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「カウントダウン・メルトダウン」の真実

2014年03月19日 | 雑感

2014年3月19日(水)

久し振りに、長編のノンフィクションを購入してみた。船橋洋一氏の著作である「カウントダウン・メルトダウン」だ。書名で分かるように、福島第一原発事故をめぐる政府・東電・その他関係機関の事故対応を振り返りながら、綿密かつ詳細な取材に基づく、克明な記録である。
序章から終章まで、全部で23章にも及ぶ大作だが、あの日も、そしてそれ以後も、マスメディアでは国民に知らされなかった「重大な真相」の余りに多いことに、ただただ愕然とするばかり。

今回の事故では、ほんの一つでも対応を間違えば、少なくとも日本の半分は滅びたかも知れないことを考えれば、日本の歴史に残る大事件であったことは間違いない。
つまり、元寇襲来の文永の役・弘安の役、幕末の欧米連合艦隊襲来、日清・日露戦争、そして太平洋戦争と並ぶ、日本という国が存続できるかどうかの大きな瀬戸際の一つだったことが、この本を読んでみることで改めて実感できる。
尤も、前四つはその全てが外国からの圧力による危機であったのに比べ、今回の危機は国内の問題で、大震災の驚異だけでなく、政治・行政・電力業界・学会などの癒着や腐敗がその根本原因だから、余計に根が深くてかつ深刻なのは、もう国民も気が付いていると思う。
単純に、『原発はんたぁ~い』と叫ぶだけでは、問題は何も解決しないのも明白だ。

本の内容をあまり詳しく書いてしまうと差し障りがあるかも知れないので控えるが、例えば、前半の序章から第2章までというほんの一部分だけでも、私もそして多くの人が知らなかった次のような「重大な真相」が見えてくるのだ。

★事故直後に、東電・協力会社社員・自衛隊・消防・警察などが命を懸けて死に物狂いで危機対応に奮闘しているさなかに、原子力安全保安院の保安検査官が、現場から真っ先に退避(逃避)した。このことは、職業倫理と使命感を著しく欠いた明らかな「敵前逃亡」であるにもかかわらず、それを許可した上層部も含めて、未だに誰も処罰されていない。
米NRC(原子力規制委員会)からは、『米国なら、即刻クビだ』と厳しく指摘されている。

★事故直後から約一週間程度は、現地と現地以外とを結ぶ通信手段は、東電社内のテレビ会議システム以外は全て不通となり、唯一、衛星回線を使った電話のみがかろうじて使用できた。従って、政府や行政機関への情報は、そのほとんどが東電経由とならざるを得なかった。つまり、政府・行政においては、重大危機にあたっての通信手段確保は全くできていなかった。

★3月12日午後の1号機水素爆発は、現地も政府も、何が起こったのかが分からず、福島中央テレビの望遠映像からそれを推測するしかないという、情けない状態であった。

★自衛隊員は、入隊する際に全員が、「日本国民の為に命を捧げる」という宣誓をしている。今回の事故対応にあたっても、文字通り最前線で決死の注水作業などを行い、仮に最悪撤収する際にも最後尾にあたるべく指示を出していた。
参考:「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」‥服務の宣誓

★事故半年前の平成22年10月に、政府主催の「原子力総合防災訓練」を実施している。浜岡原発3号機において、冷却機能喪失で放射性物質が外部に放出される事態を想定した訓練だが、状況は福島と同じなのに、福島の事故に対しては全く役に立たないおざなりで「形骸化」した訓練だった。
但し、訓練後の反省会で、「電源が回復しなかったらどうするのか、その場合、住民避難はどうするのか」などの意見も出たが、保安院が「それは、地域に不安を与える(つまり、原子力推進がやりにくくなる)ので、言えない」と制してそれまでとなった。・・・でも、危機の際は真っ先に逃亡するのが保安院

★事故当日の午後7時に「原子力緊急事態宣言」が公布され、枝野官房長官がそれを記者会見で発表し、民主党政府の総力を挙げて緊急事態に対応していると思っていたが、枝野はテレビで繰り返し放送される東京の帰宅難民(推定650万人)ばかりを気にしていた。
細野首相補佐官から、「帰宅難民は一晩放っておいても死なない、今の危機は東京よりも福島だ」と諭された。

★電源の回復には、電源車の配備が最も有効だが、ヘリでの空輸ができないため陸路をパトカーの先導で駆けつけた。しかし時遅く、既に空間放射線量が上昇していたため原発現場には入れなかった。他方、九州電力と自衛隊は過去に電源車空輸の訓練を行い、実際に奄美大島の集中豪雨の際にヘリで搬送したが、東京電力とはその訓練をしていなかったのが、空輸できなかった原因。

★それでも何とか、現場近くに30台もの電源車が駆けつけたが、今度は接続のケーブルや変圧器が大量に必要なことが分かり、電源車を待機させたまま、今度はそれらの手配に奔走するはめになった。原子力発電所には、そもそもそんなものは配備していないことがこの時点で分かった。

★事故当日夜に、保安院の中村審議官が「炉心溶融(メルトダウン)が進んでいる可能性がある」と記者会見で発言した(状況としては事実)。官邸はその報告を聞いていなかったことから激怒し、事前連絡の徹底を保安院に厳命した。その後、保安院の広報役は、中村→野口→根井→西山と目まぐるしく交代し、その結果、保安院だけでなく関連各省庁全てが、官邸への事前連絡に多くの手間暇をかけざるを得ないような状況(情報の遅滞)になってしまった。

今回の事故を単なる歴史の一ページとして捉えるのではなく、事故から学ぶべき教訓は何なのか、そして、未来の子孫の為に大人がこれから何をすべきかを、日本国民皆で考える必要があると思います。
別にこの本に囚われることはないのですが、この事故のある程度の真実を国民全員で正しく共有するのは、日本人としての義務でもあると思っています。
是非、皆様もご一読されることをお薦めします。



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