2013年11月23日(土) 前記事からの続き肥中街道ゴールの肥中に着いたのはまだ昼過ぎだったので、そのまま北上して角島を目指してみた。恩徳寺を出て、北浦街道からすぐに左折し、海側の県道275号を辿る。神田小学校を左に見て更に歩を進め、西長門リゾート入り口を過ぎるとすぐに、角島大橋が見えてくる(タイトル写真)。優美なカーブを描く角島大橋とその中程に見える鳩島、そして海士ケ瀬戸の向こうに嫋やかに広が . . . 本文を読む
2013年11月23日(土)今回は最終日なのだが、朝の出発時間が少し遅くなったこともあって、自宅から車で滝部駅へ直行して駅前に車を置いてから、前回の続きを歩き始めた。滝部の街中を見下ろすように建つ旧滝部小学校本館(タイトル写真)は、前回訪れた時はまだ改修中だったのが綺麗に修復され、開校当時と思われるモダンな佇まいで出迎えてくれる。ドイツ人技師によって設計され、地元の宮大工によって造営されたルネサン . . . 本文を読む
2013年10月5日(土)山陽本線とサンデン交通バスを乗り継いて西市に到着し、ここから前回の続きを始める。国道435号を西市小学校を左に見ながら進むと、直ぐに右側に登る細い道が見えるので、国道から分かれてこちらを登っていく(写真上)。国道435号が今のルートに整備される前は多分こちらが国道だったと思われるが、比較的車の通行量もすくないこの山道を暫く行くとやがて小さな峠に差し掛かり、ここの分岐点で、 . . . 本文を読む
2013年7月20日(土)前回ここを歩いたのが4月27日だったから、それからだいぶ日が経ってしまったが、ようやく時間が取れたので、今日は新山口駅から防長バスに乗って、前回のゴールである(旧美東町)御坊まで行き、ここからゆるゆると歩き始めた。街道はほぼ県道240号を西進するが、ところどころ県道を逸れては又交わる旧道を探しながら歩くのもまた楽しい(タイトル写真)。写真のようなこんなに狭い道でも、カーブ . . . 本文を読む
2013年4月27日(土)前回、肥中(ひぢゅう)街道を歩いたのはもう3年前になるのだが、久しぶりにまた歩きたくなって朝から出かけた。本来なら、山口市内道場門前の安倍橋がこの街道の起点なのだが、この2月に地蔵峠を超えた際に、既に吉敷の凌雲寺跡入り口までは街道を歩いているので、今日はJR湯田温泉駅前からスタートすることにした。タイトル写真のように、駅前では大きな「ゆう太くん」の出迎えを受け、旅を見守っ . . . 本文を読む
2010年8月28日(土) その3からの続き特牛(こっとい)の港町に別れを告げ、旧道からスーパー丸和のところで国道191号に合流して、暫くは国道を北上する。小さな峠を越えて下って行くと、やがて左手に肥中漁港が見えてきて、国土交通省の道路標識にも「下関市豊北町神田肥中」と書かれてあるのが目につく。漁港に回り込むように左折するとすぐに、小高い丘の上に恩徳寺が見えて来て、石段を登る。この恩徳寺には、国指 . . . 本文を読む
2010年8月28日(土) その2からの続き峠から下りてきた旧道の突き当たりが特牛(こっとい)港になるのだが(写真上)、最も海岸に近い道(写真の一番奥)が国道191号で、その一つ手前の細い道が北浦街道(旧赤間関街道北浦筋)だ。写真手前左の「スナック・漁火」なぁんてのが、漁港町の雰囲気を出してるネェ~。ここの北浦街道は、一部は狭い路地に昔の面影を残していて(写真中)、鄙びた漁村ながら水揚げの時はさぞ . . . 本文を読む
2010年8月28日(土) その1からの続きこの辺りの国道435号から右手の台上には、「肥中街道四日目(西市⇒滝部)その3」で紹介した白滝山の風力発電基地とは別物の、これまた巨大な風力発電群が迫ってくる(写真上)。ここの風車は、民家にかなり近くて(写真中)とても威圧感を覚えてしまうのだが、住んでいる人たちはどう感じているのだろう?この近さは、オイラだったらとても我慢ができないし、強風時の . . . 本文を読む
2010年8月28日(土)いよいよ肥中街道も今回で歩き通す予定だ。朝から宇部線・山陽線・山陰線と乗り継いで、延べ2時間半かかって、前回終点の滝部駅に着く。滝部駅に着いたのは既に10時を過ぎていたが、前回は滝部周辺を訪ねていなかったので、まずは近場から探索してみた。下関市役所滝部支所のすぐ裏手にあるのが滝部八幡宮で、立派な鳥居の奥に八幡様が鎮座しておられる(写真上)。この鳥居を潜ってすぐ右手には、「 . . . 本文を読む
2010年8月22日(日) その2からの続きみのりの丘を抜けて暫く往くと県道269号に突き当たり、その手前の橋のたもとに「浮石義民直訴之地」と彫られた石碑が建っていた(写真上)。説明版によれば、宝永7年(1710年)7月10日(旧暦)に、この地区の5人が幕府巡検使に対して直訴を決行しようとした場所とある。旧暦の7月10日と言えば、今の8月初めだから今日と同じように酷暑の日であったと思う。5人の内の . . . 本文を読む
2010年8月22日(日) その1からの続き暫く国道435号を往くと、旧道との分かれ道に建っている道標が見えてきて(写真上)、道標には「右たきべ道」「左くるそん山」と彫ってある。この道標は明治期に建てられたもので、現在の国道435号の元になる道路が整備されて以降のもののようだ。肥中街道は「くるそん山」方向の旧道になるので、写真の左側の道を辿り、やがて国道491号につきあたる。これを左折して数分後に . . . 本文を読む
2010年8月22日(日)連日の猛暑で、日本中の老人がバタバタと倒れたり救急車に搬送されたりする中、無謀にも出かけてしまった。前回の肥中街道歩き以来ほぼ一ヶ月は大人しくしていたが、どうにも居てたまらずに、自分なりの熱中症対策を摂ると言い聞かせて、山陽本線に飛び乗ったのだョ。小月駅で山陽本線を下車して駅前のバス停で待つと、15分足らずでバスが来たのでこれに飛び乗った。日曜日の朝(9時過ぎ)だから、ど . . . 本文を読む
2010年7月24日(土) その1からの続き麻生地区に入り、旧道が国道435号と再度合流したすぐ先に、豊田前郷土資料館なる建物がある(写真上)。今日は生憎と閉館だったが、説明書きによれば11世紀頃からの開墾の歴史と、近世に入ってからの石炭鉱山関連の資料を展示してあるらしい。これを見ても分かるが、美祢市全体のあちこちで石炭が採掘され、市全体が活況を呈していた時代の様子が想像できる。その先、麻生交差点 . . . 本文を読む
2010年7月24日(土)肥中街道の続きを歩き始める前に何だカンダあった挙げ句に、ようやく「常森の分かれ」に辿り着き、ここから本日の旅が始まった。県道240号は車もごく偶にしか通らないのでノンビリと歩くことができる。小さな峠を越えると大嶺町奥分麦川地区に入り、県道38号に突き当たるのでこれを右折する。この交差点の手前すぐ左側に、麦川川に架かる旧大嶺支線の錆び付いた鉄橋が見えたので、近くまで行ってみ . . . 本文を読む
2010年7月24日(土)厚狭駅から美祢駅までは本来の美祢線なら約30分かかるところ、代行バスに乗ること僅か約15分で美祢駅に到着した(写真後方のバス)が、美祢駅から更に長門方面に行く乗客は、前方のバスに乗り換えるのだ。オイラはここから、前回のゴール地である「常森の分かれ」を目指して約3kmを歩きはじめたのだが、ここで普通では考えられない偶然が合い重なって、昨年同じ職場で仕事をしていたSさんと再開 . . . 本文を読む