社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

7月20日(火) 苦い思い出を引っ張り出す。

2021年07月22日 08時32分30秒 | 2021年

 6時45分起床。

 朝食は、娘の残したチキンナゲットやトマトなど。

 妻と娘を見送る。今日は妻は午前中に病院へ行くことになっているので、一旦帰ってきた。

 始業前に、買い物がてら妙蓮寺までウォーキングをする。すごい暑さで、歩き始めてすぐに汗が噴き出してくる。

 帰宅すると、雨漏り修理の業者さんがいらしていた。施工時間は約1時間。これで、無事に雨漏りは完全に直った(かどうかは実際に大雨が降ってみないとわからないが)。暑い中、ありがとうございました。

 在宅勤務を開始する。

 昼前に妻が帰宅。出社時間まで余裕があるとのことなので、一緒に昼食に出ることにする。

 妻が選んだのは「上重朋文の店」。

 私は北京ラーメンとしそ餃子、妻は冷やし担々麵を注文。やはり美味しい。何を注文しても美味しいという中華料理屋さんは本当に貴重で、これまで現存しているお店では蒲田の「マーボ屋」くらいしか思いつかなかったのだが、家の近くでこのお店と出会えたのは大きい。

 出社する妻と別れ、ウォーキングがてら少し遠回りをして帰宅する。身体が溶けそうなくらい暑い。

 3時のおやつは桃。以前にTwitterでバズっていた方法で、丸ごと皮をむいて食べる。ちょっとコツがいるが、この食べ方だと余すことなく味わえる。

 夕方、フライングで夕食。朝の買い物で買ってきたお肉たち、いつものタンとカイノミに今回はレバーが加わった、でコンロ焼肉をする。野菜もご飯もなく、ただ肉だけを焼いて食べる。久しぶりに食べたレバーが新鮮で美味しかった。

 保育園へ娘をお迎えに行く。今日はパントラック(移動パン屋さん)が来る日なので、急いで帰り支度をして買いに行く。娘のお気に入りのぶどうパンと、明日の私の朝食用のパン、ロールケーキなどを購入。娘は店員の優しいお兄さんにだいぶ慣れたようで、笑顔でお金のやりとりをしていた。

 娘が保育園で遊んだぬり絵を定期的に持って帰ってくるのだが、段々と上手になっていっている。最初の頃は絵の線を大きくはみ出してぐちゃぐちゃに塗っていただけだったのに、いつの間にか形に沿って塗れるようになり、色の使い分けにもこだわりが出てきた。何より、絵を見せながらひとつひとつがどういうものなのかを説明してくれるのがいい。たまにこちらの固定概念を軽々と超越する解釈が飛び出すのも面白い。

 先ほどパントラックで買ってきたレモンロールケーキを食べる。思っていた以上にレモンの風味がしっかりしていて、さっぱりした甘さが夏によく合う。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 小山田圭吾氏が、過去のいじめ問題によりオリンピック開会式の楽曲担当を辞任した。この話題が出始めた数日前、妻が彼を擁護するような発言をした(ように聞こえただけで実際に擁護する意図があったのかはわからない)ことがあり、その時に私は彼女に対して強烈な敵意を向けてしまった。後から何であんなに頭に来たのだろうと考えてみて、ひとつ思い出したことがある。

 小学生の頃、クラスメイトに知的障がいのある友達がいて(おそらく自閉症だったと思う)、ある時期に上級生から帰り道で嫌がらせを受けるということがあった。そこで、他の友人たちと協力して彼と一緒に集団下校することにした。しかし、たまたま私しか一緒にいなかったとある日に、上級生に見つかって囲まれた。具体的には書かないが、子ども心になかなか屈辱的だったのを覚えている。最終的には、それから1ヵ月後くらいに子どもながらの浅知恵と少しだけ手荒な手段を使って上級生の駆逐に成功することにはなるのだが、それでも怒りは消えなかった。彼らが今どんなに真っ当な人生を歩んでいようが関係なく、当時の罪は一生消えないと私は思っている。

 小山田圭吾氏が犯した「いじめ」という名の暴行・傷害は、私たちが受けた嫌がらせをはるかに超える卑劣なものである。しかも、どう考えても全く反省していない。絵に描いたようなクズである。しかし、私が頭に来たのは彼がクズであることではない。そんなクズを、妻が擁護している(と感じた)ことである。貴方もそっち側の人間でしたか、という衝撃と落胆が裏切りに感じられ、過去の記憶と相まって強烈な敵意を生んだのだ。

 今日の昼食時に妻から「結局辞めちゃったね」と話題が振られた時、上記の自己分析を終えていた私はこの話が長引くと何も良いことがないとわかっていたので、「当たり前じゃん」の一言で話を終わらせた。出来るだけ感情は表に出さないように努めた。

 明々後日、当時のクラスメイトでもあった親友と会う予定になっている。妻も一緒だから話題に出すべきかどうか微妙なところだが、集団下校のメンバーにも入っていた彼が当時のことを覚えているか、覚えているとしたらどういう捉え方をしているか気になるところである。

 日付が変わる頃に就寝。