天佑堂鍼灸院日記

楽しい体のプロデュース
刺すハリ治療から刺さないハリ治療へ

ラフカディオ・ハーンを読む2

2007年08月31日 20時12分48秒 | 近況
ハーンの感性は日本の風土に見事に共鳴したようである。
アイルランド人を父にギリシャ人を母に持つハーンにとって多神教的あるいはアニミズム的感性は違和感のないものであったようである。
「人間の感情とはいったい何であろうか。それは私にもわからないが、それが私の人生よりもずっと古い何かであることは感じる。」そう語るハーンの感性は私にはとても自分に近いものであるように感じる。
ケルト系の人達をみると妙に懐かしい感じを受けることがある。それと同様のものをハーンは日本と日本人に感じたのであろうか?なにか太古の昔はあたりまえであった、万物に魂を感じるその感性を共有しているような印象をうけるのである。

ラフカディオ・ハーンを読む1

2007年08月31日 20時11分24秒 | 書評
ラフカディオ・ハーンの著作「新編 日本の面影」
(角川祖ソフィア文庫 池田雅之訳)を読む。
そこには今や消滅しかかっているあの古き良き日本が生き生きと描かれている。
神々が住みたもうと感じさせる山々や神社、繊細で善良にしてやさしく穏やかな日本人。昔ながらの年中行事や伝えられる神話。
それは私が子供のころはかろうじて残っていたあの日本である。私の子供のころに比しても日本の風景はずいぶんと荒れてきたと思う。ずいぶんと日本の文化というものが消えてしまったと感じる。ハーンの時代に比してはどうであろうかと思う。
もし日本人が代々繊細で美しい心や技を育んできたとしたらそれはかっての日本の風景や気候、豊かで美しい水、そういったものと無関係ではあるまい。
果たして3面コンクリートの川や切りくずされた山々に神々は住み賜うのであろうか?
コンクリートに固められたなかで豊かで繊細なる心は育まれるのであろうか?


ひさびさの早稲田

2007年08月07日 15時11分16秒 | 近況
今日は早稲田大学で行われた税理士試験にかみさんが受験した。
私ものこのこ早稲田までついていった。
早稲田大学に行くのは何年ぶりだろう。
校舎は随分新しくなっていて、かってサークルが勝手に占拠していた教室も
サークルは撤去させられ本来の教室になっているようだった。
かってのアナーキーな雰囲気はなくなったようだ。
もう私が卒業して16年以上たっているしこの御時世だからしかたないが、
少し寂しい感じがする。
樹齢100年近くあろうかという杉の木の木陰のベンチで本をよんでいたが驚く程すずしくかんじた。都会でももっと緑がふえればもっと体感温度は下がるのだろう。
途中大学の校舎のトイレを拝借したが鏡にうつった自分の顔が学生時代のような顔をしているのにおどろいた。環境がそうさせるのだろうか。