ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

ポール・トゥルニエ著「暴力と人間」より

2010年08月09日 | 私の好きな本
確かに宣教すると言うことは征服を意味する。

私の若い頃、異郷の国に宣教するという言葉は、白人の優越性の偏見に満ちていたものであった。そして司令官が作戦の展開を地図の上で追うように、宣教団の本部でも、宣教の進展を満足げに見守っていたものである。幸い今はそのようなことはなくなったが。しかし、まだ教会には、この戦いのイメージが色濃く残っており、力への渇望が相変わらず残っていることは否めない。


聖パウロ自身、宣教師の中で最もすぐれた宣教師ではあるが、エペソ人への手紙の終り(6章14節~7節)に、キリスト教の武具とやらを列挙している。少なくとも正直と言う点では評価できるけれども。救世軍も軍隊用語を用い、軍隊組織と、規律を保持している。私は最近、救世軍の著名なある幹部の一人と『ときの声』という思いきった名を冠するその機関紙について話し合ったことがあった。

ところがここに一つ注目すべきことがある。最も悲惨な人たちに、最もよく救いの手をさしのべ、同時に教義をおしつけることなく神学的に最も寛容な態度を示しているのもまた、救世軍だという事実である。そこには、他の教会が用心深く隠している戦闘的性格をさらけ出すことによって、逆に、無意識の中にあった攻撃性が表出し、その結果、温かい思いやりの心が解放されて出てきたかのように見えるのである。


われわれが、力を求める本能をどうしても払いよけることができないのならば、むしろそれと正面から対決し、制御することを学んだ方が良いのかもしれない。実際、教会の歴史を見ると、その本能のゆがんだ結果が何と多くの悪を生んできたことであろう。

ヤスパースは「仏教だけが、全体的特長として、暴力も、魔女裁判も、十字軍もなかった唯一の宗教である」(『偉大な哲学者たち』第一巻)。多分それは、清貧、克己、自己滅却などを、もっと忠実に教えてきたからではないだろうか

「暴力と人間(ポール・トゥルニエ著、山口實訳 ヨルダン社出版 ブログ筆者注、現在絶版)」より引用。
Ⅱ権力の持ち方「教会と権力」の章より。
257ページ8行から258ページ9行まで。



最初、詩という形で書こうと思ったブログですが、この「暴力と人間」のポール・トゥルニエの文章を引用しているうち、もうこれだけで十分ではないか。という気がしてきました。
新しく「私の好きな本」と言うカテゴリーを今日作って、この文章を載せます。
このポール・トゥルニエは、スイスの精神科のお医者さんだそうです。この本のあとがきには、哲学者・神学者とも書いてありました。彼自身はカトリック・クリスチャンではないのでしょうか?
ポール・トゥルニエ、ヘンリ・ナウゥエンなどのカトリック・クリスチャンの著作は、私故人の感想ですが、深い思索に富み、慎みに溢れているように感じます。
誤解を恐れず、あえて書かせて頂くと、私が読んだ著作の、プロテスタント・クリスチャンにはあまり見られない「ためらい」や「弱さ」を非常に強く感じます。
お勧めの著作です。
絶版になったのが非常に惜しい一冊です。
私はネットで古書を買い求めることができた、非常に幸運な一人です。

と言うことで、「トラットリア・ピントビージョ」さんのお店情報は、今日はお休みです。
ごめんなさい。



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