天佑堂鍼灸院日記

楽しい体のプロデュース
刺すハリ治療から刺さないハリ治療へ

手水舎

2012年12月22日 14時34分09秒 | 精神世界
9月に神社参拝講座に参加した時、職場の近くの神社に手水舎がないので正しい参拝のしかたができませんと、講師に質問したところ、手水舎代と封筒に書いてお札をいれて賽銭箱に入れるように言われましたのでそのとおりにしたのですが、今月この神社に参拝したら手水舎ができていました。ちょっとできすぎた話ですが事実です。

世界最高のヒーラー?

2011年03月10日 16時48分38秒 | 精神世界
最近はまっているのが、安藤純一氏のヒーリングだ。
友人でフェルデンクライスメソッドのトレーニングをしている北洞さんがメーリングリストで「知人から「世界最高のヒーラー」と紹介された。」と書いていたのをみて。
ヒーリングを受けるようになった。
いっさい手を触れないから見えないエネルギーに敏感な人でないと何がなんだかわからないかもしれないが、普段から気功をしたり瞑想をしたりして気に対して敏感な人には大変良いのではないかと思う。きわめて玄人うけするセッションといえる。
わからない人には全くわからないかもしれないが。
世界中のヒーラーを知っているわけではないから世界一かどうかはわからないがかなり強力なヒーリングであると感じる。
治療の仕事をしているとどうしても患者さんから気を受けてしまう。
どうにも我慢ならなくなると安藤氏のところにいってセッションを受ける。
気をいれるのでなく邪気を抜くことをメインにした方法らしい。
今の私には最適な方法といえる。
治療家やボディーワークをしているような人に触れる職業で邪気を受けやすい人などにはとても良いと思う。自分がヒーラーやカウンセラーだというような人にも良いのではないだろうか。
ホームページはここ。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/lotus-spirit/index.html

ホ・オポノポノ

2009年05月21日 11時32分16秒 | 精神世界
先日鍼灸師仲間のMさんのセッションを受けたあと治療院においてあった「あなたも魔法使いになれる ホ・オポノポノ」という小冊子を買ってきました。
ハワイにある州立病院の「触法精神障害者収容病棟」という重い犯罪をおかしても責任能力がないとされた精神的病におかされた人たちの収容されている病棟にイハレアカラ・ヒューレン博士という心理学者が勤務したそうです。その4年ほど後その病棟は閉鎖されたそうです。
理由は患者がみな良くなって退院してしまったからだそうです。
ヒューレン博士は具体的な治療はいっさいしていなかったそうです。
したのは自分を癒すこと。
具体的にはカルテをみてただ
ごめんなさい(I ,m sorry)
愛しています(I love you)
を何度も言い続けていただけだそうです。
これはホ・オポノポノといい、もともとハワイの少数民族に伝わる伝統的な医療だそうです。

おそらく私たちの目の前に現れる現実は私たちの内面の問題であり、問題を解決するには私たちの内面の癒されない部分を癒すことだということでしょう。
これこそ私が理想とする究極の治療ではないかと思いました。
さっそく私も実践中です。
内容がよいので早速出版もとに電話して3冊ほど購入することにしました。大変な人気のようで現在売り切れ中で入荷しだい送っていただけるようお願いしました。
これはお勧めです。

著者が 滝澤朋子さんで発行もとが
株 トータルヘルスデザイン
という会社です。

光の鍼

2007年07月28日 18時58分18秒 | 精神世界
過去生療法のあと、オプションで光の鍼というものも受けた。
このことも書いておく必要があるように感じる。
オーラソーマ・ビーマライトペンというもので身体に光りを当てられるのだが、施術の最中にmegumiさんが「今アストラル体に効いている」とか、「エーテル体に効いてきた」とか言うのだが、そのとき物理的身体の外側に確かにエネルギーの層のようなものがあって、そこになんらかの動きが生じているように感じられた。スピリチュアル系に本には出て来る言葉で、知識としてはあったが今回のように明確に実体として感じられたことはなかった。
鍼灸師としては体内を流れる気のルートである経絡の存在は実感していたし疑いようもないと認識していたが、今回ようやくエーテル体だのアストラル体だのといわれるものが実在することを実感できた。
そしてmegumiさんの治療が確かに自分の心と身体とに確かな効果をあげているということも実感した。ある意味物理的刺激よりも効いたように感じる。
これは私にとっては少し困ったことである。
今まではかなり物理的刺激を主とする治療を行ってきたのだが、
物理的身体の外側にあるものの存在や、
このような治療が有効であることが明確にわかってしまった以上どうしてもこういった治療を自分もしてみたいという誘惑からのがれられないからである。
もしかすると今後私の治療はまったく予期せぬ方向に行くのかもしれない。それは鍼灸の範囲から大きく逸脱することになるかもしれないからである。

過去生療法

2007年07月24日 20時25分48秒 | 精神世界
今日は鍼灸師仲間のmegumiさんから過去生療法をうけてきました。
忘れない内に書いておきます。

ベッドに横たわってカモミールの香りをかぎmegumiさんの唱えるメッセージを復唱しました。
最初のうちは何も見えなかったのですがだんだんおぼろげに、キリストの像のイメージが湧いてきました。そしてフード付きのマントをきた老人がお祈りのようなことをしている姿があらわれました。
しわくちゃな顔、おおきな鼻。
暗く静かな修道院のようなところ。
周囲には同じような格好の人々。
上からかすかに光りがさしこむ。
穏やかに祈り瞑想にふける日々。
場面はかわってみすぼらしい馬車をあやつる農夫のような男。
お城に入っていくすがたがある。
農夫のような格好をしているが城の領主から頼まれたものを持ってきたようだ。
この老人の若いころのようだ。
かなり危ないことをしたようで、追ってのような騎士と格闘する姿も見えた。追ってを谷のようなところに蹴落として殺しなんとか逃れたようだ。
なにか盗んで手にいれたようでもある。
身体の左側が苦しい。
怪我をしたようだ。
なにか宮仕えはもうこりごりと感じたようである。
危ない目にはあいたくないし、争いもごめんだと感じる。
修道院のような環境に救いを見い出したようである。

過去生なのか、はたまた脳の生み出した幻影なのか、このようなイメージが見えてきたことは確かだ。

うさぎとかめ

2007年05月15日 07時59分10秒 | 精神世界
北海道の獣医さん、ななちゃんさんの日記から転載です。



  ある幼稚園でのお話です。

  先生が子供たちに「うさぎとかめ」の絵本を読んであげました。
  うさぎさんとかめさんが・・・
  やまの頂を目指して競争することになりました。

  子供たちは・・・
  「先生・・・競争してもしかたないよ!?」
  「うさぎさんの方が早いんだから・・・かめさんは勝てっこないよ。」
  「そうだそうだ・・・」

  先生は・・・
  「まあ~~~待ってね。お話を読み進んでみるよ」

  お話はどんどん進みます。

  うさぎさんは自分の足の速さに安心して、昼寝をしてしまいます。
  かめさんは遅いながら頂上を目指して一歩一歩休むこともなく
  進んでいきます。
  うさぎさんが目を覚まして気がつくと・・・
  かめさんはすでにゴールに達していました。

  うさぎさんは・・・
  ゴールのことよりかめさんと自分を比較してゆだんしたんですね。
  かめさんは・・・
  うさぎさんのことは目もくれずにゴールだけを目指しました。

  どちらが良いとか悪いじゃありません。
  ここまでが・・・
  いままでのお話です。

  先生の話を聞いて・・・
  子供たちは・・・
  あ~だこ~だと騒いでいました。

  すると・・・
  あるひとりの気の弱そうな子が先生に質問したんです。

  「先生・・・どうしてかめさんは、昼寝をしているうさぎさんをおこして
   あげなかったんだろう?」

  先生は・・・
  言っていることがよく理解できなかったそうです。

  「ぼくだったら、寝ているうさぎさんをおこしてあげたいな!!!」

  先生は、その子に聞いたそうです。

  「どうして、そう思うの?」

  「だって、ひとりでゴールするよりも、うさぎさんいっしょに楽しく
   ゴールしたほうがうれしいんだもん!!!」

  先生は・・・
  そのあと・・・
  しばらく言葉がでなかったそうです。
  でも何ともいえないあたたかな心を感じたそうです。

  大人たちは・・・
  ウサギのようじゃだめだぞ!
  かめのように生きなさい!
  目標を目指すことが大切なんだぞ!
  そんなことを子供たちに話します。

  それがいけないとは言わない。

  でも・・・
  何かが取り残されているような気がするんです。

  こんな話があります。

  ある小学校の運動会で・・・
  6年生の100メートル走の競争の時・・・
  ある女の子は6年間いつもダントツで最下位でした。
  でもこの日は、同じコースに怪我をして出る子がいたんですね。
  その女の子の親御さんは・・・
  ひょっとすると今年は最下位じゃないかもしれない。
  そう思ったそうです。
  この子は生まれながらの遺伝病で、筋肉が他の子の半分
  しかありません。
  知能も1年生程度なんです。
  でもいつもいつも・・・
  みんなにニコニコと笑顔を振りまいている優しい子でした。
  そして・・・
  100メートル走が始まりました。
  8人で走って、他の6人ははるか先を走っていました。
  この子はそれでも怪我をした子の前を走っていたんです。
  突然・・・後ろから「ぎゃっ~」と言う声が聞こえました。
  この子が振り返ると怪我をした子が転んでいたんです。
  すでに他の6人はゴールしていました。
  この子は何を思ったか・・・
  突然に後ろで転んでいる子のところにゆっくり駆け寄り・・・
  その子を抱きかかえて・・・
  走るとはいえないゆっくりした歩みで・・・
  怪我をしている子の肩に手をまわして・・・
  いっしょにゴールへ向かったんですね。
  その光景を見ていた運動会の会場の人々や生徒や先生方が・・・
  われんばかりの拍手をその二人に送っていました。
  とってもとってもあたたかでやさしい空気に包まれていました。
  そして・・・
  ゴールのテープが再度張られて・・・
  そのゴールに着く瞬間・・・
  この子は怪我をした子の背中をそっと押して・・・
  その子を先にゴールさせて・・・
  自分はニコニコしながら・・・
  いつものように最下位だったんです。

  この話を聞いて・・・
  ぼくは思いました。

  競争ってなんなんだろう?
  人に勝つことが幸せなの?
  成功することが幸せなの?
  目標を達成することが幸せなの?

  答えはみんな違っていいと思う。

  ただぼくは・・・
  競争から協奏の道を歩んで生きたい。

  人の幸せを我が幸せと思いたい。
  人の喜びを我が喜びと思いたい。
  人の成功を我が成功と思いたい。

  ともに・・・
  自分という個の光を・・・
  尊重しながら・・・
  それぞれの美しい光を協奏してゆきたい。

  うさぎとかめ・・・

  「先生・・・どうしてかめさんは、昼寝をしているうさぎさんをおこして
   あげなかったんだろう?」

  「ぼくだったら、寝ているうさぎさんをおこしてあげたいな!!!」

  「だって、ひとりでゴールするよりも、うさぎさんいっしょに楽しく
   ゴールしたほうがうれしいんだもん!!!」

  幼い子供の純真なこころ・・・

  見習いたいです。


  ルンルン・・・

  ありがとうございます。

唯物論と観念論のあいだでゆれる私

2007年01月16日 11時23分00秒 | 精神世界
大学生の時の私は唯物論者でした。
精神というものも物質的な運動の結果であるという解釈でした。
で一時期は観念論、物質以前に精神の存在を認める考え方でした。
輪廻転生を記憶する子供の話しや退行催眠により前世の記憶に遡った話を多く聞くと
輪廻転生の実在を証明するような状況証拠はそろっているように思えます。
福島大学の教授である飯田史彦先生の「生きがいの創造」など読むとその手の話しが多く紹介されています。
しかしこういった現象を唯物論的に解釈することもできないわけでわありません。
例えば音がレコードやテープCDに記録されるように人の記憶も物理的になんらかの形で記録されるのであろうという解釈も成り立ちますしそのように考えたこともあります。
しかし現在の私はもっとも重要なことは、どのように考えれば心の平安が得られるかということが重要であると考えます。真理が何かということでなく如何に私達が平和な心もちで生きられるのかということのほうが重要であるということです。