ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

受け止める手~工藤信夫著「これからのキリスト教~一精神科の視点」より

2011年12月06日 | わたしの好きな言葉
10年前、P・トゥルニエの『暴力と人間』を東京トゥルニエの会で講義したとき、一人の受講生の提出したレポートに次のようなものがあったが、はたして私たちが周りに見る教会の姿はどのようなものだろうか。




<受け止める手>

何もこわいことはない。
神の右の手からこぼれても。
その左手に落ちているから。
          ハインリッヒ・ズーゾ・ヴァルデック(『暴力と人間』175頁)

競争社会からこぼれ落ちた者を
教会が受けとめる

教会からこぼれ落ちた者を
別の教会が受けとめる

その教会からもこぼれ落ちた者を
キリスト教の団体が受けとめる

キリスト教の団体からこぼれ落ちた者を
心の友が受けとめる

友の心からこぼれ落ちた者を
いったい誰が受けとめるのか

社会全体からこぼれ落ちて
もう受けとめる者もいなくなったとき
主イエスがいちばん低いところにいて
あなたを受けとめてくださる
御腕の中に憩わせてくださる

上を向いてみよう
教会もキリスト教の団体も
ずっと上の方にある

そこからこぼれ落ちるものを
あなたの手は 主の手と重なり合って
受けとめることができるのだ


私は、この詩が、とても好きです。

特に、最後の2節をもう一度お読み頂きたいのです。
私は、この詩の最後の2節の一節目がよくわかるような気がします。この節です。

上を向いてみよう
教会もキリスト教の団体も
ずっと上の方にある



10年前洗礼を授かって、クリスチャンの一信徒として教会生活を送っている中、この思いを、何度と無く、憤死しそうな悔しさと憤り、惨めさ、そして絶望を携えながら、この思いを抱えて生きてきたからです。
「伝道!」
「リバイバル!」
「救われなければ!」
「悔い改め!」
この言葉が、私には、少なくとも今のキリスト教会(=業界?)では、空中で空回り
している気がしてなりません。


しかし最後のこの一節で、慰められました。
とてもあたたかく優しく、自愛に満ちた一節で終わられていて、ほっとします。


そこからこぼれ落ちるものを
あなたの手は 主の手と重なり合って
受けとめることができるのだ



こんな手に、私はならせて頂きたいです。







空色リボン・キャンペーン


にほんブログ村 ポエムブログ 自作詩・ポエムへにほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 実家暮らしへにほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ状態へにほんブログ村




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。