前記にて、貴船神社へ行く途中に、通称「小町寺」。正式には「補陀洛寺」(天台宗・延昌創建)を紹介しました。ひっそりと、あまり観光客が訪れないこの寺にはこの様な、珍しい像が祀られていました。
「小野小町」の晩年の像です。まずは石碑をご覧ください。
「補陀洛寺」のご本堂です。
中央には、御本尊が祀られています。(平安末期作)
中央は阿弥陀如来坐像です。(平安後期の作です)
晩年の「小野小町」は流浪のはて、昌秦3年(900年)、80歳でこの地にたどりついて亡くなりました。
彼女の死骸は野ざらしにされ、道端に捨てられて、野ら犬などに蝕まれ、骸骨の目の穴からススキが生え風が吹くたびに「痛い痛い」と声が聞こえたそうです。後に、ここに立ち寄った恵心僧都が哀れに思い、ススキを取り供養をすると「小町」はやっと成仏が出来たという事です。
「小野小町」の晩年の像です。(許可をうけて撮影しました)
なんともはや、若いころの絶世の美女とは似ても似つかぬ姿です。人は皆老いていくものです。
最後に、そのときの辞世の句が有ります。
吾れ死なば 焼くな埋むな 野にさらせ
やせたる犬の 腹こやせ
あの美女で有名をはせた「小野小町」の哀れな末路を悲しくも感じるではないですか。晩年、哀れだった「小野小町」にとってはそれだけが、救いであったでしょう。
この洛北市原の古刹として古事・寺伝と様々な歴史に見守られながら、今日にその法灯を伝えています。私一人の参拝者の為にわざわざ本堂を解放頂きお手数をかけました「補陀洛寺」様にお礼を申し上げます。
訂正:「小野小町」の辞世の句に誤りが有りました、訂正してお詫びします。
しかし、それではあの有名な一首が、後世に残りはしなかったと思うと、不思議なものです。
もっと、知らないお寺も紹介願います。
陰と陽 誰もが持ってる人生
宇宙の流れからみれば 人の一生なんて
ほんのキラッと一瞬
たかが一瞬 されど一瞬
拝観料や駐車料は勿論無料。そんな事は無縁ですが、この様な古寺に、あまりにも有名な「小野小町」の終焉の歴史が有るとは、少し、カルチャーショックでした。
これからも、勿論有名な寺院も紹介しますが、陰に隠れて、ひっそりと守り続けている寺院も、紹介していきたいと思います。栄光の陰にこの様な多くの寺院が、平安京に歴史深く有ります。