天佑堂鍼灸院日記

楽しい体のプロデュース
刺すハリ治療から刺さないハリ治療へ

ふーみん

2013年05月29日 09時30分12秒 | 近況
昨日は、私もかみさんも休みなので部屋探ししながら、市川真間辺りをうろついてました。
市川真間駅の近くに「ふーみん」という中華のお店があります。以前は、真間駅の踏み切りの近くにチヤイナハウスという名前で営業していました。もうずいぶん前に来てその美味しさに感動したのを覚えていたので、はいってみました。もう午後2時を過ぎていたのですいていました。やはり期待を裏切らない美味しさでした。私は、椎茸のそばを頼んだのですが
ものすごく深みのあるうま味を感じました。となりで常連らしきおばさま達が餃子を頼んでいたのですが、これがまたおいしそー。今度行く機会があったら、是非あれをたのもうと思ってます。たまたま平日の遅い時間なので空いてましたが、土日は、予約しないと入れないそうです。

世界最高?のヒーラー東北へ

2013年05月28日 21時46分57秒 | 精神世界
世界最高のヒーラーとの噂を聞いて私ご足しげく通うになったギャンさんこと安藤純一さんが東北に移転するそうです。安藤さんは、暑さに弱いので9月までは、東北にいて対面セッションは、ほとんどやらないとのこと。ガーン!それまで自分のケアどーしよー!私が治療に使ってるベットは、鍼灸治療にはちょっと低めなので自分の腰に対する負担けっこう大きいし。近くに良い治療家探さなきゃ!

ギックリ腰は治りますか?

2013年05月28日 21時18分37秒 | 最近思う
こういう質問があるたびに私は、思いきりズッコケます。
口には出しませんが、「当たり前じゃないの、何言ってるのー」と心のなかでつぶやいているのです。どうも自分にとっての当たり前と他人にとっての当たり前は、すごい差があるのです。これは、誰でもあることだと思いますが、自分にとっての当たり前が他人にとって当たり前じゃないということをどうも認めたくないという心理が自分の中にあるようです。何でこんな当たり前のことくどくど説明しないといけないの?という気持ちがけっこうある。だからいろんな面で舌足らずな説明をしてるんだろうなと思います。

アクティブブレインセミナー

2013年05月22日 10時31分43秒 | 近況
昨日は、アクティブブレインセミナーのに参加してきました。
短時間で記憶をしていく方法で、20個くらいのものの名前ならその場で覚えてしまいます。考案者の小田全宏さんが体験セミナーで30くらいの物の名前をその場で覚えてしまうパフォーマンスをやってみせたので受講する気になりました。知人の佐竹信恭さんに無理やりを言って平日の開催をしていただきました。誰でもできるようになるという宣伝に偽りは、なく20くらいの言葉ならその場で覚えられました。これは、受験生など絶体うけたほうが良いとおもいます。
私は、これから専門知識を覚えるのに応用してみたいと思っています。

楽しい

2013年05月17日 21時43分59秒 | 最近思う
この年になってやっと人生が楽しいと思えるようになってきました。
以前は、精神的に高い人間はいかにもまじめで潔白な雰囲気を醸し出さないといけないと思っていた時もありましたが、そうしたことは、結局ポーズでしかないと思うようになりました。その馬鹿馬鹿しさにきづいたらすごく楽で楽しい人生が実現しました
今までの人生で今が一番幸福だと言えます。

シンプルに生きる

2013年05月17日 12時48分57秒 | 精神世界
結局自分の内面をいつも敏感に感じとって、瞬間瞬間、自分の感じていることに忠実である、ということが重要であとさまざまな知識は、参考程度にしかならないとそう感じてます。もちろん仕事や日常の作業を行うのに知識や技術は必要です。しかし行き方の問題としては、今の自分が深いところで感じとっていることに従うこれだけだと思うのです。
精神的な教えみたいなものは、それを書いた人とって真理であったかもしれないけど、それは言葉になった時点ですでに残りカスみたいなもので、現在進行系ではないです。
それがわかっていれば精神世界の本とか読む必要もないと思う。

もっとも自分が生きる道

2013年05月16日 23時35分34秒 | 精神世界
もっとも大切なのは、偉い人の言うことにしたがうことでも、誰か聖人のようになることでもなくて、自分自身に忠実である、ということだと思います。お金をたくさん稼ぎたければ堂々とそう言えば良いし、有名になりたければそう言えばいいと思います。一番いけないのは人目を気にするあまり萎縮してしまうことだと思います。

世間一般からして正しいと思われていることでも自分が苦しいならそれは自分に合わないんだと思います。
あまり無理や葛藤の感じることからは遠ざかることが賢明だと思います。
自分にとって自然で無理のない道を行けば良いと思います。

おこがましくも精神性を語る

2013年05月16日 22時40分29秒 | 精神世界
精神性について語ることにどこか嘘くささを感じていたため、正面切って語ることは、控えめにしていたが、もうこうしたことについて無視することもできない時期に来たと思います。
私の父方の親戚は、宗教家や芸術関係者が多いのですが、私自身、自分のことを宗教的人間だと思っています。宗教的というのは特定の宗派や団体に属するということではありません。目に見えないこの世界の真理を探求したいという思いが強いということです。何か特定の宗派、団体に属することは嫌いです。それは真理から目をそむけ自分を不自由にすることです。真理は、だれかに従うことでもなく、団体に所属することである種の安心関を得ることでもないと思います。そこには、ある種の苦悩を軽減する働きはあると思います。しかし他人の説く真理は、自分にとっての真理ではないと思います。
何が真理であるかは、ただ自らが探求すべきことであると思います。

こうしたことに抵抗のある人も多いと思いますが、そうした人は、ご縁がなかったということで軽くスルーしていただければよろしいかと思います。
私の今までの経験と直観からしまして、唯物論的世界観というものは、全く間違いであると思っています。
古来、神とか霊とか呼ばれているものは確実にこの世界に影響しています。
目に見えないものを対象として観察した結果、気とかプラナとか呼ばれているものだけでなく神とか霊とかもある種の実体であると言う結論にいたりました。
こうしたものを無視して世界を見るならば明らかに私達は、この世界を全体として見ることはできないと思います。

自分の魂に忠実にいきる

2013年05月15日 21時20分17秒 | 精神世界
大真面目に精神性について書くことは、大袈裟な感じがして何とも気恥ずかしく 思えるのでなるべく書くことを避けていましたが、もう50才まであと二年半だし、書いてもいいかな、と思うようになりました。私自身は、自分の魂にたいしてかなり忠実に生きることができるようになってきたなと、感じています。周囲の目を気にしたり、収入を減らすことを恐れたりして、自分が心底したいと願っていることを押さえつけていると、心にも、からだにもひずみがでてくるものです。そこには、間違いなく苦しみが生じます。そこから目を背けることは、危険なことです。病気や経済的苦境などピンチに陥ってその結果 はじめて、自分が求める方向に歩みだす人もいますが、できることなら、自分自身の魂の声に敏感になり、その声に従ってすみやかに行動するべきだと思います。