京の中心地には「六角堂」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120206が有るのは有名です。この「八角堂」は八幡市西大の前方後円墳の前頭部に建っています。
もとは男山西谷に有りましたが、神仏分離令により八幡宮境内から仏教関係の堂舎・仏像などが撤去された際、前記の「正法寺」住職が堂宇・仏像ととも迎請し、この地に移しました。
堂宇は第84代「順徳天皇」の御願によって、「八幡宮検校善法寺祐清」が建保年間(1213~1219年)に建立したもので、後に大破し、慶長12年(1607年)に「豊臣秀吉」の御願によって再建されました。
本尊の「阿弥陀如来像」(重文)は鎌倉時代初期の作で、今は、前記の「生法寺」んみ安置されいます。
「阿弥陀如来像」の手の指の間に膜のようなものが付いています。これは八幡宮の遷座を慕って、仏像が海を泳ぎ渡ってきたときの水掻きであったという伝説があります。
八幡市八幡東林
(たわごと)
一速旅に、秋が終り冬に向かいますネ。京都は紅葉の季節で全国からの観光客で名所旧跡で一杯です。紅葉狩りと言うよりも人狩りですか?シーズンオフに来られた方がよっぽど良いですョ。閑散としてサービスも良いのに。地元の者の皮肉かもしれません。
やりました、「石原前東京都知事」。まとめました、日本維新の会との合併、「太陽の塔」は消滅です。彼は「武蔵坊弁慶」の役と言っていますが、私が見たら彼は、「坂本龍馬」ですか。にっくき幕府を討伐する「長州藩の桂小五郎、後の木戸考允」と関ヶ原の合戦からの遺恨が残る「薩摩藩の西郷隆盛」の水と油の中をまとめて、薩長同盟を成し遂げた「坂本龍馬」の「石原前都知事」ですか。
べつに「近江屋」で暗殺はされないでしょう。(河原町通りに、近江屋の石碑が有ります。この話をするとうんちくが長くなりますので省略します)
あとの始末は、村田蔵六(大村益次郎)まかすだけです。もっとも彼も暗殺されましたが。大人物です、「橋下市長」の顔をたてて、いっきに政党を「日本維新の会」に合併するとは。「減税日本」もネーミングを変えるそうです。
ついでに、「最高裁判官」の国民審査もあります。適当に無印で入れず、これも今まで判決(審判)した裁判官を良く見て入れて下さい。(今まで、これで落とされた裁判官は誰一人としていませんが。遊び半分で、右と左に書いてある裁判官にペケを付けるひとがいると言いますが。本当は、中央に書いてある裁判官が危ないかもしれません。と言うのは、高裁や最高裁判官は保守的な人が多いです。地裁で高島氏が勝訴しましたが、保守的な高裁や最高裁では敗訴になる可能性があります。あくまでも蛇足ですが)
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