天佑堂鍼灸院日記

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唯物論と観念論のあいだでゆれる私

2007年01月16日 11時23分00秒 | 精神世界
大学生の時の私は唯物論者でした。
精神というものも物質的な運動の結果であるという解釈でした。
で一時期は観念論、物質以前に精神の存在を認める考え方でした。
輪廻転生を記憶する子供の話しや退行催眠により前世の記憶に遡った話を多く聞くと
輪廻転生の実在を証明するような状況証拠はそろっているように思えます。
福島大学の教授である飯田史彦先生の「生きがいの創造」など読むとその手の話しが多く紹介されています。
しかしこういった現象を唯物論的に解釈することもできないわけでわありません。
例えば音がレコードやテープCDに記録されるように人の記憶も物理的になんらかの形で記録されるのであろうという解釈も成り立ちますしそのように考えたこともあります。
しかし現在の私はもっとも重要なことは、どのように考えれば心の平安が得られるかということが重要であると考えます。真理が何かということでなく如何に私達が平和な心もちで生きられるのかということのほうが重要であるということです。

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2 コメント

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哲学問題と心の平安 (唯物論ふぁん)
2007-01-19 07:16:37
はじめまして。通りすがりです。
唯物論か観念論かということが、鋭く問われてしまうのは、反唯物論とか反観念論を標榜している組織やグループ内で仲間はずれにならない証を見せなければならない場合に限られるのではないでしょうか。
私は唯物論が「正しい」と思っていますが、「唯物論が正しい」と自他に対して主張し続けたり帰依し続けることに、そんなに大きな意味はないと思っています。もしも「世界が××論だったら」という仮定の妄想も「妄想」に過ぎないと思います。
心の平安を求めるのであれば、例えば精神医学の「うつ病」「統合失調症」などの症例の沢山載っている書籍を数冊読めば、心の平安を阻害する感じ方や考え方がどういうもので、自分の場合(または患者さんの場合)避けたほうが良い考え方はどのようなパターンなのか、知って・自律していくことが有効だと思います。
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はじめまして (itou)
2007-01-19 19:04:26
唯物論ふぁんさんコメントありがとうございます。


>唯物論か観念論かということが、鋭く問われてしまうのは、反唯物論とか反観念論を標榜している組織やグループ内で仲間はずれにならない証を見せなければならない場合に限られるのではないでしょうか。


私自信、唯物論であるか観念論かということは現時点ではそんなにこだわっていません。
ただ私は仕事上様々な人に会うわけです。
そうすると××主義者であるとか、○○教徒であったりするわけです。そうすると信念というものがかえって病気を強化するようなケースもあるわけです。
普通の人はそういう心配はあまりないのも承知しています。
私もかってはそういう信念に凝り固まる傾向があったわけです。
で現在も真ン信仰あるいは信念ゆえにかえって苦悩をつくりだしている人も多いのでないかと思いこのようなことを書いたわけです。

>自分の場合(または患者さんの場合)避けたほうが良い考え方はどのようなパターンなのか、知って・自律していくことが有効だと思います。

まさにそのとおりだと思います。
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