霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

旧山陽道(生野屋から周防高森まで)

2009年05月03日 | 旧山陽道

2009年5月3日(日)
ゴールデンウィーク真っ只中だが、世間では新型インフルエンザの異常な大騒ぎと共に、高速道路千円乗り放題とかでやれ50km以上の渋滞だの、相も変わらぬ平和な模様を横目に、旧山陽道ウォークの続きにトライした。
JR岩徳線の周防高森へ先に行って生野屋まで歩いて戻るつもりで出かけたが、10:06に徳山駅へ到着して、さて次の岩徳線は何時だろう?…と見ると、何と!11:45しか無いことが分かった。1時間半以上も徳山駅でポケェ~っと待っておけと言うのだ。日曜日だからではなくて、平日でも、この時間は運行間隔が2時間も開いているのだョ。先に時刻表を調べて出発しなかったオイラが悪いとは言え、2時間も電車が来ないんじゃぁ、日頃利用したい人まで止めてしまうのが当然だろうなぁ。乗客数が「減っている」のではなくて、JR自らが「減らしている」としか思えないし、少なくとも、「利用者の目線に立って」乗客数を増やそうとしているとは、さらさら思えない。
…とアホなJRに憤慨していても始まらないので、すぐに次の行動に移ることにした。駅前から周南総合病院行きのバスがちょうど来たのでこれに飛び乗り、生野屋の手前で降りて、予定とは逆の高森方面に歩き始めた。生野屋⇒塩売峠⇒周防久保駅前⇒呼坂⇒高水駅前⇒中山峠⇒差川⇒下相津⇒周防高森駅と歩いて、5時間半の37,591歩だった。
久保市宿の中程に「由加社」という名の古い社があり、案内板によれば防火の神らしく、度々あった火災がこの地に勧請してから後は全く無くなったそうな。防火の神様だからか、拝殿の軒下にある一対の龍を描いた漆喰の鏝繪(こてえ)が見事だった(写真1)。
周防久保駅の少し東側、国道2号線と旧山陽道との分かれ目の所に、郡境碑が建っている(写真2)。「西 周防之国 都濃郡」「東 周防之国 熊毛郡」と書いてあるが、歩道側からでないとこの角度のようには見えないので、車で通過した場合は多分見過ごしてしまうだろうナ。
呼坂宿の中程に、「吉田松陰・寺嶋忠三郎訣別の地」と書かれた碑が建っている(写真3)。かっての師であった吉田松陰が、安政の大獄で江戸送りになり、罪人籠に乗せられた松蔭と無言の別れを告げた場所であると案内板には書いてあるが、師の姿とその先の運命を思いやるに、忠三郎自身の無念さ残念さはいかばかりであったろうか。
旧熊毛町(現:周南市)と旧周東町(現:岩国市)との境にある中山峠にも、郡境碑が建っている(写真4)。旧周東町側から見た中山峠だが、「従是東玖珂郡」と書かれた反対側には「従是西熊毛郡」と書かれている。ネットでの情報では、ここから南側に丸子坂という旧道があるそうで、それらしい山道を暫く辿ってはみたが、竹藪に遮られて道が分からなくなってしまい、また戻ってきてしまった。
最後に、高森天満宮に詣でて今日の無事を感謝し、また岩徳線に揺られて夕陽を眺めながら帰路についたノラ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿