2010年10月16日(土) その3からの続き腹ごしらえの後は、津和野大橋から北側に広がる殿町周辺をゆるりと散策する。この橋の南側にある郷土館の前は、昔ながらの街道松の風情を残している(写真上)。オイラが幼少のみぎりは、実家の近くやあちこちで、この写真のように道を塞ぐような街道松が結構あったように記憶しているが、いつの時代にかモータリゼーションの波に呑まれて消え去ってしまったのだろう。そんな想いを . . . 本文を読む
2010年10月16日(土) その2からの続き津和野城に登ってみて、その造りや眺めに驚いたのはもちろんだが、何とここにも、SL撮影団(いわゆるトリテツ)がワンサといることにも吃驚した(写真上)。当然、こんな遠方から撮影するのだから、皆さんが持参しているカメラは、でっかいズーム付きの高級デジタル一眼と三脚他一式だワナ。見れば、主力の年齢層はやはりオイラと同様のリタイア世代のようで、小金を貯め込まずに . . . 本文を読む
その1からの続き山上に上がって見ると、見事な石垣を始めとする本格的な城造りの有り様に驚く(写真上)。平地に造られた城と全く変わらない巨大な石垣群を、どうやってこんな山上に持ち上げたのだろうかと想いを巡らしてみるが、当然オイラのような素人に分かる訳がないワナ。元寇警備のため、1282年に土塁だけの原始的な山城としての築城が始まったらしいが、関ヶ原後の1601年以降に今のような石垣造りや出丸の増築など . . . 本文を読む
2010年10月16日(土)これまで津和野にはもう数え切れない程来ているのだが、三本松城とも言われる津和野城には登ったことがなかったので、今回行ってみることにした。どうせなら登りくらいは歩いて行ってみようと思ったら、何と、登山道は閉鎖されていて、有料(往復450円)のリフトでしか登れないことが分かった(写真上)。おまけに、リフトに乗る際には、熊よけの鈴を腰に着けさせられるという有様で、まぁこれはこ . . . 本文を読む
2010年10月16日(土) その2からの続き林を抜けて下り坂の途中に小さな集落があるが、その頭上を巨大な橋脚が覆う(写真上)。山林と僅かな田畑以外には何も無い(ように見える)集落だし、現に人も車も全く通らないのだが、このような立派な道路が必要なんだネェ。畑仕事をしていたお爺さんがいたので、『この道路はいつ完成するんですかぁ』と聞いてみたが、『さぁ、よぉ知らん』と全く無関心だったのには笑ってしまっ . . . 本文を読む
2010年10月16日(土) その1からの続き街道に戻り、国道9号を横断した先の領家集落を過ぎ、再度国道を横断すると道は少しずつ登り坂になる。野坂堤の手前で国道に合流すると、左手に、大型トラックのチェーン装着場があり、ここの片隅に「野坂御番所跡」と書かれた説明板が建っていて(写真上)、明治2年に御番所が廃止されるまでは、ここに国境の番所が在ったようだ。この先の野坂峠が、長門国(長州藩)と石見国(津 . . . 本文を読む
2010年10月16日(土)いよいよ石州街道歩きも三回目となり、今日は津和野までは軽く行けそうだが、取り敢えず津和野までを一区切りとしよう。JR山口線の徳佐駅で下車し、まずは駅前の徳佐八幡宮(写真上)へ参詣して、今日も無事に歩き始めることができることに感謝する。例によって、道中安全祈願などの「願い事」はしない。大内氏三代目の満盛公が平安時代末期に創建し、その後の毛利氏歴代藩主も手厚く崇敬したようで . . . 本文を読む
2010年10月11日(月) その2からの続き県道311号をしばらくそのまま往くと、赤根屋地区に入る。左手に、お地蔵様入り口と書かれた案内板があり、入っていくと確かにお地蔵様が鎮座していたが、その裏手に墓標のようなものが見えたので、元の県道に戻って裏側から見ると、藪の中から「千人亡者供養塔」と書かれてあるのが見えた(写真上)。何でも、慶応4年(1868)の大水害で、阿武川沿いに打ち上げられた大量の . . . 本文を読む
2010年10月11日(月) その1からの続き右手に少し離れていたJRの線路が、またすぐ側を走るようになると間もなく右に名草駅が見えてくる(写真上)のだが、ここも駅名の看板は無くて、一日二便のコミュニティバスのバス停表示で、かろうじてここが名草だと分かる。さくら小学校辺りからようやく地福地区へ入るが、昔はそこそこに賑わいのある町だったであろうことを忍ばせる通りではある(写真中)。写真の左手に続く土 . . . 本文を読む
2010年10月11日(月)SL騒動(?)を後にして、再び石州街道の続きを歩き始める。長門峡駅前から右折して、国道9号に出て150mばかり先に、国道から離れて右へ入る小径があり、これを往く。阿武川踏切を渡ってから暫くは、左手に阿武川上流を眺めながらの、のんびりした田舎道だ。その先の久保田踏切を渡ると国号9号に合流し、歩道が無く危険な国道がやがて右にカーブしてJRを越える辺りに、右手に降りる小径があ . . . 本文を読む
2010年10月11日(月)石州街道の二回目を長門峡駅からスタートしようとして、新山口駅から山口線に乗ったのはいいが、乗った電車が途中の宮野止まり。さてその先の長門峡まで行く電車はいつ来るのかいなと時刻表を確認すると、何と、二時間後だというのが分かってガックシ。仕方がないので山口駅で一旦下車して、待合室で山口新聞を買い求め、隅から隅まで読んで時間をつぶすことにした。JR山口線の宮野から先は、朝から . . . 本文を読む
2010年9月26日(日) その2からの続き木戸山峠を過ぎて旧阿武郡阿東町へ入ると道は下り坂になるが、心なしか空気がヒンヤリする感じがして、心地良い。道の傍らではコスモスがもう満開(写真上)で、峠を越えてきたオイラに、『お疲れさぁ~ん』と声を掛けてくれているようで、とても心が軽くなる。暫くは国道9号を右に見ながら並行して街道を行き、やがて国道を斜めに横断して国道の右に出る。その先で県道310号に突 . . . 本文を読む
2010年9月26日(日) その1からの続き山口ユースホステルのある岩杖地区を抜けていくと、路傍では曼珠沙華と蕎麦の花が競いあい、紅白の見事なコントラストを見せてくれる(写真上)。その先の小さな集落を過ぎると、山道への分かれ道には「クマ注意!!」の看板(写真中)があり、思わず身を引き締めさせられる。暫くは、風の音と鳥の鳴き声しか聞こえない風流な道をただひたすら登っていくが、時折右手の高い箇所に、国 . . . 本文を読む
2010年9月26日(日)石州街道(旧山陰道)を歩いてみることにした。旧山陽道と合流する小郡から山口市内までは、既に何度も歩いているので、山口市内の萩往還との合流点である「札の辻」(写真上)から津和野方面に歩き出した。歩き始めてすぐ先左手の万福寺で、今日も無事に歩き始められることにまずは感謝し、しばらく真っ直ぐな街道を往くと石観音堂に突き当たる。これを左折して、日赤入り口交差点で旧国道9号(現在は . . . 本文を読む