私の父親は新しいものが好きな人でした 私が物心付いた4~5歳の頃はは自転車で通勤していたが
ある日突然自転車オートバイに乗って帰宅した
1台めトヨモーター60 である
画像がないので探していると上記のポスターを見つけた
ポスター下
まさにトヨモーター60cc 記憶ではサイドに付いているエンジンガバーは赤っぽかったと思う
自転車オートバイと云う代物 近所の人も見たことがないのでびっくりしていた、一番驚いたのは母だったと思う。
写真を探しているうちにトヨモーターの創設者はトヨタ(当時豊田織機自動車事業部)出身者であった このバイクは当時(S25~28年頃)トヨタ販売店が販売していたようである
2台目はロケット号
排気量は定だかではないが125か200ccくらいだと思う
父はこのバイクに私と弟を乗せて四万十市(西土佐村)の四万十川に架かる吊り橋まで往復
100kmを走った記憶がある
当時は砂利道(ダート)で砂埃まみれの初めてのツーリングであった。
近所のガキ大将が父を真似て前に弟後ろに私を乗せて写真に収まっていた
ロケット号
(屋根の上の○○○はおばあちゃんの切干大根)
3台目ライラック125cc
チェンのないドライブシャフト子供心にも珍しかった
四台目もライラックだったが125ccか250ccかは定かでない
車体に正丸自動車と書いていたのは記憶している
当時村でもバイクが流行りだしてライラッククラブと称した愛好会が出来て仲間でツーリングに出かけたこともあった。
5代目スズキコレダ125cc
写真とは少し違うような気もする
もう一つ前のモデルかも知れない
6台目 スズキコレダ250cc
父は郵便局に勤務していて、このコレダ号て通勤していた頃に局長になった。
このバイクは油圧ブレーキでハンドルの右に付いていたマスターシリンダーで前後ブレーキが同時にかかるようになっていて当時はめずらしかった。
私が中学の頃この250cc(当時は軽二輪と言っていた)を車庫から出して父親には内緒で乗って運転の練習していた。
私がバイクやクルマが好きなのは父の影響かもしれない。
写真を探しているうちにわかったことである
S30年中頃に愛知県や静岡県の浜松市周辺には100軒ほどの自転車オートバイ屋(原付自転車製作所)があったようである
その中にホンダ(本田)、ヤマハ(山葉)、スズキ(鈴木)が勝ち残ったのである。
当時憧れであったトーハツランペット(東京発動機)は衰退。 ダイハツ(大阪発動機)はオート三輪からクルマに移行した。
日産自動車の前身と書いてあった。
ホンダ技研の売れ筋だった初期のカブ号、ベンリイ号、ドリーム号である
メグロは東京目黒に本社があり母方の親戚の人がテストライダーをしていたので川崎時代には度々遊びに行って話を聞かせてもらった。