ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

傷魂

2007年09月07日 | Weblog

夜になると
傷ついた魂は愛を歌う
憎む事も恨む事も
全て突き抜けた漆黒の闇へ

血を流しつづける心に
ただ 静かに 添えられる 神の手
お前は恐れるな
癒され 慰められ
約束された神の待つ住まいへと
天使に抱きかかえられ上って往くのだから

優しい言葉

2007年09月05日 | Weblog
今日は朝ご飯に起きられなかった。

理由は自分が知ってる。最近始めた英語の勉強の結果が、悲惨だったからだ。
ずっと英会話と中国語講座をちゃんぽんに聞いていたので、「二兎を追うものはどっちも駄目よ」状態になってた。
現実の自分=英会話入門の発音もやっとすっとの自分を見てしまい、その自分をを受け容れて、現実と向き合っていくのは勇気が要る。
今朝はその勇気が無かった。

「神様、ごめん。私、怖い。勇気が無い。神様、勇気を下さい」
泣き声みたいな声で布団に包まって祈った。

午後1時に起きた。


どうしていいかわからなかったので、牧師の好美先生に電話して祈ってもらった。

「神様、今起きましたが、どうしたらいいかわかりません。あなたが最善に導いて下さい」

お腹がすいていた。

母が作ってくれた朝ご飯を食べた。ひじきとニンジンの炒め物。茶碗蒸。どれも美味しかった。お昼の分も食べようと、パンの耳を焼いてオリーブオイルを塗って食べた。
美味しかった。

ザ・ワイドで朝青龍ニュースや、厚生省で升添さんが怒ってるのを見てるうちに、
「内科に行って、この間の血糖値を聞いてこよう」と思いも寄らない考えが浮かんだ。

内科の先生は苦手だけど、私は今の自分を知りたかった。
今の自分の英会話は初歩からやりなおすレベル。身体の血糖値は?

3時過ぎの内科は比較的すいている。
私は祈った。「内科の先生との診察の時間が、祝福されますように」

「シズコさん、どうぞ」と呼ばれて診察室へ。

ドクターは笑顔だった。「お、少しだけど血糖値下がってるぞ」
私も笑顔になった。「ああ、良かった。」

ドクター「血糖値だけじゃなくてコレステロールも見ていくからね。これからが楽しみだね」

私は嬉しかった。「ありがとうございます」と言って診察室を出た。

「これからが楽しみだね」

嬉しかった。

自分を見据えるのは辛い作業だ。

けれども、そこから楽しみな未来が開けていくような気がした。

もう内科のドクターは苦手じゃないよ。

ひとつハードル、乗り越えたよ。

明日は仙台にカウンセリングに行く。雨が降るような気がした。

山形は今、雨の夜です。




福島高校男声合唱団のこと

2007年09月04日 | Weblog
今、懐かしいテープを聴いている。
全日本合唱コンクール全国大会高校の部、東北地区代表、福島県立福島高校男声合唱団(以後福高と略す)の演奏。なんと年度は1982年、私が高校2年生の時のテープである。
23年前にラジオから録音したテープだし、何度も聴いてるので、テープは所々波打って音も飛ぶけど、素晴らしい演奏は変わらない。

演奏曲は自由曲、トーマス・タリス作曲「エレミア哀歌」と言う曲。

クリスチャンになった今だから「エレミア哀歌」は旧約聖書の「エレミアの哀歌」から取った宗教曲だとわかる。けれども高校生当時はラテン語の知識も聖書の知識もなかったので何もわからず聴いていた。けれども、この福島高校が歌う「エレミア哀歌」は非常に心にしみて何度も聴いた。

当時、合唱コンクールは東北地区が圧倒的に金賞を取っていた。

私がいた山形西高音楽部(後は西高と省略する)も、全国大会金賞を取っていた。
だからこそ、私はこの高校に入ったのだから。全国一になるために。

しかし神様は、やはり私の思いを超えておられる。
私は一回も全国優勝を体験できなかった。銀賞止まりだった。
このことはまた後で詳しく書きたい。全国一になれなかった故に得たものの豊かさを書きたい。

話は福島高校に戻る。

当時、東北大会で競っていた者同士、福高と西高は、毎年春に「ジョイントコンサート」をやっていた。
男子高の福高と、女子高の西高が一緒に演奏できるのである。

これで乙女がときめかないわけがあろうか?
当時の福高合唱団は約70名、西高音楽部は約120名。
どうしても混声合唱にするには人数があわない。だから西高は1年生は見学だった。
私が入学した時は、山形でジョイントコンサートがあった。

ここで面白いエピソードがある。ジョイントコンサートは「福島、山形、福島・・・」と毎年場所交換で行われたのだが、その会場の学生が、相手の高校のお弁当を作る」という決まり事があった。
そして、一番の楽しみは(誰も口に出さないが)練習後、本番直前のパート毎の交流会である。ソプラノは第一テノールと、メゾソプラノ上パートは第二テノールと、アルトはベース(バス)と、である。

これはかなりときめいたなあ・・・・。

私のパートのメゾソプラノの下パート(以下メゾ下と略す)は、バリトンと交流会をした。

私が2年生のときは福島が会場だったので、バリトンの男子生徒と、メゾ下の私達が、福島高校の一室で、交流会をした。

17才の私は正直、晩生(おくて)だったと思う。
私を含め、福高の方々も同じだったのじゃないかなあ?とってもなんて雰囲気じゃなくて、ぎこちなかった。
でも、バリトンのみなさんが私達女子高生を笑わせようと、一生懸命バック転をしてみせてくれたり、耳をぴくぴくと動かしてくれたのを今でも鮮やかに覚えている。

そしてお弁当の時間。
私にお弁当が渡ってきた。ドキドキして開けた。
それは、ごく普通の海苔弁当だったと覚えている。
ただお弁当の中身もお弁当箱も、作ってくれたお母さんを想像できるようなあったかいお弁当だった。高校生の私は、なんだか気恥ずかしいような気持ちで、そのお弁当を頂いた。

美味しく頂いた後、添えられていた割り箸の封筒に「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」と書いて返した。

それが精一杯だった。

その時ジョイントコンサートで演奏した曲はプーランクの「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)でした。

いつも女声合唱しか歌えなかったけど、このジョイントコンサートで混声合唱の楽しみと、男子高生へのときめきと憧れを覚えた気がする。

高校2年生の私は、まだボーイフレンドもいない。手すらつないだ事の無い、ロングヘアーのセーラー服の少女でした。

その頃の自分を思い出すと、まぶしいようないとおしいような気がします。






いのり~シズコの詩から

2007年09月03日 | Weblog
いのり

ちいさなきずも
おおきなきずも
ぜんぶ イエスさまのもとに もっていこう
ないてもいい
さけんでもいい
うらんでもいい
なんにもわるくないのに じゅうじかでくぎうたれ
このよでいちばん くるしんで しなれた
イエスさまにさけぼう
つらいよ いたいよ かなしいよ
でしたちに うらぎられ
ひとびとから あざけられて
じゅうじかに くぎうたれた イエスさまだもの
つらいきもちを しっておられる
わたしのいたみを わかってくださる
うらむわたしを せめたりしないで
いっしょに ないてくださる
そんな きがする
イエスさまに いのるとき
わたしのきずが イエスさまに つつまれて
ゆたかな いのちと なりますように



芋煮会♪

2007年09月02日 | Weblog
あーあーマイク、入ってますかあ~!?
本日は!・・・・ではなく

曇天だったので、絶好の芋煮会日和でした。えっ!?何故って?

炎天下の芋煮会は、食うのも並ぶのも暑いだよ。

今日は山形「大芋煮会」をやってました。

芋煮って何の芋を食べるかわかりますか?

里芋!ですよ

何の肉を入れるかわかりますか?

牛肉!ですよ。で、ここで喧嘩になる?何故?ホワイ?

私(シズコ)たち内陸(山形市近辺)では
芋煮の肉は絶対牛肉!これは譲れないねっ!

が!

庄内(しょうない)衆(日本海近辺)では

何故か「」になるの!

でも、マイオピニオンでは、やっぱり「牛肉」だよ。

が入ったら豚汁じゃん?

ここで、ちと、日本一の山形の芋煮フェスティバルの文を持ってきちゃった・・・

山形の秋の風物詩 「日本一の芋煮会フェスティバル」をご存知でしょうか。
山形では秋になると家族や友人達のグループが集まり、河原で石を積んでかまどを作り、
里芋、牛肉、コンニャク、ネギなどを入れた野外鍋料理を楽しみます。
そんな芋煮の季節の到来を告げるのが、毎年9月の第1日曜日に山形市の馬見ヶ崎河川敷で行われている 「日本一の芋煮会フェスティバル」です。
これは、山形商工会議所青年部が平成元年に始めたイベントで、

さあ!驚いてね

・6mの大鍋に
・里芋3t
・牛肉1.2t
・コンニャク3500枚!
・ネギ3500本!
・味付けの 醤油700リットル
・隠し味に日本酒50升
・砂糖200kg
 そして ・・・・
・水6t を入れ、
・6tの薪(ナラ材) で煮炊きする


おいしさもスケールもまさに日本一なのです!

だと!(オイオイ寝るな)

さて、ここで問題です。
こんなでかい鍋をかます(=かき混ぜる)お玉は無いっ!
何でかますと思いますか?

なんと!!

サラダ油を塗りたくったブルドーザーシャベルなのじゃ!

これはなかなかの迫力。


これを、今日やってたの!

私は地元なのに、これ一回も行ってないの。

並ぶの嫌いなんだもん。

1度行ったらリポーターするぜよ。

詳しくはここ→http://www.y-yeg.jp/imoni/ にアクセスしてね。


南部教会メモリアル~シズコの短歌より

2007年09月02日 | Weblog
・シズコさんと叫んで我によじ登る子らは御言葉素直に信ず

・頌栄の賛美歌いつ(うたいつ)かけよる吾子ら静かに額づく主の御前(おんまえ)に

・聖日(せいじつ)に主に従わんと姉妹にておののきながらも御前(みまえ)にぬかずく

・主にありて姉妹となりし妹を囲んで祝わん今日クリスマス

・主は来ませりと賛美し祝うクリスマス永久の平和を祈る一日

・みどりごが生まれまししとメッセージ与えられし日に吾子が授かる

・わちゃくちゃと喧嘩諍いなんでもありよ私の好きな南部教会

・『ピアノの音は吊るされるように歌ってください』我が髪ひっぱり指示する指揮者

・ハレルヤで指揮して歌って阿呆やって私を背負う主の背に泣く

・主のほかは誰でも罪人なのだからコンビニみたいに来てよね教会

・教会に何で行くかと悩みつつ今日も惰性で礼拝の道

・『賛美する』『賛美歌歌う』じゃいけないのどっちにしても歌うのが好き

・献金交わり賛美に感謝借り着の行為で暮れる聖日

・嘘偽りの私を神様ご存知でしょう会堂出る前何か喋って

・主よいつも一緒にいると言うのなら落ちてく私抱いてほしいよ

・魂の言葉飛び交う聖書見て「わっかんねえな」とつぶやく私

・『御言葉をそのまま信ぜよ』その言葉受け容れられないひねくれシズコ

・私のことも忘れないでねイエス様涙冷たい秋の日の夜

・安らぎとお金と希望が欲しいんだけどそれって神様祈っちゃ駄目なの?

・星野富広八木重吉にほかにいたっけ名詩人あんな文章私にゃ書けん

・からしだねひとつぶ信仰くださいとホンキで祈る誠実礼拝


少しづつ書き溜めた短歌や詩を、これから発表していこうと思います。思ったより一杯書いてたな。コメントなど頂戴できたら嬉しいです。

仕事が出来なくても・・・・

2007年09月01日 | Weblog
仕事ができなくて
出来ない自分が情けなくて
働いてないのに病院代が一杯かかって
それなのに何一つ文句言わないで
お金をだしてくれる母に申し訳無いと思った。
毎日のご飯を食べる資格なんかないんじゃないかと思った。
苦しく切なくて泣きたいのに
涙が出ない
声も出ない
風呂場で頭を洗っていたら、すーっすーっと
涙が出てきた。
風呂からあがっても涙が止まらなかった
泣きながら寝た。


次の日、また部屋に戻ると涙。
涙。涙。涙。
母が「お昼ご飯食べないか?」との声
思いきって母に辛くて泣いたことを話した
「私がシズコだったら、やっぱりそう思うかもしれない」
母は言ってくれた。こうも。
「大丈夫。今にできるようになるから。私の娘だもの」
かなり嬉しかった。


「今は働けないけど、家の中や自分の部屋を気持ち良く暮らす工夫はできる!」
部屋の掃除をしようと思った。
要らない本とDVD、CD、ビデオをどんどん袋に入れていった。


大きな袋4つ持ってブックオフへゴー!


今までの最高買取り金額
9540円で買ってくれた!
「やったあ!」と思わず心でガッツポーズ!

明日も良い日なのかもしれない。