出来れば、前記の203回訂正記事を閲覧の上この欄を閲覧頂ければ、より納得できます。
昨日、「島原」お詫びのと訂正の記事を記載しました、もう一度だけ記載します。ここ「島原」は地図上には有りません。正確には「六角三筋町」となります。しかし、なぜ、ここが「島原」なったのかは定かではありませんが、この「島原」がこの地に「朱雀野」に移転騒動が寛永18年(1641年)の四・五年前に九州の島原で起きた「島原の乱」を思わせたことから、「島原」と呼ばれるようになったと言う説もあります。(あくまでも説です)
「大門」の中の住所は以下です。西神屋敷中之町です。
このエリアは、文化財エリアです。
「島原」の「大門」を入り、少し真っすぐに行き、左に曲がると、だだ一軒の「揚屋」の「角屋」に行きます。
一軒だけ現存している、「揚屋」(国指定重要文化財)をもう少し、見ていく事にします。
いかにも「花街」の通りです。
「角屋」に入り、帳場を通り、
気の荒い侍は、酒の上で、暴れて刃傷沙汰にならないように、必ず、この刀掛に預けるのがしきたりです。(私の愛刀・同田貫二尺五寸・居合用は後記に機会が有れば紹介します、今は年で二尺四寸五分にて、性一杯です)
そして、「松の間」へと案内され、「松の間」から有名な「臥龍松」や重要文化財の茶室三軒を眺めます。
新撰組の前身である、清川八郎にいっぱい食わされた、浪士隊隊長「芹沢鴨」も暗殺される直前に、この庭を楽しんだと言う事です。
「司馬遼太郎」氏著の「燃えよ剣」等で、新撰組の前身である「浪士隊隊長」の「芹沢鴨」は町人達への、目に余る乱暴、振る舞いで、京都守護職「松平容保」(まつだいらかたもり)の命により、副長・近藤勇にその殺害を密かに命じました。(実際に行動したのは土方歳三)しかし「芹沢鴨」は「神道無念流」の達人の為、近藤勇らは(天然理心流)田舎剣術、容易に殺害することができません。策を案じ、この「角屋」でしこたま泥酔させ(ここ揚屋は前記の通り宿泊できません)その夜の帰り道に、襲撃して殺害しました。そして「近藤勇」が局長となり有名な「新撰組」(松平容保預かり)が誕生しました。
ここは、「新撰組」屯所は壬生寺http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120215 に近い為よく利用したと言う事です。が、前記にて、倒幕派の「桂小五郎」「西郷隆盛」「久坂玄瑞」等もよく利用したと記載しました。しかし、ここでの衝突は無かったらしいです。それ、そこが花街のお商売、帳場で絶対に両者が顔を合わせないようにと、ちゃんと、調整したと言う事です。(お商売は難しい、特に京都の人は上手に世渡りします)
もう一つ、誤解の無いように。「太夫」と「花魁」(おいらん)の違いは、「太夫」は舞や音曲・お茶・和歌・俳諧等の教養を身につけていました。しかし「花魁」は芸を披露しないため、歌舞音曲を必要としません。
「太夫」と「花魁」との外見上の大きな違いは、帯の結び方で、「太夫」は前に「心」と結ぶのに対して、「花魁」の帯は前にだらりと結ぶだけです。
しかし、今までの寺社仏閣の話にはこんなに力入れないで、この種の話では力の入る事、不思議です。
本来は京都所司代が有りますが、これだけでは手が回らなく、特別に、京都守護職(松平容保)がいやいや、幕府から命じられました。くろ谷http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111223に本陣を設けました。松平容保も、少し新撰組が目障りだったそうです。(ほとんどは、正式な武士では無く、郷士・町人等の旗本に取りたててもらいたい連中でした。勿論ちゃんとした武士もおりましたが、 はっきり言ってバッタモンの殺人集団でしたので)しかし戊辰戦争ではよく働きました。ここでは記載しませんが「近藤勇」の末路は哀れな物でした。
(江戸三大道場)
神道無念流:斎藤弥九郎。北辰一刀流:千葉周作。鏡新明智流:桃井春蔵、の三大流派が幕末で有名な流派。(江戸の武士たちはこぞってこの道場に通いました)この話をすると止まりませんので、うんちくはこのへんで。
(清川八郎)
ひじょうな策士で、江戸で、尊王攘夷・倒幕の武士たちを集めて、京都は幕府軍に付くようにねがえらさせた、策士です。非常に母思いで、この「角屋」にも連れて親孝行した記録が有ります。(これも出羽国庄内藩の郷士です。玄武館の千葉周作に剣を習いました,免許皆伝で剣は達人です)
感動しました。
はっはっは、コメにクレーム入れる人はたまにいます。自分の事棚に上げて。
そんなの、気にしてたらコメントなんか出来ないです。ルールの知らないアホです。
そんな、人こそ世間知らず。小さい人間です。
笑六さんのいつも言われる「バッタモン」の人格ですか。
コメントは、その時の気分で好きなように入れれば。
日本国憲法第21条知らない人です。(笑六さんが、よく、たわごとで、記事に載せられる、
北の人かな)これは言いすぎです。
楽しく、ワイワイとコメントしてれば良いのです。他人の誹謗中傷はブログでは御法度。
水を差すようなコメント入れるのは、自己中心的、しらけます。
島原、こんな歴史や、文化財有るのは京都人としては自慢です。
笑六さんもがっかりしないで、勿論、被害者のコメされた方も、めげずに頑張って下さい。
応援しています。S。山田さんのコメント。全く同感です。