霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

旧山陽道(小郡⇒船木)

2011年10月09日 | 旧山陽道

2011年10月9日(日)

このブログは、2009年の4月に「長州ウォーキング」として再開したのだが、実はその再開前の3月に、下関から小郡までの旧山陽道を5日間に分けてまったりと歩いたことがあって、その時はブログに掲載するつもりがなかったので大して写真も撮らなかった。小郡から広島までの分は既にブログにアップしてあるので、今回は逆コースの小郡から下関に向けて歩いてみることにした。

朝9時に旧小郡町の田町(というか、津市上)交差点をスタートした。ここには
「右京江戸道 左萩山口石見道 牛馬繋事無用」と彫られた道標(実際は複製)が今でも残っているが、古来からも、勝手に道標に牛馬の手綱を繋ぐ不届き者がいたと思われるのが、何とも可笑しい。
ここは防府方面から来た旧山陽道が石州街道と交差して左折するところで、ここの東側の角には、オイラが幼少のみぎりには「寿座」という劇場があって、歌舞伎や映画をやっていたのを今でも覚えている。確か保育園児の頃で、映画好きの母に連れられて何度か入った記憶はあるが、何を鑑賞したのかは定かではない。

旧山陽道はここから西へ、津市・明治・長谷・柏崎と旧小郡町の街並みを抜けて行くのだが、ちょうど6年前の平成17年に旧小郡町が山口市と合併した際、これらの小字名は使われなくなって、全部が「小郡下郷XXXX番地」に統一されてしまった。地図表示からもこれらの小字名が全て消えてしまい不便極まりないのだが、相変わらずの無責任なお役所仕事ではある。

小郡を離れると暫し田園地帯になり、やがて嘉川地区に入る。この嘉川地区では、昔からのいろいろな旧跡を見直して、それらの説明を兼ねた案内標識をあちこちに建てていて、前回(2009年3月)に歩いた時には無かった標識を多く見かけるようになっていた。
その一つが、幸之江橋の袂に建てられた「山陽道と白松道の道しるべ」(写真上)で、ここが山陽道と阿知須・床波方面へ向かう白松道との追分であることが分かる。このような道標と説明は、旅人にとってはとても有り難いものだ。

幸之橋交差点を過ぎて、県道335号(旧国道2号)の一本西側に残る旧山陽道をのんびりと往く。ここは高根地区ですぐ右側の熊野神社を過ぎたところの左側路傍に、突然「天満宮みち」と彫られた石標があり吃驚する。古の人もこの道を辿って防府天満宮へ参詣したのだろうか?
道はやがて国道2号に合流し、割木松峠の登り坂にかかる。しばらくは大量に行き交う車の騒音を我慢しながら登って行くと、峠の頂上に「周防・長門国境碑」(写真下)の横を通り抜ける。この碑も、国道を車で通ると間違いなく見逃してしまうので、写真の右側に見えるレストラン「おいはぎ峠」で食事を摂った際は、是非見ておくといい。


割木松の峠からは宇部市に入り、温泉付き(…らしい)ラブホを右に見て、のどかな旧道が少しの間下り坂の右手にある。国道2号を右に左に逸れながら宿場の山中市を過ぎ、二俣瀬地区に入る。国道490号と交差する車地交差点から左に旧道は続き、二俣瀬小学校や男山酒造場を過ぎて木田橋で厚東川を渡る。
二俣瀬地区の国道2号西側に僅かに残る旧道の後に、一旦国道に合流してすぐにまた西側の旧道を往くと、瓜生野区公会堂が右手にあり、この角に「殿様道(山陽道往還跡)」と書かれた道標が建っている。舗装路から外れて右手の山側にこの道を辿ると、暫くして別の舗装路を横切るが、ここにも先程と同じように「殿様道」の道標が建っている(写真下)。

…が、ここから先暫くは道無き道を進むことになる。写真の中程奥、藪の中に暗く見えるのが…ソォレダァ。
この道を歩こうと思う人は、季節や天候をよく吟味してからにすることをお薦めする。まず、蚊や虫が盛んに活動する夏場は止めた方がいいし、また1週間位は雨が降っていない日を選ばないと、足下が大変なことになり、ヘタをすると足を取られて動けなく恐れもある。この「殿様道」は別名を「どんだけ道」と呼ぶそうで、その名の通り「どんだけ」大変かを予め覚悟するように。

どんだけ道を通り過ぎると吉見地区に出て、県道37号を横切る。県道との交差地点にも「道路史跡・山陽道跡」と書かれた標識が建っているのだが、旧山陽道はどちらへ行けばいいのかは書いてないという、頗る不親切な標識だ。街道はそのまま県道を横切り、田圃の畦道を直進して小さな橋を渡ると、正面の山裾に「←旧山陽道」と書かれた比較的新しい標識が見えてくる(写真下)

写真のようにここからの道は、多分、地元の方々のお陰と思うが綺麗に下刈りがされていてとても歩き易く、気分も自然にウキウキしてくる。同じ標識は、厚東中学校側の舗装路に出る場所にも建ててあり、共に前回歩いた時には見なかったものなので、最近になって整備していただいたものと思われる。とても有り難いことだ。

ここから暫く、県道219号と合流する下岡交差点までは国道を歩くしかないが、交差点のすぐ先に新幹線の高架下を潜るように左に折れる道があり、これを往く。右手の小山をぐるっと回り込んだ後に、再度国道2号に合流し、右手にラブホを見ながら吉見峠の登り坂を登って行くが、この峠の前後は歩道が無い道が続くので、特に大型車には注意が必要だ。
吉見峠を過ぎて船木地区に入り、峠から500m位下った辺りで、街道は左に逸れる小径となる。宇部興産専用道路を潜る手前では、赤い涎掛けを掛けられた地蔵さまが、旅人を見守ってくださる(写真下)。※涎掛けでいいのかそれとも褌(ふんどし)でいいのかが、よく分からない。どなたか教えてください。


そのすぐ先左手には一里塚跡の案内板があるが、大師堂やお地蔵さまがあるのみで一里塚そのものは今は見当たらない。やがて、「船木宰判御高札場跡」の案内柱を左に岡崎八幡宮を右に見ながら、旧道は船木市へと入って行く。船木市のほぼ中心部にある「旅人荷付場跡」の案内柱の先には、宿場町の趣きを今も残す落ち着いた街並みが続く(写真下)。


予定では、今日はこの先の厚狭まで行く積もりだったが、久し振りの歩行だからか少し足に疲れを覚えたので、無理をせずに今日はここまでとした。4時間半の31,290歩だった。

旧山陽道(船木⇒小月)へ続く



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