霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

赤間関街道北道筋(俵山⇒西市)その4

2010年12月12日 | 赤間関街道
2010年12月12日(日) その3からの続き

豊田湖の南端には木屋川ダムがあって、ダムの堰堤を眺めようと管理事務所前に行くと、入り口に「ダムカード配布マップ」なるチラシが貼り付けてあった。
「ダムカード」なる言葉を初めて聞いたのでチラシをよく読んでみると、ダムへの来訪者に配布する簡易パンフレットのことだそうで、全国統一のフォームでマニアックな情報まで掲載しているらしい。

事務所入り口に、「ダムカードを入用の方はインターホンを押してください」と書いてあったので、恐る恐るインターホンのボタンを押してみると、当直らしい方が奥から出てきて、管理台帳に住所などを記入すると、すぐにダムカードを手渡してくれた。
マップによれば山口県下の10ヶ所のダムでダムカードを発行しているようで、今後ダムの近辺を通った時には必ず立ち寄ってみることにしよう。

しかし思い起こしてみると、確か平成になる少し前位に、ここの木屋川発電所に何かの仕事で来たような憶えがあり、記憶を辿ってダムの直ぐ下流にある発電所施設へ立ち寄ってみた。
しかし発電所入り口の鉄扉は閉まっていて、平成3年に発電所は無人化された旨の告知板が掲示してあった。

ここのダムは1940年(昭和15年)に着工して、途中資材不足で中断の後、1955年(昭和30年)に完成したそうだが、そうすると、古来からの赤間関街道北道筋は、このダムができたことで豊田湖の湖底に埋もれたことになる訳だナ。
先人達が苦労して切り拓いた街道を湖底に沈めてしまったことは、時代の流れと社会情勢の変化で仕方ないこととは言え、その辺りの事実を、何らかの形できちんと後世に伝えておく義務はあると思うのだが、少なくとも今のこの街道沿いには何も見あたらない。

更に南下を続けて大河内集落辺りでは、県道の右側に旧街道の風情をそこそこ残した道が残っており(写真上)、江戸時代に建立されたと思しき「三界萬霊」の地蔵様も、優しく見守ってくださる。

県道の左手を木屋川がずっと流れていて、更にその向こうには「中国自然歩道」もあるのだが、その標識(写真下)を信じてしまうとエライことになるから、注意しないといけない。
この道は各所で寸断されていて、写真のような看板を信じて豊田湖から西市まで歩けるのかと思うと、大間違い!!!。道が荒れていたり崩れていたり、猪避けの柵で通れなかったりと、「道」としての役目は全く果たしていないのだ。
標識には、「山口県・環境庁」と書かれているが、どちらの担当官庁も、このような現状はもう知ったことではないのだろう。何かの事業を始めるときに、将来の維持管理のことまで考えないその場限りの施策で、今まで一体どれだけの無駄遣いをしてきたのだろうかネェ……と、今日の旅の終わりに、またまた考えさせられたのだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿