霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

瀬戸崎街道(宮の馬場⇒長門市駅)

2011年09月24日 | 舟木街道・瀬戸崎街道

2011年9月24日(土)

久し振りにチョーいい天気にもなり、休日にもかかわらず朝の6時半起きをして、バスに飛び乗る。今日のスタートは、前回終点の宮の馬場(写真上)だ。
交差点のすぐ先に赤郷八幡宮がある他は特に見所も無く、田圃の畦道には曼珠沙華が咲き誇る田舎道が、淡々と続く。末原公会堂を過ぎて少し登り坂になり、山中峠を越えて山中地区に入る。木間入口と書かれたバス停の先は、再度小さな峠になっていて、ここを越えると、もう長門市(旧大津郡三隅町)に入り(写真下)、道は下り坂になる。

写真の境界標識には、長門市のシールが貼ってあるのだが、市標までは間に合わなかったみたいで、旧三隅町の町標がそのまま残っているという、面白い眺めになっている。

この峠を下った辺りは、昔ながらの田圃の風景が拡がっていて(写真下)、稲刈りの済んだ稲穂が綺麗に並べて乾燥されている。…これは「はぜ掛け」って言うんでしたっけ?

今はほとんどの農家が、稲刈り・脱穀・藁裁断までをコンバインで一気にやってしまうようなので、このような天日干しの風景そのものが余り見られなくなってしまった。農家の方々のご苦労は昔より減ったのだろうとは思うが、オイラのように農作業のことを直接には知らない輩から見ると、どうしても幼い頃の原風景を勝手に懐かしんでしまう。
そう、天日干しの後の脱穀が終わると、残った藁を積み上げて「としゃく」ができあがり、子どもの頃はこれに登ったり藁を抜いて中に潜りこんだりして、よく叱られていたのを思い出す。聞けば、このとしゃくの中に渋柿を入れておくと、不思議なことに渋味が消えて食べられるようになるそうで、昔の人の知恵ってすごいなぁと改めて感心する。

落志畑のバス停を過ぎて滝坂地区に入ると、案内板も何も無い「六地蔵」が街道を見下ろしている(写真下)。今朝供えられたと思しき可憐な花に囲まれている六体のお地蔵様が、辺りの景色に溶け込んで何とも微笑ましい。

このすぐ先の一ノ瀬地区にもやはり別の姿の六地蔵があったので、ひょっとするとこの辺りの地区では六地蔵が流行っているのかも知れない…ンナコッタァナィカ

やがて街道は中畑を過ぎて宗頭に出、ここで赤間関街道と合流する。ここから長門市駅までは、赤間関街道を踏破した際に既に歩いた道程だが、ついでにどこまで行けるかそのまま長門市駅方向へ歩き出した。
ところが湯免温泉のすぐ手前、国道191号の右手に、何だか妙な案内看板が建っているのを見つけた(写真下)。

本来なら、「町立 香月泰男美術館」「KAZUKI Yasuo Museum of art」と書かれていたであろうと推測される看板が、どういう訳か、「町立 香男美術館」「KAZUsuo Museum of art」になっているのは、一体どういう訳なんだろう?
ここを訪れる人にとって不親切なことは当然だが、香月泰男さんに対しても大変失礼なことではないかと思うのだがネ?…

で、結局そのまま国道191号を西進して、長門市駅まで歩いてしまった。ちょうど5時間半の歩行で、37,360歩だった。これにて、舟木街道・瀬戸崎街道を完全踏破したぞぉ~
お彼岸とは言えまだまだ日射しは強くて、歩く時間と方角の関係で首の左側だけが妙に日焼けしてしまった…ぉ~、ヒリヒリ。



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