笑顔ですから。それも大笑いの...
『貧すれば鈍する』。
従業員だけじゃなく、私も同じですから...
ぜんぶ許して笑って待ちませう...
さて、もうひとつ。
ある人から私に言われた言葉があります。
『どんなに貧しい生活をしてても、一度でも大金をつかんだ事がある人間は、 必ずまた金持ちに成れる。』
先の言葉とこの言葉、『慣れる』と『成れる』。
ゴキブリのように生きようと思いました。
どこにでも頭を突っ込んで、しぶとく生き残る。
半世紀を越える人生を、他人と自分の生き様を見て来た私ですから、
なんとなく感覚的に運命が判るようになりました。
他人は誰でも10年チョットの間に3年ほど落ち込む時期がある。
一生に1~2度、大殺界のような、何をやっても駄目な時が来る。
新築のマイホームを建てると、3年以内に不幸事が起こりやすい。
厄年は、人生の節目の意味だから、悪い事だけじゃあない。
これは多分『人間死ぬ時はチャラ』の途中勘定じゃあ無いでしょうか?
と、言うわけで、最近はどん底に慣れました。
突発的な難問にも動じなく、図々しく成りました。
まだお金持ちには成れませんけど...
幸いにも、お米やミルクを抱えて来てくれる親友も何人かいて生きていけます。
至らぬ事が沢山有って、神さんが、
『まだお前に幸運はやれぬ。』と言います。
ただ、『事を起こせば必ず裏目になる。』と言う時期は過ぎた様な兆しがあります。
何度死んだ方がましだと思った事でしょう。
自殺をする事など考えた事はありませんが、気が狂うほどパニックになると自分で自分に引き金を引く事に成りかねないとも限りませんので、銃は先に手放しました。
今では酷く苦しいときには『た~いへん!』と笑い飛ばします。
早くみんなにお返しをしなくっちゃ。
ブログに来てくれてる人たちにもお世話になりっぱなしですし、
皆さんの悲しいブログに感動して毎日泣かされていますし、
その内に、
『金持ち爺さんになる秘訣』というブログでも書いてお返ししましょうか?
無理でしょうけど『幸せ爺さんになる秘訣』くらいはできるかも...
そんな訳で、私のブログの前で心を痛めないで下さい。♪
日記は続かないし失くしてしまいますから、記録しているだけです。
時には気をつけて欲しい情報もありますけど、大半は記録誌です。
私の不幸は笑って見てやって下さい。
そうでないと、将来幸せに成る(成れると勝手に思っている)、
私たちの苦しかった時の記録が綴れません。
★ 本題に入ります。
これからのお話は、少しは参考になれると思います。
先日、大火事や、すれ違う消防車を気にしながらタクシーに乗っていました。
タクシーの運ちゃんは歳を取った運転が荒いおじさん風でした。
キリノ通りを通ってサンタ・アナ付近でメーターは60ペソ(約120円)を指して、
ちょうど曲がり角を越えようとしていたところに、突然タクシーの右側から
『バァ~ン!』
私は一人で後部座席左寄りに座っていました。
瞬間右窓を見ると自転車の車輪がひっくり返って窓越しに見えました。
運転手のおっちゃんも気づいたようですがブレーキを踏み込めず、そのまま5、6メートル進んで止まりました。
『ガシャッ』『グギャ!』『ガガガッ!!』『ドォン』『ボコッ』『ゴギャ!』
その間、窓から見えたのは、自転車と人の頭とまた自転車と人の足。
「シィット!...」 おっちゃんの声。
瞬間的な事故ですが、私の目には自転車に乗った人がタクシーの右前後のタイヤに巻き込まれて二回転ほどする様子が、スローモーションのように焼きつきました。
「うわっ、どうしよう!?」
私は怖くて一瞬身体が固まり、「タクシーから降りなきゃ」と思いました。
右のドアーを開けるのは躊躇い(とまどい)ました。
もしドアーを開けた時、そこに血まみれの人が死んでいたなんて嫌ですから。
私は左窓寄りに座っていたので、左ドアーを開けようとして窓を見ると、
ジープニーの助手席側が立ち塞がっていました。(左ハンドルですから)
窓を下ろして手を伸ばし、止まっているジープニーに前に進めと指示をしました。
タクシーを降りて後ろに回り、人だかりになってる中を恐る恐る覗いてみると、
30前くらいの男の人が倒れていて腰や足をさすっている。
血が出ている様子は見えないが、ひどい打撲を受けた事は分かりました。
「タクシーに乗れ!」
絶対に病院に運んだ方が良いことは、周りの人達も思った事でしょう。
何人かの人が抱えて私が乗ってきたタクシーに入れ込みました。
「待てよ? もし病院に運んで行く途中でこの男性が死んだら、辺りはもう薄暗くなっている事だしきっと運ちゃんは男性を車から放り出して逃げるんじゃないかな?」
思いましたよ。 思いますよ。だって私が逃げたかったんですから...
「誰か付き添いは無いか?」
知り合いでしょうか、若い女の子がうなずきました。
「携帯は持ってるか? よし! 乗って乗って!!」
女性を後部座席に座らせて、自転車を担いでトランクに入れ込み、
タクシーの運ちゃんに、
「はやく! 速く病院へ!」
我に返った運ちゃんは、
「ボスッ、タクシー代!!」
「シィット!...」 ...Pinoy
おっちゃん、しっかり忘れてなかった。 タクシー代...
ポケットから100ペソ(200円)を取り出して渡すと、
初めておっちゃんは逃げる様に走り去ってしまいました。
「お~い、お釣り! おつり~~!!」
家までまだ遠いぃじゃん。。。
仕方が無いのでトライシカル(サイドカーが付いたバイク)を拾いました。
40ペソ(80円)... 痛い出費。お釣りも取りそこね...
とんでもない事故に巻き込まれたのは、若い男性と自転車です。
私は、
とんでもない事故で、巻き上げられて痛かっただけです~。
ごめんなさい。
下手な駄洒落の為にご心配をお掛けしました。
Pinoyはいつも元気ですぅ。
『とんでもない事故に巻き込まれて』なんてタイトルで予告しておりましたから、前記事を見て頂いたブロともの方々にご心配をお掛けしました。
大丈夫です。 私は怪我も何もしていませんから。
昔ある人が私の前で、ぽつりと零した言葉があります。
『人間、どん底が長く続いたら、慣れて来て楽しむようになるからね。』
私はまだどん底状態ではなかったから、私に対して言った言葉じゃありません。
だけど、本当にどん底状態になった時に、毎日毎日この言葉が頭の中に響いてきました。
そしてこの言葉の意味をずっと考えてきました。
おそらく、私に言った人が人だけに、
「苦しんでいる人間は放って置いた方が良いよ。」
「その内に慣れて来て貧困状態から抜け出そうなんて考えなくなるよ。」
「それはそれで楽しくなってしまうからね。」 ...ですね。
確かに慣れるまでは、た~いへんでした。
この人を馬鹿にしたような言葉がずっと私を支えて来てくれました。
食べるものどころか電気も水も止められることも何十回とあり、子供の登校費も出せず1時間半かけて歩いて送り迎えをしたり、学校が変る前の3ヶ月間は週に一度しか登校させなかったり。
オムツやテイッシュが買えなくて大便も手で洗ってやりました。
何よりもミルクが買えない状態なので、生後1ヶ月から米をおかゆにして食べさせたりもしました。
子供が可哀相で、苦しくって苦しくって毎晩泣いていました。
だからこの言葉を逆手にとって、早く慣れるように努力しました。
事業が落ち込んだ(急激でしたから)4年前は、1年間ほどあちらこちらから10万円や20万円が数箇所から出てきました。
私はカバンやバッグを買うのが趣味でしたから、外国に旅に出たときに買って置いた物が未だに使用していない20個ほどを含めて、およそ100個ほどあります。
そのいくつかに札束を隠していたり、妻にも判らない所に隠して置いたりしていました。
これは私が毎月10日間ほど日本に帰っていたので、妻や事務所に急な支払いができた時に電話で「どこの棚のどこどこにお金がある」と教える様にしていました。
別に隠し財産という事じゃありません。タレントが2~300人住んでいたので、何事かあった時のために分けておいたお金です。
5人や10人が急に日本行きが決まる事もよくありましたし、いくつか別に事業もありましたから。
そしてお金が無くなってしまった次の1年間は、持ち物を売りました。
十何台かエアーコンも有りましたし事務机やコンピュータも。
仕事が無くなっていて従業員を解雇したのですが、去年末まで13人の大所帯でした。
私は従業員を一番大切にしていたので、私のところから別の仕事に就くことが困難になっていましたから可哀相でした。
まあ、他の考え方もあるんですけど、私もお陰でまだ残っている私自身の家財道具や趣味の物を従業員が少しずつ売ってきてくれました。
そしてビルから2度目に引越しをして来たここで、最後に従業員は、私の残されたわずかな物を売って来るからと持ち出してそのまま戻って来なくなりました。
罪作りな事をしました。(笑)
私はジャンバル・ジャンに神父さんが取った行動の様に、追い銭を打ってあげられないのが辛いんですけど、他人にはこう言います。
『事業が傾き始めたら、まず従業員から整理しなさい』と。
余計可哀相な目に合わせますから、十分な事をしてあげられる内に他の職に就かせてあげないと...
ただね、私の夢は従業員みんなの笑顔ですから。それも大笑いの...
『貧すれば鈍する』。
従業員だけじゃなく、私も同じですから...
ぜんぶ許して笑って待ちませう...
さて、もうひとつ。
ある人から私に言われた言葉があります。
『どんなに貧しい生活をしてても、一度でも大金をつかんだ事がある人間は、 必ずまた金持ちに成れる。』
先の言葉とこの言葉、『慣れる』と『成れる』。
ゴキブリのように生きようと思いました。
どこにでも頭を突っ込んで、しぶとく生き残る。
半世紀を越える人生を、他人と自分の生き様を見て来た私ですから、
なんとなく感覚的に運命が判るようになりました。
他人は誰でも10年チョットの間に3年ほど落ち込む時期がある。
一生に1~2度、大殺界のような、何をやっても駄目な時が来る。
新築のマイホームを建てると、3年以内に不幸事が起こりやすい。
厄年は、人生の節目の意味だから、悪い事だけじゃあない。
これは多分『人間死ぬ時はチャラ』の途中勘定じゃあ無いでしょうか?
と、言うわけで、最近はどん底に慣れました。
突発的な難問にも動じなく、図々しく成りました。
まだお金持ちには成れませんけど...
幸いにも、お米やミルクを抱えて来てくれる親友も何人かいて生きていけます。
至らぬ事が沢山有って、神さんが、
『まだお前に幸運はやれぬ。』と言います。
ただ、『事を起こせば必ず裏目になる。』と言う時期は過ぎた様な兆しがあります。
何度死んだ方がましだと思った事でしょう。
自殺をする事など考えた事はありませんが、気が狂うほどパニックになると自分で自分に引き金を引く事に成りかねないとも限りませんので、銃は先に手放しました。
今では酷く苦しいときには『た~いへん!』と笑い飛ばします。
早くみんなにお返しをしなくっちゃ。
ブログに来てくれてる人たちにもお世話になりっぱなしですし、
皆さんの悲しいブログに感動して毎日泣かされていますし、
その内に、
『金持ち爺さんになる秘訣』というブログでも書いてお返ししましょうか?
無理でしょうけど『幸せ爺さんになる秘訣』くらいはできるかも...
そんな訳で、私のブログの前で心を痛めないで下さい。♪
日記は続かないし失くしてしまいますから、記録しているだけです。
時には気をつけて欲しい情報もありますけど、大半は記録誌です。
私の不幸は笑って見てやって下さい。
そうでないと、将来幸せに成る(成れると勝手に思っている)、
私たちの苦しかった時の記録が綴れません。
★ 本題に入ります。
これからのお話は、少しは参考になれると思います。
先日、大火事や、すれ違う消防車を気にしながらタクシーに乗っていました。
タクシーの運ちゃんは歳を取った運転が荒いおじさん風でした。
キリノ通りを通ってサンタ・アナ付近でメーターは60ペソ(約120円)を指して、
ちょうど曲がり角を越えようとしていたところに、突然タクシーの右側から
『バァ~ン!』
私は一人で後部座席左寄りに座っていました。
瞬間右窓を見ると自転車の車輪がひっくり返って窓越しに見えました。
運転手のおっちゃんも気づいたようですがブレーキを踏み込めず、そのまま5、6メートル進んで止まりました。
『ガシャッ』『グギャ!』『ガガガッ!!』『ドォン』『ボコッ』『ゴギャ!』
その間、窓から見えたのは、自転車と人の頭とまた自転車と人の足。
「シィット!...」 おっちゃんの声。
瞬間的な事故ですが、私の目には自転車に乗った人がタクシーの右前後のタイヤに巻き込まれて二回転ほどする様子が、スローモーションのように焼きつきました。
「うわっ、どうしよう!?」
私は怖くて一瞬身体が固まり、「タクシーから降りなきゃ」と思いました。
右のドアーを開けるのは躊躇い(とまどい)ました。
もしドアーを開けた時、そこに血まみれの人が死んでいたなんて嫌ですから。
私は左窓寄りに座っていたので、左ドアーを開けようとして窓を見ると、
ジープニーの助手席側が立ち塞がっていました。(左ハンドルですから)
窓を下ろして手を伸ばし、止まっているジープニーに前に進めと指示をしました。
タクシーを降りて後ろに回り、人だかりになってる中を恐る恐る覗いてみると、
30前くらいの男の人が倒れていて腰や足をさすっている。
血が出ている様子は見えないが、ひどい打撲を受けた事は分かりました。
「タクシーに乗れ!」
絶対に病院に運んだ方が良いことは、周りの人達も思った事でしょう。
何人かの人が抱えて私が乗ってきたタクシーに入れ込みました。
「待てよ? もし病院に運んで行く途中でこの男性が死んだら、辺りはもう薄暗くなっている事だしきっと運ちゃんは男性を車から放り出して逃げるんじゃないかな?」
思いましたよ。 思いますよ。だって私が逃げたかったんですから...
「誰か付き添いは無いか?」
知り合いでしょうか、若い女の子がうなずきました。
「携帯は持ってるか? よし! 乗って乗って!!」
女性を後部座席に座らせて、自転車を担いでトランクに入れ込み、
タクシーの運ちゃんに、
「はやく! 速く病院へ!」
我に返った運ちゃんは、
「ボスッ、タクシー代!!」
「シィット!...」 ...Pinoy
おっちゃん、しっかり忘れてなかった。 タクシー代...
ポケットから100ペソ(200円)を取り出して渡すと、
初めておっちゃんは逃げる様に走り去ってしまいました。
「お~い、お釣り! おつり~~!!」
家までまだ遠いぃじゃん。。。
仕方が無いのでトライシカル(サイドカーが付いたバイク)を拾いました。
40ペソ(80円)... 痛い出費。お釣りも取りそこね...
とんでもない事故に巻き込まれたのは、若い男性と自転車です。
私は、
とんでもない事故で、巻き上げられて痛かっただけです~。
ごめんなさい。
下手な駄洒落の為にご心配をお掛けしました。
Pinoyはいつも元気ですぅ。
師走でお忙しい事と思いますが
応援ポチにご協力お願いしま~す。
↓ ↓ ↓
いつもありがとうございます。
生きてさえいれば何かが起こる!!
良い事も悪い事も!!
人生、のんびり楽しみましょう~
そしていつか書いてください!
『金持ち爺さんになる秘訣』!!(^ー^* ) フフフフ
事故に遭遇した被害者!
生きてるんでしょうかね~(; ̄ー ̄A
ずうずうしそうなお喋りの中で、恥ずかしがり屋の性格がもろに見えて楽しませてくれる人ですね。
自分がこれからどうなるんだろう、とワクワクするのは分かります。
だから恥も外聞も無く自分を記録していきたいと思っています。
人生だけじゃなく、ブログも勉強しながら頑張ります。さんまさんの様に。
私ごとですみませんが、一緒にワクワクして見ててください。
またコメント下さいね。
有難うございました。
Pinoy
明石家さんまさんは、どんなにどん底でも楽しもうとしているそうです。
バブルが弾けて数億円の借金を抱えて、
「これは、喋るか自殺やな」と思ったそうですが、
その状況を楽しんだそうです。
これから自分はどうなるんだろう、とワクワクするんだとか。
あなたの一言、とても嬉しいです。
私が笑ってしまいました、疲れが一瞬の内にどこかへ行ってしまいました。
いつもお立ち寄り、有難うございます。
Mさんは、感受性が強くて、他人の痛みを自分のことの様に感じる人だと思います。
笑って頂けましたか?
多分、今の私と同じように笑ってしまったと思います。
また来て下さい。
楽しいブログが書ける様に頑張ります。
また笑って頂けるように、
お待ちしています。
奇遇ですね。
12日の土曜日に、人を尋ねてアンヘレスに行って来たばかりです。
バリバゴと言う町ですか、凄い所ですねアンヘレスは、いろんな国の外人で賑わっていました。
HANAMI、にじ、一番、Wood Bell、日本人のお店も入ってみました。
タイ国の繁華街の様な感じでしたけど、もっと大きく、これじゃあ日本人のオーナーが移住したくなる理由が何となく解かりました。
バランガイに訴えられたんですか?
先週、私もバランガイ長の前でクリスマスには家賃を払わなかったら荷物を置いて出て行くように署名しました。
バランガイ長は女性で、大家の息子の味方ばかりするから、「姉ちゃん、あんた本当に部落長ね? 中立の立場をとらないかんよ。」って言ってやりました。
以前住んでいた所では、バランガイ長が仲人になってくれました。
日本人は、バランガイと密に接するのが一番です。
警察が踏み込んでくる前にはバランガイに最終許可を得て逮捕される事になりますから、バランガイで誤解を解いたり話し合いが出来たりして、相互協力が出来る所ですから。
DAIさんのマッサージ店が繁栄されることを願います。
今度来られた時には、DAIさんのお店のブログをここにリンクして下さい。
頑張りましょうね。
ありがとうございました。
毎日、楽しく拝読させていただいています。
私は現在 フィリピンのパンパンガ アンヘレスでマッサージ業を営んでいます。始めて7カ月目に突入しましたが、やっと固定客も付き黒字が出てきました。来年は2号店を出店予定です。
今日のブログ・・・身に染みました。
毎日、フィリピンの情報収集を含めて楽しく拝読していますが、今日のブログだけは・・・。
私もマッサージを始めた時はフィリピン人の男に騙されるわ、従業員がワガママ過ぎてストレス溜まるわ、7か月の間にバランガイをすでに2回も体験するわでストレスだらけでした。しかし、現在は従業員を解雇し続けて やっと良い従業員にめぐり合いました。日本式のサービスをお客さんにすることによって多くの固定客もつかみました。先日、彼女と「あの頃は毎日 大変だったね!」という話をしました。「オレ、鼻毛まで白髪になったよ」と笑う事ができました。
>突発的な難問にも動じなく、図々しく成りました。
確かに・・・少々の問題もあの頃に比べればと彼女も笑っています。
大変でしょうがブログ、頑張ってください!