霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

旧山陽道(関戸から大野中央まで)

2009年05月30日 | 旧山陽道
2009年5月30日(土)
所用で先週はお休みしたが今日はいい天気になりそうなので、朝早くから出かけた。山陽本線で岩国まで行って駅前からバスに乗り、錦帯橋はすぐ横目に見て通り過ぎ、前回の終点だった関戸に着いたのが10時半過ぎ。ここから小瀬峠の山道に向かって歩き始めた。
関戸⇒小瀬峠⇒小瀬川/両国橋⇒苦の坂峠⇒小方⇒玖波宿⇒鳴川の石畳⇒残念さん/八坂峠⇒向原の石畳⇒大野浦駅前⇒大野中央と辿り、この先暫くは広島岩国道路沿いを歩くことになって、宮内串戸まで駅の近くを通らないので、大野中央から街道を離れて国道2号線に出て、右手に大野瀬戸と宮島をのんびりと眺めながら前空駅へ向かい、ここから山陽本線で帰ることにした。いつもより少な目の歩行で、5時間弱の32,477歩だった。
小瀬川を両国橋で渡る少し手前の河畔に「吉田松陰歌碑」があり(写真1)、『夢路にも、かへらぬ関を打ち越えて、今をかぎりと、渡る小瀬川』と刻まれている。安政6年に罪人として駕籠で江戸へ護送される途中、いよいよ小瀬川を渡ると故郷の長州から芸州に入るこの地で詠んだのが、この歌とされている。多分、江戸で斬罪に処せられることを覚悟し、そして二度と故郷へ帰ることはないだろうとの想いが込められた歌と思われるが、それにしても自分の命があと僅かであることを知りつつ、かくも冷静に死出の旅の途中で歌を詠むことのできる心境とは、おいらごとき凡人には到底量り知れないものがある。
小瀬川沿いから離れて、苦の坂峠への登り口には、この先が崖崩れによって通行できない旨の案内板が立っていたが、行けるところまで行ってみようと思って藪を掻き分け山道を登ってみた。藪蚊はふんだんにいたが、それほどの苦もなく峠に辿り着き(写真2)、その先の小方側への下り道では、崖崩れの部分を迂回するように鉄製の梯子が渡してあったので、ここも苦もなく通ることができた。
鳴川の石畳(写真3)は、案内板によれば、寛永12年(1635年)に参勤交代制が敷かれたのを契機に整備されたらしいが、400年近くを経てもなお道としての役目を果たしているのは素晴らしいと思う。ただ、萩往還の立派な石畳に比べると、主要街道にしては少し粗雑のような気はするが。
残念社(地元では「残念さん」らしい)の先、依田神社への登り口に、「吉田松陰腰掛けの岩」なる古蹟が残っている(写真4)。ちょうどオイラが腰掛けている岩が、それだぁ。吉田松陰の胸中に少しでも近づきたいと思い、暫し腰掛けて瞑想してみたが、……やはり凡人には無理だった(当たり前か…)。


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1 コメント

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Unknown (凡人の子さっこ)
2009-05-31 11:50:35
朝はやいなぁ~もう
ぼちぼち日差しがきつくなってまいりました
熱中症など気を付けてくださいね

よしさんはソフトボール
うちはゴロゴロ。
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