霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

三年振りの「山口薪能」

2014年08月04日 | 能楽鑑賞

2014年8月3日(日)

前回が2011年だったから、三年ぶりに開催された「山口薪能」に奥さまと出かけてきた。
昼過ぎの三時頃までは下関で仕事があったので、仕事はさっさと片付けて、自宅には寄らずに野田神社へ直行した。季節がら、当然雨は承知の上で、チャリ通勤時代に揃えていた雨合羽を小脇に抱えての観能だ。
開演前(タイトル写真)も演能中も、パラパラと何度も小雨が落ちてきたが、いざそれぞれの演目が始まってみると雨も気にならないもので、やはり一流の演者には能舞台上からビンビンと伝わってくるものがあることが、良く分かる。

いきなり、粟谷明生師の舞囃子「敦盛」が始まる。「敦盛」と言えば、織田信長が桶狭間の戦いの前に謡い舞ったと多くの方が勘違いされているようだが、実はあれは能ではなく幸若舞の方で、題材は同じく「平敦盛」なのだが、能の「敦盛」では、どこにもあの有名な詞章は出てこない。
そう、「人間五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度(ひとたび)生を亨け、滅せぬもののあるべきか」と、源氏の猛将熊谷直実が読んだ一節だ。

ことのついでに書いておく。一の谷の合戦で源氏に押されて敗走やむなしとなった平家一門だが、笛の名手でありながら愛用の笛を持ち出し忘れて退却船に乗り遅れた平敦盛は、通りがかった熊谷直実に一騎打ちを挑まれる。しかし、百戦錬磨の猛将に敵う筈もなく、ほどなく捕らえられてしまう。
直実がいざ首をはねようとして、僅か数え年16歳(!)の若武者である平敦盛と知り、刃先が一旦怯んでしまう。なぜなら、直実自身も、16歳の我が子を、この一の谷で亡くしているからだ。それでも心を鬼にして首をはねるが、これ以後、直実の心を苦しめることとなり、結局、翌年の屋島の戦いには参戦せずに出家して、世を儚むこととなる。
そこで直実が記したのが前述の一節だ。人の世の50年などという歳月は、仏世界では僅か一瞬のことであり、世上や人生なんぞがいかに儚いものかと悟ったのであろう。

で、舞囃子に戻るが、後シテの敦盛が一ノ谷の合戦の有様を物語り、熊谷直実に討たれた場面を再現する。粟谷明生師の謡と仕舞は、凛とした若武者を演ずるに余りある風情が絶妙で、法師となった直実に回向を頼んで終わる部分では、その無念さに秘めた悟りの境地を存分に演じていただいたと感じた。
しかし、能のことを余り知らない観客にとっては、能と舞囃子がどう違うのかが、よく理解できなかったのではないかと思う。パンフレットに、実行委員長の挨拶などは要らないから、この辺の解説を少しだけでも入れておくと、親切なんだがなぁ~。主催者側主体でなく、もう少し観客側主体で考えて欲しいもんだ。
もっと言えば、挨拶に名を借りた、市長の売名行為も止めて欲しいゎ。大人しく末席で観能していれば尊敬するのだが、こう出しゃばってしまうと山口市民として恥ずかしいことこのうえないし、興醒めも甚だしぃ。

で、気を取り直して、続いて仕舞が二番。粟谷幸雄師の「高砂」と、友枝昭世師の「天鼓」だ。
粟谷幸雄師は、既にかなりのご高齢(確か80歳超え?)の筈だが、舞台上ではその年齢を感じさせないキリッとした佇まいは、流石だ。自分がその齢になった時に、こうできるかと言えば、全くもって自信が無いのがお恥ずかしい。
そして言うまでもなく、今日の一番のお目当てである友枝昭世師の仕舞をようやく目にすることができたのだ。もうこれは、言葉にするのが憚られるくらい見事な仕舞で、僅か10分程度の短い演目であっても、全身全霊で舞っておられるのがひしひしと伝わってくる。足運びや腕の振りはまるで風に舞う如く、そして、ぴたっと止まった時の「静」の美しさと端麗さ。永く厳しい稽古に支えられた超一流の演者だけが持つ雰囲気には、いつも圧倒される。
EXILEダンスやヨサコイ踊りもいいけど、600年かけて培ってきた、日本人が本来持っているこういう本質的な身体表現による芸術を、もっと見直してもいいと思うなぁ。

続いて、今日の観客の半分近くを占める比較的若い年齢層の女性客お目当ての、野村萬斎師による「蚊相撲」だ。揚幕が上がって萬斎師が橋掛かりに出た途端に、大きな拍手。そして、本舞台の正先で正面を向いたところで、また大きな拍手。これは、関東で何度も萬斎師の舞台を見させていただいた際には決して見られなかった、面白い光景だった。
ま、山口の田舎ですからご愛敬ということでいいのかなぁ・・・とは思うが、拍手を貰った萬斎師も、『えぇっ?ここで拍手?』と、さぞや戸惑ったのではなかろうか。それとも、最近はこういうのが当たり前になってきてるのかな?

10分間の休憩を挟んで、本日のトリは粟谷能夫師による「羽衣」だ。よく知られている三保の松原における天女伝説が題材だが、ストーリーの簡潔さと天女衣装の豪華さ、そして、序ノ舞から破ノ舞にいたる艶やかな舞いと囃子方との駆け引きなど、見どころは多い演目だ。
ただ今回は、ワキツレがいないことから、序盤のワキとワキツレによる三保の松原の長閑で美しい情景描写が省略されたのは、ちょいと残念。また、天女の衣は、舞台正先に置かれた松の作り物にではなく、一の松辺りの橋掛かりの欄干に掛けられた演出であったのも、私としてはちょいと不満であった。
とは言え、シテの粟谷能夫師は、おいらと同年とは思えない伸びのある謡と貫録さえ漂わせる流麗な仕舞はやはり見ていて気持ちがいい。また、「敦盛」の時には音が今少し伸びきっていなかった三王清師の大鼓は、ここでは本来の味わい深い音色に変わっていた。
更に、友枝明世師を地頭とする、洗練されかつ大迫力の地謡は、やはり喜多流ならではの武家式楽的アンサンブル(なんじゃソレ?)を存分に味わえる。

とまぁ、小雨にあたりながらも無事に全ての演目を鑑賞した訳だが、前回も指摘したように、PAのセッティングは相変わらずお粗末だった。今回は特に、野外でありながら風の影響を考慮していないという不手際で、ビュービューと吹きすさぶ風の音が、演者の声をかき消してしまうほどの大きさでスピーカーから聞こえるという有様。こんなPAなら、いっそ無い方がはるかにいいのだがネ・・・。
更に、前回同様、マイクを舞台上に設置したために、演者の足音や踵を返す音が、不必要なまでに強調されるという具合で、もう少し能のことを理解しているPA業者に依頼して欲しいもんだとつくづく思った。次回は頼みますヨッ!!!



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