霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

赤間関街道北浦道筋(黒井市⇒赤間関)…これで完全踏破

2011年02月20日 | 赤間関街道

2011年2月20日(日)

いよいよ赤間関街道の北浦道筋も、今日が最終回の歩行となる予定で、黒井村駅前にマイカーを駐車してからスタートした。.駅からは前回歩いた黒井市の安養寺へ向かう。
豊洋台団地の裏側(東側)を抜けて田舎道を南下するが、途中で旧道らしき道にちょっとだけ迷い込んだら、何ともう大好きな菜の花が咲いていて、梅の花よりももっと強く春が近いことを感じたのだった。


一ノ瀬地区で左からくる県道に合流するのだが、その合流点のすぐ手前で右側に入る旧道があり、これを往くとやがて右手に一里塚が見えてくる。説明書きによれば、寛保三年(1743年)に設けられたそうで、萩からは20里、赤間関までが4里12丁ほどだそうな。ここから赤間関までがあと5時間足らずだということが分かる。


やがて道はゆるやかな登り坂になり、八本松峠で旧豊浦町から旧下関市域に入る。吉見地区は、吉見上八幡宮や吉見温泉などの山側を往くので、吉見駅近郊の市街地は通らない。
しかしここの県道は道幅が狭くて、おまけに歩道は全く無いのだが、車の通行量は結構多く、またほとんどの車が制限速度の50kmや40kmを無視してビュンビュン飛ばして行くので、危ないことこのうえない。
車に撥ねられたんではこちらが損だから、特に大きめの対向車が向かってきている時は、焦らずに路肩に停止して避難するのを繰り返しながら、慎重に歩いた。

福江地区へ入ると、写真のような役行者(えんのぎょうじゃ)像の道標が建っている。正面には、「右せき道 左長婦(長府?)」と彫ってあるが、今までよくお目にかかった三界万霊像でなくて、役行者像だったのは意外だった。


やがて安岡に入り、観察禅院に参詣して、左に下関球場を見ながら更に南下する。綾羅木に入ると、市立考古博物館と綾羅木郷遺跡公園の看板が見えたので、折角なので立ち寄ってみた。とても見易い展示の博物館(入場無料)と、裏手に拡がる遺跡(古墳の森)は、暫しの休憩にももってこいで、30分くらいはここでゆっくりと過ごしてしまった。
弥生時代前期から古墳時代にかけての貴重な遺跡だが、1969年に珪砂の採掘業者によって遺跡の南側が破壊された悲しい過去も有名だ。まぁしかし、当時の市民運動に動かされた国が、遺跡破壊から3日後の3月11日に、異例の速さで国の史跡に指定したことで、完全破壊を逃れたという希有なエピソードを持つ遺跡でもある。
当時の勇敢な市民や調査関係者は、採掘業者のブルドーザーの前に立ちはだかって、我が身を挺して遺跡を守ろうとしたそうだが、その熱意には感服するしかありません。オイラにはとてもできそうにないので…。

展示品の中では、何千年も前の装飾品である勾玉(まがたま)がやはり、目についた。翡翠(ひすい)を加工したネックレスだそうだが、男心にはなかなか理解できないものの、女性にとってはこれらで着飾ることも生きていくうえでとても大事なことだったのだろうネェ。


一旦、国道191号に合流するが、綾羅木橋を渡ってすぐ左手に旧道があり、綾羅木駅前を過ぎると再度国道に合流して、暫くは国道を往く。
垢田の辻を過ぎて山の田交差点に差し掛かり、地下歩道で交差点を渡ってからJR方向へ斜めに進む旧道に入る。すぐ先の跨線橋でJRを越え、幡生駅の裏手にあたる生野(人丸)神社に参詣する。
この神社の境内にあったのが下の地図で、神功皇后の時代ってんだから西暦100年とか200年とかの時代には、今の幡生駅周辺はこの地図のように入り江になっていたようだ。
また、神功皇后がこの入り江で軍船を揃えて船出したとされていて、その時に軍船に仕立てた数百の旗が、なぜか一夜にして生まれたことから、「幡生」の地名ができたそうな…へぇ~、知らなんだぁ


幡生町から石神町、山の口町を抜けて貴船町の総合庁舎前に出るまでは、道路整備や宅地開発などでかなり旧道が分かりにくくなっている。感応禅寺などのそれらしき道を辿って、総合庁舎前からは「赤岸通り」と書かれた道標があり、道も旧道らしさが残っている。
また更に南下して往くと、「奥小路通り」と書かれた道標もあるのだが、果たしてどこまでが赤岸通りでどこからが奥小路通りなのか、その辺の関連が全く分からず、その説明図も見当たらない。
これらの道標は明らかに最近設置されたものだが、このように「点」でしか通りを見ていないので、外からの訪問者に対しては頗る不親切で用を為さない案内になっていることに、早く気が付いて欲しいものだなぁ。

そしてついに、終点となる亀山八幡宮に到着し、旅の無事を懇ろに感謝して、眼下に拡がる関門海峡の眺めで疲れを癒す。


今日はちょうど6時間の、38,980歩で、これでいよいよ赤間関街道の、中道筋・北道筋・北浦道筋の三ルートを全て踏破したことになったぁ、バンザァ~~~イっとぉ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿