天佑堂鍼灸院日記

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東洋的世界は消滅するか? 老子を読んで思う

2007年05月14日 13時11分14秒 | 最近思う
ひさしぶりに「老子」を読んだ。

皆知善之為善 斯不善己

とある。
我々は物事を善悪にわける。
実はそのこと自体が善悪をしょうじさせる。
善がなければまた悪もないのである。

最近コンプライアンスということがさかんにいわれている。
以前は法律の運用も良く言えば柔軟、悪く言えばいいかげんだった。
最近はそうもいかなくなったようだ。
様々なことが西洋的というかアメリカ的になってきている。
そもそも世の中の出来事や人の行為が善悪にきっちりわけられるわけではない。
それを分けているのは人の思考以外でない。
善悪の観念は時代とともにまた地域によってあるいは人によってことなる。
そもそもそれは自然に存在する現象ではない。
明確に線引きすること自体にそもそも無理があるのだ。
法律で禁止されていることが絶対的に悪なわけでもない。
西洋的な考えでは言葉によってきっちりと世界を区分していこうとする。
意志により自己あるいは環境をコントロールしようとする。
そこに私は一種の無理、不自然さを感じざるをえない。
犯罪が増加すれば法律を厳しくする、あるいは法律の数をふやす。
不都合な事件や事故がおこると新たに法律がつくられ規制がふえる。
なんとか強制的に現象をコントロールしようとする。
予想外の事件は日々あらたに起る。
その度に法律をつくらなくてはいけない。
その法律がまた別の不都合な事態をまきおこす。
だんだん社会のシステムは複雑になっていく。
法律という言葉なしには社会は改善しないかのようである。
世の中はだんだんギスギスした窮屈な状態になっていくように思う。
世界を善悪に分けそして断固として善をなそうとし、あいまいさや不健全さを否定していくと
えらく息苦しい世の中になると思う。
と言うか、もうそうなっていると思う。
もはや善悪を相対的なものとしてとらえる東洋的な世界あるいは日本的な世界
は完全に消滅してしまうのだろうか。それとも揺り戻しがあるのだろうか。
「国家の品格」の著者、藤原正彦氏が「論理的である」ことに対して一部否定的な見解をしめしているのもこうした事態への反動だろう。

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