霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

京成高砂から京成小岩、江戸川辺りを…

2008年03月16日 | 関東の旅(東京23区)
⇒岡村家一族 2008年3月16日(日)
今日は、京成本線沿いをぶらりと散策することにして、京成高砂で下車後、まずは駅の周囲をうろうろしてみた。この辺りの土地は、文献に残っている限りでは、室町時代のころから曲金(まがりがね)と呼ばれていたが、明治の初め頃に、謡曲の題名から縁起のいい高砂に変更したそうな。結構安易なノリで、地名なんて変更されるものなんだ。
高砂駅の北側には、崇福寺・大秀寺・源照寺・聞明寺・理昌院と五つの寺院が軒を連ねていて、いずれも関東大震災後に、浅草方面から移転して来たらしい。源照寺には、琴曲山田流始祖の山田検校の墓があった。幼少期に失明したのは、先日訪れた宮城道雄と同じだが、研ぎ澄まされた感性や豊かな芸術性なんてのは、却って目が見える者の方が劣ってしまうのかも知れないネェ。
一旦、柴又駅方面へ向かい、金町線を横切って柴又街道へ出、更に南下した。北総線の新柴又駅を過ぎたところから江戸川方面へ左折。堤防のすぐ手前にある八幡神社を訪れる。北原白秋夫妻が、大正時代初期に一年位借家住まいをしていた場所だそうな。すぐその先には、明治時代初期に江戸川の水を灌漑に利用した、善兵衛樋跡が、親水公園として500m位に渉って、今も残っている。
そのまま江戸川駅方面へ向かい、駅南の北野神社を訪れる。ここの参道入口の鳥居は、おそらく日本にここだけだろうと思うが、全く同じ石鳥居が二つ重ねて建てられている(写真上)。説明板によれば、この地にあった稲荷神社と北野神社を合祀したからだそうだが、何も鳥居まで二つ重ねることもなかろうにと思うがねぇ。
更に、蔵前橋通りを横切り総武線高架をくぐって、江戸川沿いに南下を続け、今日の目的地の善養寺を訪れる。三年前にも一度訪れているが、改めて見上げる「影向の松」(ようごうのまつ)の見事さには、今回も感嘆することしきりだ(写真下)。繁茂面積が日本一と言われる、樹齢600年のそれは見事な黒松だが、今も葉は青々としているし、極太の幹もそして枝先までもが活き活きとしているのが良く見てとれる。人間の儚い命に比べて、何と生命力の旺盛なことかと、つくづく恐れ入ってしまう。
ここから帰路に向かい、⇒総武線小岩駅⇒奥戸新橋⇒奥戸橋⇒葛飾区役所前と辿って、結局自宅まで歩いて帰った。延べ5時間の33,407歩だった。


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