京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その332)周山街道の奥に鎮座する延喜式内社・山国神社

2012-08-29 00:13:39 | 京の話題

この神社の名前「山国」は、昭和30年に周山町他、四村が合併する時までのこっていた「山国村」のことで、中世には禁裏御料(皇室の土地)の山国荘でありました。この「周山」の地名は、「明智光秀」が名ずけたと言われています。(広々とした神社です、まるで野中の一軒屋?周りは田んぼだらけ)

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この「山国神社」は山麓を流れる桂川の川原にあります。三明谷川にかかる橋は「魁橋」(さきがけばし)と言う名であって、「山国隊」で知られる橋です。「山国隊」は、新政府軍と旧幕府軍との間で戦われた官軍(新政府軍)にいち早く参戦し、江戸上野では彰義隊と戦い、その後、東北の旧幕府軍との戦いに行きました。

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戦勝後、「有栖川宮」の凱旋行進で、錦の御旗を守り、鼓笛隊があの有名な「宮さん宮さんお馬の前で」の曲を演奏しました。京都の、三大祭りの「時代祭り」の行進で「維新勤王隊」として先頭を行進しています。

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創建は古く、宝亀年間(770~780年)第49代「光仁天皇」の創建です。

御祭神は「大己貴命」(おおなむらのみこと・大国主命)・「崇道天皇」「伊予親王」「藤原吉子」「橘逸勢」「文室宮田麻呂」「吉備真備」「藤原広嗣」「菅原道真」といったそうそうたる柱です。

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平安遷都のおり、この地が材木の御料地となり、「山国神社」として造営されました。勿論この歴史ある神社は「延喜式帳」に記載されています。

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神社の最高位である「正一位」を賜りましたが、幾多の戦火で焼失し、現在の社殿は元文2年(1737年)に再建されたものです。

右京区京北鳥居町宮の元1

(たわごと) 20数年前に長期、ベトナム出張に行った、思出-6 まだまだ続きます。

さあ、少し落ち着いて明日から仕事。内容は省略しますが。日本から木枠で梱包されてきた、「制御盤」は雨ざらし。6基中まともに使えるのは2基だけ。良いとこどりで、なんとか4基使い物にして、3週間後、修理部品を日本にとりに帰りました(国際便で送れば3ヶ月以上かかります、社会主義国ですから輸出検査に時間がかかります)。また、入国(出国は一度経験すれば簡単なものです、社会主義国てこんあものかな?)

コンピュータの基盤・大きなトランジスター等電子機器の持ち込み、またこれが一悶着。トランクを開け、なんだかんだのイチャモンです。また、別室に一人になって、尋問。日本語で「あんたの国を繁栄する為に、きてんのや」と開き直り。ベトナムの入国管理もとうとう、訳がわからず、に放免してくれました(こんなものです、社会主義国?)

またまた、自動車で4時間かかって工場へ。その間、バイクの事故の多い事。我々の自動車にも「助けてくれ」と、運転手は、無視して目的地へ。

一つ不思議な、ベトナムの交通ルール。夜にヘッドライトは下に向けます。対向車が無い時は、ランプをUPします。あの国は、対向車がむこうから来ると、ライトをUP、まぶしです。不思議?

現場でのこと。宿泊は前記に載せたように工場内の「ゲストハウス」普通の海外では、その日の仕事が終わると一流ホテルへ直行。後はフリ―タイム。しかし、工場内。24時間運転、少しのトラブルでも深夜、ドアをドンドン、寝てられません、これで完璧に鬱状態。人質みたいなものです。

懐中電灯のこと。工場の現場は照明が暗い。懐中電灯を10ヶ位持って行きました。当時は貴重品、番号を付けて現場に吊るしておくと、毎日一つずつ何処かへ。現地で豆電球を買いました、三つに一つは玉切れ(最初から)買う時はてすたーでチェック。それでも点灯したらすぐに玉切れ。どこの製品や。

次記へ。ベトナムの螺鈿細工の額。

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