霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

旧山陽道(大野中央から五日市まで)

2009年07月12日 | 旧山陽道
2009年7月12日(日)
6月は週末ごとに野暮用があったり天候不順だったりと、とうとう一度も歩けなかったが、久しぶりに今日は朝から出かけた。
前回の続きで、大野浦駅で下車して歩き始めた。大野浦駅⇒大頭神社/妹背の滝⇒高畑⇒十郎原⇒四郎峠⇒畑口橋⇒専念寺/宮内一里塚⇒JR宮内串戸駅前⇒広電廿日市市役所前⇒廿日市天満宮⇒洞雲寺⇒桂公園/桜尾城趾⇒海老橋⇒楽々園松並木⇒光禅寺⇒五日市駅と歩いて、6時間ちょうどの37,297歩だった。
大頭神社は、本殿前で既に雌滝(めんだき)が現れ(写真上)、更に本殿の裏側へ回ってみると轟々たる滝音を響かせる雄滝(おんだき)に出会す。家族連れも多く訪れていて、冷たい滝の水で涼をとっていた。広島岩国道路の大野ICを降りてすぐなので、交通の便は頗る良好だ。
宮内一里塚と呼ばれる「西国街道壱理塚跡」碑の向かいにある専念寺は、本堂の大きさや秀麗さもさることながら、棟瓦に描かれた立派な彫刻(写真中)には、しばし見とれてしまった。今まで見てきたお寺の本堂にもあったのかも知れないが、気が付かなかったのだろうかネェ。遠目にもそれと分かるなかなか凝った彫刻(…と言っていいのだろうか?)で、瓦職人の意気込みを大いに感じる眺めだった。
佐方小学校の東にある洞雲寺はかなりの寄り道だったが、友田(藤原)興藤と陶晴賢の墓があるので寄ってみた。友田(藤原)興藤は厳島神主の一族で、大内氏に反抗したがついに桜尾城に火を懸けて自刃した。他方、大内氏は重臣の陶晴賢によって滅ぼされ、4年後の「厳島合戦」では、今度は陶晴賢が毛利氏に攻められて厳島で自刃し、桜尾城で首実検の後、この洞雲寺に葬られたのだ。
更に、洞雲寺の開祖は陶氏の菩提寺である山口県・龍文寺の僧で、桜尾城主だった厳島神主藤原家によって創建されたことからも、「厳島」、「藤原氏」、「大内氏」、「桜尾城」、「陶氏」、「毛利氏」という因縁の風車(?)が戦国時代を駆け抜けたような気がする。
楽々園の、JRと広電に挟まれた一角(広電楽々園駅北側)には、旧山陽道の松並木の名残(写真下)を何ヶ所か見ることができる。道幅二間半(約4.5m)で沿道に並木松が植えられていたと案内板に書いてあるが、さぞや見事な眺めであったことだろうナ。
一ヶ月以上のブランクを経て久しぶりに6時間歩いたのだが、全く足に疲労感を感じなかったのは、オイラの還暦祝いに娘達三人が買ってくれたシューズのお陰かナ?


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