霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

赤間関街道北浦道筋(長門粟野⇒長門二見)滝部ルート

2011年01月22日 | 赤間関街道

2011年1月22日(土)

この街道を歩くときに、これまでは朝早く自宅を出て、3時間程度かけて出発点までJRで向かっていたのだが、今日はマイカーで出発点まで行ってみることにした。
すると何と、自宅から長門粟野駅まで、高速道路を利用せず一般道を普通に走っても、僅か1時間半で行けることが判明し、愕然とした。ガソリン消費は片道で4㍑程度だから、JRの運賃の半分以下で、時間も費用も共に半分で済むとすれば、JRを利用する意味が全くないこともよく分かった。
てな訳で朝7時半に自宅を出ても、9時にはもう長門粟野駅前を歩き始めることができたのだ。

赤間関街道の長門粟野から長門二見までの経路は、山間部の滝部を通るルートと、海岸部の阿川(特牛)ルートの二つがあるらしい。
今日はこの内、滝部ルートの方を歩いてみることにして、粟野川沿いに南下を始めた。粟野小学校を右に見て県道39号を往くと、次第に緩やかな登り坂になる。
粟野峠の少し手前の左側に、「乃木大将思案の茶屋跡」なる石碑が建っていて、碑文には乃木大将がここで思案した経緯が書いてはあるのだが、オイラのような凡人には文章が難し過ぎてよく分からなかった。いつの頃まであったのかは知らねども、山から湧き出る清水を使って老女が茶屋を営んでいたらしい。



粟野峠と言ってもそれほど急な峠ではなく、難なく越えて坂を下って往くともうそこには滝部の街並みが見えてくる。
豊北高校の入り口近くで「毛利館跡」と書かれた案内板があったので、高校裏手の方へと入ってみたところ、右手の藪の中に写真のような碑が建っていた。



説明板によれば、毛利元就の次男(吉川元春)の子、つまり元就の孫にあたる毛利元氏の館が、関ヶ原の役まではこの地にあったそうな。今は、眼下に豊北高校のグラウンドを静かに眺めているのみだ。

滝部の街中は、肥中街道を歩いた時に既にゆっくりと見ているので、今回は素通りし、そのまま県道39号を山陰本線沿いに南下する。途中の神田口辺りで見かけたのが写真の道祖神と三界万霊塔で、この辺りの道筋には、分かれ道と思しき場所に必ず鎮座しており、塔の両側面には大抵、道標が刻んである。
この塔には、「左せき(赤間関のこと)道」「右やたま(矢玉のこと)道」と刻んであり、万霊の供養塔でありながら、往時の道路案内標識も兼ねていたことが分かる。
そもそも「三界万霊塔」って何かと言えば、あらゆる世界の霊やこの世の生き物すべての霊をこの塔に宿らせて祀ったもので、仏教の言葉で、欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、無色界(欲も物もない世界)の三つの世界を三界と言うそうな。また、過去・現在・未来を三界と言うこともあるらしい。
それにしても、今日だけで8ヶ所位の道祖神に出会ったが、どれも必ず写真のように、今年の正月に新調したと思わしき立派な注連縄が掛けられているのには、心から感服した。こういう素朴な信仰心や感謝の心が薄れてしまうと、人間はろくなことにならないと思う。



やがて二見小学校が右手に見えてきたが、何とその入り口にある山陰本線の高架下では、児童達が書いたと思われる見事なペインティングが、出迎えてくれる。
自分たちの故郷を自慢する様な図案が壁面をはみ出さんばかりに描かれていて、子どもたちの熱気を感じることができるのだョ。



ここから街道は左の山道へ入り、掛地(かけぢ)集落へ向かう。集落に河内神社なる小さな祠があって、そこを右折して更に山道を下って往くと、やがて阿川ルートから来た道と合流するのだが、一旦国道191号に出て、長門二見駅へ戻ることにした。
国道に出たところで、棚田の向こうに拡がる響灘を眺めたのが下の写真だ。太陽が雲間から覗き、海面にキラキラとしたスポットライトをあてている様がとても綺麗で、雲が移動するごとに海面の燦めきが移り変わっていくのを、暫しの間無心になって見つめてしまっていた。



この滝部ルートは、阿川(特牛)ルートに比べると距離も短く、5時間足らずの31,540歩だったが、途中で見かけた滝部温泉が気になったので、今日はここに宿泊することにした。
今日のゴールの長門二見から、JRで長門粟野へ帰り、そこからマイカーに乗り換えて約10分程の滝部温泉へ向かい、久しぶりにのんびりと温泉三昧としたぁ~。



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